こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2016年1月1日 金曜日 備忘録

2016-01-02 00:31:22 | 音楽帳

1月1日 金曜日 元旦
特に正月の意識はない。だが幾ら厭世感に満ち、空気吸うだけでも、それだけじゃ今生きる意味はない。自分への勢い付けとして実家に行く最中エコー&ザ・バニーメンの「ポーキュパイン」を久々に聴く。師走から続く温かい陽気だが、光は冬の光線。

エコー&ザ・バニーメンはよく「エコバニ」と呼んでいた。それは今なんでも異常な圧縮文字数に省略して使う連中用語の渦とは異なる。1983年3作目の「ポーキュパイン」は何よりまずジャケットワークのすばらしさ。想像界で描く冬の寒いヨーロッパに一致する。
調べるとこのジャケットはアイスランドで撮影されている。

イギリスでは1983年2月に発表されたらしいが、国内発売は3月。
まず「カッター」がシングルカットされ、それはアルバムA面1曲目となっている。当時テレビ埼玉で『サウンド・スーパー・シティ』が夕方からあり、洋楽のMTV等が掛かる貴重なもので、彼らのライヴも含め視たのだが、ずっと聴き続けるにはつらいものがあった。
「ロック」と呼ぶものに疎い一因は、飽きることをさせないための音楽的工夫が濃密にされたYMO等と異なり、一本調子で走る音楽がその手合いに多いせい。

エコバニに恍惚を覚えたのは「カッター」よりも、A面3曲目に入った「ホワイト・デビル」。今夜カセットテープを整理すると、1983年4月頭に「クロスオーバーイレブン」でエアチェックしたものと分かる。

室内レコーディングだからだが、当時高密着型ヘッドフォンから深夜現れた、ただならぬ音像と気配感にやられた。寒い音空に響くこだまのような音触とエコー感。極めて冷たい血の気が引いたイアン・マカロクの声、主張するベース、硬質な音に混じって鳴らされる木琴。ジャケットそのものの世界を表現し得ている。
ありがちな予定調和世界にそっぽを向き、あらがい、冬の寒さのなか突き進み、切り裂くような音。

エコバニの「ポーキュパイン」は「カッター」「ホワイト・デビル」ばかりで他に耳が行っていなかったが、今日通して聴くと昔聴けていない曲に頷く部分もあった。
「ホワイト・デビル」はやはり深夜聴くものだが、冬の日をずんずん突き進むには「カッター」は今日の良い友だった。

***

エコバニのここ(’83)の在り方は、そばにU2、サイケデリック・ファーズ、キュアー等が居るという配置。イアン・マカロクは当時インタビューでU2を馬鹿にしていた。みな硬派だったが、繋がる。
U2が正義感に満ちた切迫を音にする一方、エコバニにはイアン・マカロクのニコリともしない孤高と腹に溜めた企みや悪意を匂わせるものを感じさせた。共にカッコ良かった。

だが1984年に発表された「オーシャン・レイン」メロディの安易さに、魔的魅力が消えてしまって感じられた。それはサイケデリック・ファーズのシングル「ヘヴン」にも同様のこと。サイケデリック・ファーズの「ゴースト・イン・ユー」は名曲だと思うが、2バンド共にポップ・ミュージックを目指そうとして挫折した感は否めない。それはレコードセールスという意味とは全く異なる。

それに対してU2は、ポップスという領域と無縁でいて、イーノと「焔(ジ・アンフォゲッタブル・ファイア)」へと進んでいった。「ロック」なるものが形骸化した80年代中盤から後盤、U2と清志郎が孤立無援の闘いをしていた風景が浮かぶ。

■Echo & The Bunnymen 「The Cutter」1983■


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