こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2016年1月21日 木曜日 備忘録・極私的断片

2016-01-21 22:58:29 | 音楽帳

金土日と夜ぼうっとしているうちに、深夜の時間が過ぎていった。まるで高校生の頃みたいに、雑誌をめくり音楽を聴き、ノートブックに向かう。
昔と違うのは、そこにお酒が次第に入っていくこと。金土日いずれも眠りに就いたのは明け方だった。
そのせいで週明けは、眠くて仕事が手につかない。ただでさえのそんな朝、不覚の雪降りから始まり、久々に寿司詰め電車に長時間閉じこめられた。

この東京という都市にいると、すぐに毒が回ってくる。毒の現れは約半世紀慣れたものだが、全身に回れば致死に至るから、それを緩和する術を覚えるか、外国含めほかの場所に移り住むか・・・、そんないずれかにたどり着く人が多い。あるいは、自分みたいに匂いと痕跡を求めて辺境に辿り付き、隙間に住まう者など。
この「毒を浴びている」という感覚と言い回しは、1980年東京に同期・一体化して、出口のない処に飲み込まれたYMO・教授の言葉をそのままの引用。
東京は生まれ育った地だが、全体を愛してはいない。また憎んでいる部分も大きい。「東京」と抽象的用語・一言でくくれるわけがなく、面積は狭くても・四次元に広い色んな場所と、それぞれの場に棲息する空気がある。
首都という顔をするときのウソぶいたありさまと騙され勘違いする人に、うんざりすることは多い。

***

マスメディアと従属人がボウイを語っている「らしい」。カネに換えようとする不遜な輩。
「らしい」とは、見聞きしないようにしてきたからである。でも、彼ら連中は飽きが早いから、すぐに忘れてしまうだろう。このクニでは芸能三面記事的情報が主なので、盟友イーノ(まさかイーノが発言するとは思わなかった)やトニー・ヴィスコンティ、そしてそれを受けて語った渋谷さん、一部のラジオDJの方くらいしか、心に響く言葉は無かった。或いは音楽が好きな人たち。

渋谷さんの明らかな落胆と情緒的に流れそうな自分を抑えながら語ろうとしているのが、声から分かった。
15日の新譜「ブラックスター」特集は、サウンドストリートの最終回ツェッペリン特集、前週のクリムゾン特集に匹敵する緊張感があった。そう受け取るのは、あくまで私の感じ方に過ぎないと思うし、事態は別だろう。

6日鈴木慶一さんの「サウンドアベニュー」を聴きながら、今度のアルバムは・・・と言っていた頃、何も思わず良い選曲に心地良い時間が過ぎていた。

***

仕事も私的なことも両方、11日から一週間面倒なことが多い日々が過ぎていた。
おしゃべりな音楽芸能人等々がコメントしているらしきページが出てくると消し、ラジオでそんな話題に行く気配がするとチューニングを変更した。落胆している中で必ず現れてくる安易なメッセージは、311後に現れた状況に似て見えてしまう。
察知をしたら、即断つ。そうしないと悪性の毒を浴びてしまう。毒情報は可能な限り断たねばならない。それは今年も同じ。ボウイが亡くなった関連映像も一切見ずに過ごした。

いろいろ思うことあるが、ボウイについてまとまり得ない。
ただ、最後までまったく最後を感じさせずに、精力的で脂の乗り切ったまま新作を出して唐突に消えたボウイに対し、感情に任せた発言をしたくない、というのが今の気持ちで、そのおかげで妙な崩れ方をせずにいられる。なにかとってつけた芸能レポーターみたいに、それ呼応し騒ぐ群集みたいに、・・・そんなノイズを発する輪には居ないようにした。意識の中では亡くなった認識が未だになく、それでも、静かに彼が創った音楽には向かいあっていた。

トニー・ヴィスコンティが語った「ブラックスター」制作過程を紹介した渋谷さん、そのお二人の発言を聞いて思ったのが、果たして人は最期まで冷静に表現者で居られるものなのだろうか?人はそこまで自らに課せられた任務に対して忠実でいられるだろうか?
どれだけこの人は芯が強い人なのだろう。

***

一昨年暮れ「ナッシング・ハズ・チェンジド」なる新譜が出た際、まるまるのオリジナル盤と勘違いして喜んだ。
2013年後半・親の深刻な状況を受け、それまでと質の違う形で死をとらえざるを得なくなった頃、インターFMが掛けてくれていたニューシングル「SUE」を聴いた。このシングルが良く、いったいいつ録音したんだろう、というヴォーカルとサウンドのテンションと高揚感。

入院する親から当時見せてもらった「リアリティ」ツアーのライヴ。
そのとき「この人は永遠に不老不死なんだな」という、昔とは異なる意味でのエイリアンぶりを感じさせた。その延長線上でイメージを保持したままシングル「ブラックスター」を聴いた。また新しい展開が始まる、としか思っていなかった。

シングル「ブラックスター」がインターFMで掛かりだしたのは昨年12月の頭。その後、まだ発売前なのにYoutubeではアルバム全体がアップされ、聴いていた。その良さは分かっていたが、制作意図と背景はヴィスコンティと渋谷さんから教えてもらうまで、考えもしないことだった。
アルバムに収録された2013年のシングル「SUE」は別ヴァージョンになっていた。ジャジーでスパイ映画のサウンドトラックみたいな妖しさあるこの曲は、シングルでは比較的ゆったりした進行だったが、アルバム「ブラックスター」内ではドラムンベースのような性急さとグルーヴ感を持っており、この作品の中でも特に聴きごたえのある好きな一曲。
この休み、歩く中アルバムを今一度二度三度聞いた。聴けば聴くほど、彼がもういないなんて微塵も思えない。

よく”おやぢの独り言”といった言い回しをする者を同年代の男に見掛けることが多いが、そんな開き直りは好きになれない。
実は当人もそう思ってもいないケースが多く、自己卑下しているふりして他人にすりより、何かを得ようとしている。そんな姿は見たくもない。

「歳を取ったから、といって、それがそのままこの地上世界における心身摩滅を意味してはいないんじゃないかな?
だって、何が正しい基準かなんかわからないだろ?すべては変わっていくし、生きる価値ってそんなもんじゃないよ。くだらない言い訳だね。」
ボウイならそんな風に笑い飛ばして言うんじゃないだろうか。
「年老いたような気になってるキミもね(笑)」そう言ってくれるなら幸せ。そう勝手に思って、そんな妄想のなかで喰い止める。

■David Bowie 「Absolute Beginners」1986■

差しだすものなど何ひとつない
受けとるものさえ何ひとつない
ボクはまったくの初心者
完全に正気だ

キミが微笑んでいる限り
ボクは他に何も求めはしない
無条件にキミを愛している
でもボクらはまったくの初心者
ボクの愛がキミの愛であるかぎり
ボクらは絶対にうまくやっていける

この曲は映画「ビギナーズ」のタイトル曲として、二人の恋を歌ったものである。
ボウイは笑顔で高らかに、こう歌っていたのだった。こんなこっぱずかしいことをてらいもなく云えて、それでもサマになってしまう。コートと帽子姿が決まっていてかっこよかったビデオ。ボウイは、いかに大仰であっても、それをあえてすることが多い。

例えば、ミック・ジャガーとのコラボレーションシングルで「スターを演じるスター」同士の対決。
まるでゴジラ対ガメラみたいな滑稽さがあって、当時観ながら笑っていた。彼は「そう反応するだろう」ことも織り込み済で演じていたんだと思う。「愉しんでくれてるかい?」と。

この「ビギナーズ」は、1986年当時エアチェックしたテープで聴いていた。
ここには、1983年「Let’s Dance」を担いで新しい姿で現れて以降のきらびやかで明るい、スポットの下で揺れるボウイ。しかしこちらは「・・・Dance」よりたった三年というのに、日々迫りくる幻覚と狂いへの恐れに追いつめられ、その視えない悪魔と闘う十代終わりの夜だった。
ボウイと自分の間の距離。とても遠い乖離を感じた風景だった。

その後苦しいデッドラインをくぐり抜けて行った。だからといって壁は次々立ち現われてくる。それでも”そうそう悪いだけでもないな”と思える時期に入ったのは、そこから十年以上経てのこと。それ以降もしんどいことはゼロにはならないし、絶えず困難は現れてくるだろうが、いい加減悟らねばならない。

この曲は映画のタイトル曲として恋を歌ったものでも、何も相手は彼女ばかりとは限らず。
時も場所も離れれば、受け取る音楽への解釈は自由。
キミとボク、それを別な受けとり方をすれば・・・、などと思いながら、ここ数日聴いていた。おおらかで好きな一曲である。
コメント (2)
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