こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

Ryan Paris 「Dolce Vita」'83

2009-07-11 08:31:57 | 音楽帳


おはようございます。

6:00に起きてしまいました。
めちゃめちゃしんどいのですが、様々な薬(ヤク)をビールで呑んだら、カラダが楽になりました。

8:00納豆そうめんを作って食べたところです。

***

今週は、何とか平日に仕事を終わらせようと頑張ったのですが、またもや時間切れ。
いろんな宿題を残した状態で、23:00過ぎに仕事場を出る。
来週は会議の山だし、その準備完了出来ず。
あ~。困った・・・・。

23:22発の電車に乗る。
帰ると、0:20.
それから、ビールを呑み出し、結局3時頃寝たのですが、朝6:00に起きてしまった。

***

今日、紹介するのは、1983年ごろ、土曜の深夜3:00にFM東京でやっていた「FMトランスミッション/バリケード」という、NEW WAVE少年のための、どこでもかからないアンダーグラウンドな音楽ばかりをかけてくれていた番組で、テープに録音した中の曲。

当時は、イギリスなどのテクノ系の人が作った曲だと思っていたが、その正体は不明なまま、今を迎えてしまったが、最近、YOUTUBEで、そのライアン・パリスなるものを見たが、バンドではなく1人の男性で、正装をしたカッコウで、ミラーボールの回るステージで、キラキラした衣装を来た田舎のおじさんのオンステージという感じで、ヒジョーーーーーにショック!を覚えた。

まあ、自分に取って大事なのは、ただ、耳だけから入る「音」そのものが大事なので、絵や映像にだまされるつもりもなく、今もこの曲は大好きなのだが。

よく、高校の疲れで(今、考えれば)既にウツをわずらっていた自分だが、よく晴れた土曜の朝には、この曲を聴くと、ピコピコはねるかわいい音が、日差しとあいまって、イイ気分になったものです。

ええ~、曲やなあ~。
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細野晴臣   「はらいそ」'78

2009-07-10 00:38:36 | 音楽帳


「12時を過ぎてしまったけども、細野さん、62歳の誕生日、おめでとうございます。
これからも、長生きして、より多くの、良い音楽を生み出していってください。

                                     By かたちんば」


・・・・そうです。

今日は、音楽の神さま、人間国宝、細野晴臣さんの、お誕生日なのです。
めでたい!めでたい!ああ、めでたい!(’U’)。
清志郎の分まで、生きて欲しい・・・・。

***

自分は、毎年、夏になると、まずは、はっぴいえんどの「夏なんです。」に始まります。
そして、トロピカル3部作「トロピカル・ダンディー '75年」「泰安洋行 ’76年」「はらいそ  '78年」はもちろんのこと、
「コチンムーン '78年」や「フィルハーモニー '82年」・・・・。

それに、アンビエント&実験音楽的な'85年の3部作「マーキュリック・ダンス」「パラダイス・ビュー」「エンドレス・トーキング」。

さらには、「紫式部 源氏物語 '87年」や、'95年の「N・D・E」・・・・
と、細野さんの音楽がとにかく聴きたくなります。

***

前も、沖縄の人のいない僻地に、夏、男2人で癒しの旅に行った際も、たんまり細野さんのアルバムを持っていって、1日中繰り返しくり返し聴いていた。

最近は、すっかり仕事だけで疲れ果ててしまい、休みに、写真を撮りながらの東京ウォーキングもしなくなってしまったが、よく、CDウォークマンで細野さんのアルバムを聴きながら歩くのが、夏の楽しみ、過ごし方だったりする。

時に優しく、時にエキゾチック、時に妖しく、時にほのぼのした、細野さんの音楽を、たぶん、僕は、死ぬまで一生聴き続けるんだろうなあ、という確信がある。
自分にとっての宝物であり、生きるためのエネルギーの源泉でもあるのです。

なんやかんやあっても・・・細野さんが、生きて、常に新しい音楽に向かって、フロンティア精神旺盛な姿勢を続けていく限り、こんなダメニンゲンでも、生きていけるような気にさせてくれるのです。

***

今日は、本当は、日本を去っていくつもりで書いたという、優しい名曲「はらいそ」(YOUTUBE)をアップしてみた。
この映像は、90年代に、BSで放送された、細野さんの3日間に渡って特集された番組からのモノ。
詞も曲も素晴らしい・・。

***

この「はらいそ」のあと、1978年、細野さんは、YMOを構想するに至っていくのだが・・。

2009年の僕の夏も、もうすぐ始まることでしょう。

<*「はらいそ」とは、パラダイスの事を意味します。>
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「猫たちの楽園 田代島」に行きたい。

2009-07-05 16:56:03 | 写真日和


【かたちんばニュース】三陸沖に浮かぶネコの楽園~宮城・田代島のいま

つぶらな瞳で魚を見つめ、獲物をくわえて悠々と歩み去る早朝の漁港、ファインダー越しの姿がほほえましい。

 宮城県石巻市の田代島は、同市中心部の南東約15キロ、石巻湾に浮かぶ面積3・14平方キロの島。人口70人ほど。
一方、島に暮らすネコは約100匹にのぼる。

 島の中心部に「猫神様」を奉る「猫神社」がある。
由来では、漁師が石を砕いて錨(いかり)を作っていると、破片がネコにあたり傷を負わせてしまった。
そこで、ネコの安全と大漁を祈願して建立されたという。

「ネコは、昔からいじめないんだ」。そう話すのは、江戸時代から続く定置網漁「大謀(だいぼう)網」で、漁を統括する「大謀」を務める山道正義さん(58)。「悪さをしないし、かわいい」。

大漁を約束する神様として大切にされ、離島という地理的条件も一役買って島は“ネコの楽園”となった。

猫神社への細い坂道の途中、ネコの群がる民家があった。
「ガンガン」。
壁をたたく音が響くと戸口に寄ってくる。
住人の畠山和子さん(70)が顔を出すと、30匹近いネコが一斉に視線を向る。畠山さんが用意した残飯を目当てに集まってきたのだ。
「好きとか嫌いとかじゃない。毎日顔を見てっから、姿を見なかったりすると『あいつ来ないな』と心配になる」と畠山さん。

ネコ好きの観光客が島に来るようになったのは最近。
きっかけは、民宿「はま屋」のオーナー、浜温(ゆたか)さん(50)が始めたブログ。耳の折れたネコを「たれ耳ジャック」と紹介。
テレビや雑誌に取り上げられ、「ネコの島」は一躍有名になった。
「ゴールデンウイークなど多いときは200人は来た」と浜さん。

突然のブームの一方、島の人口は昭和30年の1097人をピークに減少を続けていて、小、中学校も廃校になった。

浜さんは、「ネコを観光資源に育てて、将来は『ネコビジネス』を確立したい。『田代島に来てよかった』って言ってもらいたい」と、このチャンスを島の活性化につなげたいという。

ふと、ネコを撮影している人間を、島民はどう思っているのだろうか、と思った。
「悪いことをしないし、ネコと同じ」と、山道さんはこともなげに言った。

***

夏休みは、田代島に行ってみたい。
「猫たちの楽園」がいつまでも、続いて欲しいと祈る。
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「志村運送物語」

2009-07-04 20:01:57 | 想い出かたちんば


「8時だよ全員集合」が終了し、ドリフターズがソロとして、それぞれの道を歩き出して後の志村けんさんのコメディ番組は、昔からよ~く見てきたが、見る人によっては、極めて当たり前のコメディに感じるだろうが、自分は、未だに「昭和」のにおいを残したコメディとして、つい見たくなってしまう。

今日は、YOUTUBEにたくさんアップされている「志村運送物語」をほのぼのと見ていた。

***

有限会社「志村運送」は、主人公のけん(志村けん)が亡き父親から受け継いで切り盛りしてる零細企業。設定では、台東区南浅草2丁目にある。そこを舞台に、妻の優香(優香)、従業員である独身30代女の和歌子(島崎和歌子)、若手女子職員の純(夏川純)、どことなく頼りない中年ドライバーの竜兵(上島竜兵)、お向かいの「肥後ちゃんラーメン」のマスターで、けんと幼馴染の克広(肥後克広)、そのアルバイト店員のチェン(チェン・チュー)が繰り広げる物語。それぞれが自分のタレントとしての個性も活かしながら役を演じている。<ウィキペディアより引用>

***

小さな職場で運営する、小さい会社で起きるドタバタ劇は、こういう殺伐とした時代の「癒し」に感じられる。

島崎和歌子ちゃん、夏川純ちゃんも可愛く、上島竜兵・肥後克広も味のある芝居を演じているが、志村けん社長の奥さんが優香ちゃんで、またこれがとてつもなく可愛くて和む。

優香ちゃんみたいな優しく可愛い女性が奥さんなら、みんな男は、黙って幸せな夫婦人生を送ろうモノだが、やはり、ここで社長は、呑みに行っては、しょっちゅう女の子にちょっかいを出して、ついまた夫婦の揉め事になる。

「志村運送物語」はとても、和むシリーズで、見ていて飽きません。
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Felt 「The World Is As Soft As Lace」'84

2009-07-04 08:14:03 | 音楽帳


ついつい忙しくて、ブログを数日放置していた。
昨夜は、疲れで心身ともに弱まって、19:30には、仕事場をふら~っと誰にもあいさつせず、帰った。

久々の早い帰りに、21:00からの「必殺仕事人」が見れる!と楽しみにしていたが、先週終わったということが発覚!ショックで、23時にふて寝してしまった。
というか、疲れて寝てしまった。

6:30起床。

***

久々に、フェルトの「The World Is As Soft As Lace」を聴きたくなった。
「世界は、レースほどにやわらかい」。

雨はやんでいるが、天気は良くない。曇りです。

しかし、お茶を飲みながらのウツの朝には、しっとりとしたこの曲が良い。

***

高校2~3年の頃、1984年、イギリスのシングルを編集した日本独自のアルバム「毛氈」が、あのチェリー・レッド・レーベルから出て、購入した。



アルバムのレビューを幸宏が書いていた。

「ニュー・イングランドの説教師」という素晴らしい名曲も大好きで、よく土曜日の晴れた休日には、ターン・テーブルをゆるやかに回っていた・・。

全体に、ギターのインストルメンタルが中心だが、この曲のように、ぼそぼそとしたヴォーカルの入ったものもあるが、その投げやりなうつむいた感じの語りのようなヴォーカルも良い。

1982~1983年のテクノの反動で生まれた「ニュー・アコースティック・ムーヴメント」の流れを汲む音楽である。

みなさんも静かなおだやかな朝には、是非、おいしいお茶を煎れて、この曲を噛みしめるように、お聞きください・・・・・。
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「サディスティック・ユーミン・バンド」'85年6月15日

2009-07-01 00:23:50 | 音楽帳


また、時代は、浪人時代に戻る。

1985年6月15日に、国立競技場で「ALL TOGETHER NOW」という「お祭り的イベント」が行われた。

その際に、FMで放送したものを録音したテープが、家のどこかにあるのだが、荷物の中に埋もれている。
YOUTUBEで探したら、そのほんの一部がアップされていた。

***

日本のくだらないバンドや桑田なんとかとかいう歌手など大勢が参加していたが、その中でも目玉は、「はっぴいえんど」の再結成と、「サディスティック・ユーミン・バンド」だった。

はっぴいえんどは「さよならアメリカ、さよならニッポン」を演奏したのが記憶にある。
正直、自分の本音は、こういう「お祭りイベント」では、はっぴいえんどが演奏するのは、もったいないというか、もっと静かな小さい場所で、演奏して欲しかったが・・・・・。

***

その後、出てきたのが「サディスティック・ユーミン・バンド」。

幸宏に、高中正義、ドノヴァン(加藤和彦)、そして、後藤次利(今思えば、彼は片方で「おかわりシスターズ」や「おニャン子クラブ」の曲を作りながら、の舞台だったのだなあ)、そして、教授(坂本龍一)、ユーミンといったメンツだった。

教授の「戦場のメリークリスマス」~ユーミンの「シンガ・プーラ」~、加藤和彦の歌う「アジアの片隅で」~高中の「渚モデラート」などが繋がって演奏されていったが、自分が好きだったのは、やはり教授のドライヴ感ある「SEOUL MUSIC(京城音楽)」<テクノデリック収録曲>だった。

なにせ、名ミュージシャン揃いのバンドだったので、カッコ良かったが、このYOUTUBEの続きを、誰かアップしてくれないものだろうか・・・。
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