こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年2月12日 火曜日 「種子をまく」

2013-02-12 23:26:21 | 雑記帳
偉そうなことを言う割りには。。。と思われても仕方が無いこと。
よく育児放棄された生き物を、たくさん飼っている方がいらっしゃる人が居るが、そんな度量も余地も、じぶんには無い。
ならば、せめてものお詫びとして、一人でも出来ることをするしかない。

また、ネコにしてみれば、飼う/飼われるなどという関係は、人側の勝手で、食と住だけあれば良いはず。
何が正しいかは言えないが、ただ出会ったネコの本音を聞き分けられずとも、したい何かを探り、おなかが空いたと思うなら、エサを置いていく。
大きなことは出来ないが、ささいなことなら出来るはず。
そうして、今夜も、夜道で出会ったネコにエサをあげるだけ。













あとは、何の役にも立たないのかもしれないが、祈ること。それくらいだろうか。

今夜は、そんな祈りの音楽を。
「スピード」という、ひたすら加速していく悪魔に取り憑かれた80年代・東京の中で、共に疲弊しながらも細野さんが創ったアルバム「S・F・X」。YMOを1983年をもって「シールド(封印)」しても、それは続いていた。
そのB面最後の曲に、鎮魂歌として入れた「ダーク・サイド・オブ・ザ・スター」。
【LPレコードは、今夜も遭難中】
夜な夜な、締切に追われるキチガイのような中、音楽を創る作業は徹夜に及んでいた80年代の細野さん。
いわば、好む好まざるを選択することすら出来ない中、まるで世界の外側で緻密で過酷な「業」を背負った中での、唯一の解放区。
■細野晴臣さん「Dark Side Of The Star(地球の夜にむけての夜想曲)」1984■

夜に住まい・作業を続ける太宰治などの作家・作品に対して「そんな精神の病みは、日光浴と乾布摩擦をすれば直る」と言った三島由紀夫。
夜(闇・病み)と不健康を結びつけて三島の言わんとしたことは、ある意味まっとうではあったが、彼自身が、それを意識し、一番それを恐れたトラウマがあったから、このような発言と行動となった。じぶんは、そう思っている。
しかし、それだけでコトは済まない世界に、今の我々は居る。
好む好まざるに拠らず、夜な夜な働かざるを得ない・見えない同志へも含めて、この鎮魂歌を送りたい。

PS:雪も雨も降らないことを祈る。
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2013年2月10日 日曜日 「春よ来い」~人で無し以外の生き物たちのために~

2013-02-10 23:59:39 | 写真日和
今日も歩いた。かなり暖かい日だった。
早く暖かい春が来て欲しい。そう、祈る。それは、じぶんのためではない。
今日出会ったネコたちには、ひどい風邪を引いている子が居たのだ。
今日の歩き旅は、切なかった。「あと、もう少しで暖かくなるから」そう声を掛ける。

偽善者と呼ばれても結構だが、為政者人間にはどうしようもない者が居る。
その者のイノチを絶って、生き物たちのチカラに変換した方が世のためと思う。
■Donnacha Costello  「Dry Retch」2001■

今日の旅の一部より  (基本、パワーショットを使い、一部、ルミックスに持ち替えた)


































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2013年2月9日 土曜日 「ネコと通りに漂う」

2013-02-09 22:39:52 | 写真日和

節分の日に、白鬚神社で漂った後に、向島/玉ノ井のラビラントに迷い込んでいく。
現代での町名称・東向島の1丁目。
ここで、ミケちゃんと出くわした。
■細野晴臣さん 「冬越え」(1stソロアルバム「ホソノ・ハウス」より)■



メスらしい、きれいなカラダ・色っぽいミャーミャー言う鳴き声にイチコロ。人に飼われているらしく、首輪を付けていて、人懐っこい。
通りの地べたに座り込んで一緒に遊ぶ。
背中をなでると、カラダはしっかりと冬装備で肥えている。





通りを歩いて・自転車で・・・通り過ぎる人たちが、ミケちゃんを見るたびに表情がやわらぐ。
さかんに地に這って写真を撮るじぶんの横を、地元のおじさんが通り過ぎながら、笑顔で「キレイに可愛く、撮ってもらいな」と言って歩いていく。おじさんと、1.5m程度の上と下で、笑顔で合図を交わす。



「おなかはすいていないかな?」とは思ったが、バックをまさぐってカリカリを出すと「ふんふんふん」と匂いを嗅ぎに来るので、食べるかな?
と思ってカリカリを出すが、いったん食べない。

しばらくして、食べだす。ネコらしい。

一緒に遊んでいるうちに、カラダをゴロゴロ。横になりだす。
延々と終わらない遊び。
「また、会おうね」と、その路地を去って、次の地にじぶんは向かう。
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2013年2月9日 土曜日 「朝に漂う」

2013-02-09 10:20:24 | 写真日和

■今井美樹さん 「空に近い週末」■
























***


1994年春近い週末・ウィークエンド。当時の居場所=大阪北区源八橋たもとのマンションから、川沿いに歩いた途中。今も昔も1人の歩く道。
造幣局当たりから、シャッターを切った1枚。
愛した淀川の風景、そしてまもなく芽吹くであろう樹の枝。
いっときを一緒に過ごし、愛したヒトたちは、「私」を通り過ぎていって、今日もどこかで同じ、この空を見ているのだろう。
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2013年2月8日 金曜日 「夜に漂う」 ~日本橋箱崎町~

2013-02-08 23:11:21 | 写真日和


■Julee Cruise  「The World Spins」1989(From『Floating Into The Night』)■










































***

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2013年2月6日 水曜日 「防災」不可能を証明した東京の一日

2013-02-06 23:13:01 | 雑記帳
正直、キチガイじゃあないのか?という事態の連続の一日だった。
天気予報は「先日の雪程度になる【可能性】がある」とは言ったが、予測や予報が100%現実化する、という盲信を持つこと自体、キチガイじみている。

まずは、ネットとラジオで、前夜の段階で、多くの交通機関が一方的に「間引き運転しま~す」と知って「はあ~っ( ̄○ ̄)!?」。
今朝、窓を開けるとじゅうぶんに暖かいので、容易に溶ける程度の単なる「みぞれ」。
それを昨夜の間に決定した、各種交通機関の根拠に疑問符。
そして、難儀な一日が始まった。

***

傘を差して駅へ向かう。
ホームに立つと、元々不親切で適当でいい加減経営の東武鉄道は「ええーっ、本日は雪の影響を受けまして、5分から10分の遅れを持って走ってえ、おりやす。」との放送。
今まで言わずにいたが、つい「バカ言え。東武線なんか365日遅れているじゃないか。」と独り言を吐く。

東武鉄道とは、1981年草加に引っ越して以来「乗らざるを得ないで乗っていた」鉄道。
大阪時代を抜いても、約四半世紀乗っているので、重々理解しているが、東武グループというのは、元からローカルでゆるゆる経営のグループ。
むしろ「東武鉄道の味」とは、関東近郊の「イナカ電車」である点のみ。
まあ、そう思えるのも、この地・向島に来てから芽生えた感覚であるが。

浅草ー北千住間のゆったりした感じは、駅舎も含めてとても好きである。
しかし、東武の引き込み線であった土地に、東京スカイツリーを誘致したあたりから図に乗り出した。もしくは、三流広告代理店の言うなりだったか?

西新井破壊・再開発に絡み「オール電化」マンションを建て、売り文句は「マンションからスカイツリーが見える」。
スカイツリーくらいデッカイ塔が立ったら、何も西新井じゃなくても、東京どっからでも見えまんがな。
その後3・11発生。急遽「オール電化」を語らなくなったものの、何度も宣伝広告費を投入して新しいポスターを作り・マンションの販売値段を下げ続けるが、いっこうに売れない。
そんなザマである。たぶん、あのマンションは締めれば赤字だろう。

さらに、歴史あった業平橋駅を破壊。名称変更。住民が反対する中の決行。
そして、伊勢崎線も「東京スカイツリーライン」なる恥ずかしい名称に変更。(JRの消えた名称「E電(いーでん)」を思い出す)
東武は背伸びをしたつもりだろうが、その「東京スカイツリーライン」とやらの横文字電車は、あいも変わらず365日毎日遅延状態。
それが常態化しているから、少々遅れても、誰も東武鉄道の社員はなんの説明もしない。
グループとしての風土は、何一つ変わっちゃいない。

霧や豪雨と言った明らかに仕方の無いことならまだしも、整備不良だのお客様混雑の影響だの(なんだ、そりゃ?)365日言い訳ざんまいであり、今日は雪もロクに降っていない中なのに「雪のせいにしておこう」という算段。
ちゃんちゃらおかぴー音頭である。

***

まあ交通機関が、そういった何も起きていないのに勝手に対応する中、そこに悪い方向の相乗効果をもたらすは、おやぢたちの暴走。
北千住に着いて、日比谷線に乗ろうと思えば、ホームは人の渦に・電車はあるのに出発しない。
先が詰まっているからだと言う。
そうして止まった電車は、止まる時間が長くなればなるほど、もうこれ以上乗れる訳も無いのに、そこに無理矢理乗ろうとするおやぢ。
結果、ドアを開閉しても、このおやぢが原因でドアは閉まらない。そうして、悪循環をおやぢが加速させる形で、どんどんどんどん遅れはさらにひどくなる。3・11の頃の「人災パニック」の再来。
中国や朝鮮のことを笑えないような光景。

上野で無理矢理乗り込む軍団

***


なんとか仕事場に着き、仕事の合間、昼だけ映っている地上波テレビ。
たいてい「ひるおび」がかかっている。理由は、何もせず相づちを打つだけが仕事のホステス、枡田 絵理奈(ますだ えりな)ちゃんと江藤愛ちゃんが、見た目可愛いくて・なごむだけのこと。

しかし、これまた「えっ( ̄○ ̄)!」となったのが、約1時間の枠の大半を「東京に雪!」とぐだぐだ時間を割いている事態。
想像するに、昨夜の間に、翌日の番組内容と企画を決めて、制作会社に下請丸投げしたクリップや映像等々が変更できないので、無理矢理「雪!雪!雪!」と押して時間稼ぎしながら、しのごうとする様。

3・11以降、防災だのなんだのかんだの言っているが、単なる「みぞれ」が少し降った程度で、こんな混乱する都市は、なんの反省もその気も無いことが手に取るように分かった。
たぶんというか絶対同じあやまちを繰り返すだろう。
そういう連中に引きずり込まれて、不慮の「人災」に遭うのはゴメンである。

やはり、集団から距離を置いて、自己防衛しかないな、と改めて思った一日だった。

そーゆーことで、普段は激しい音を聴く習慣から離れていたじぶんだが、内にこもった憤怒から、帰宅後、久々に激しい音を聴いて、ケガレを払おうとしている。
■Sex Pistols 「My Way」■






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2013年2月5日 火曜日 「明日は雪?」

2013-02-06 00:18:36 | 写真日和
 
今朝も暖かかったが、その中に吹くは北風だった。空は晴天の中、スジ雲がたくさん流れている朝だった。
 
今夜から明日に掛けて雪、というのは「どうだかねぇ~」と思っていた。
夜7時ごろ、外に出るタイミングがあって、空を見上げると雲が覆い尽くしていて、赤い空をしていた。
「雪ならずとも、雨は近づいているのかも」と感じる。

気象庁は、先日の雪並みになる可能性があると言うが、先日まったく空振りに終わったように、今回も「どうだかねぇ~」。
決して気象庁が、どうのこうの言うつもりは毛頭ない。過去の蓄積データがありながらも当たらない、というのは、もはや予測不能な段階に入ったのであろう。
 

 
根っこがペシミストの自分が「希望」などというと、じぶんを知る人は笑う。
そういう中だが、今夜はそんな言葉が入る、エンヤの「Hope Has A Place」を掛けたい。
 
■Enya 「Hope Has a Place」■


「・・・声を潜める世の中 嘆息がもらす嘆息 引いては満ちる海原の潮

呼吸ひとつ コトバひとつ それで終わりも始まりもする
それが、恋する者のムネに宿る、希望というもの

希望には、恋する者のムネに、居場所がある

恋を見やれ 夢見るもよし
去るべき恋ならば、つばさをくれておやり

けれどその恋が運命であるならば、それは希望の訪れ
これで、ココロは自由

天空の元 ヒトは、はるか旅に出る
人生という路上の、わたしたちはさまよいビト

だからこそ恋を目覚めさせ、恋を旅に出そう
恋する者のムネに、希望に、居場所を持たせよう
希望には、恋する者のムネに、居場所がある」

2月3日・向島某所 幸福が宿る、なかまの居場所にて
 

 

 

 

L=LUMIX・P=POWERSHOTにて撮影。
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2013年2月4日 月曜日 「カメライフ」

2013-02-04 22:13:57 | 写真日和

幼い頃から、いとおしい出来事や日々が消えていき、形として残らないことに、悲しい気持ちが、自分の中では沈殿していた。
「メランコリーじゅんちゃん」と笑いに変えて話すは、みうらじゅん先生であるが、みうら先生に負けずに、じぶんもメランコリー症候群であった。

夜、独りで寝ていると、妙に悲しい気持ちになった。
「いずれ、好きな人もじぶんもこの世から消えていくんだな」と思って、涙が頬を伝う夜がよくあった。

***

そんな中、瞬間を記憶に留められる・憧れの的はカメラに向いていたが、昔はカメラは高価なものだった。
やっとカメラが持てるようになったのは、中学以降の「おさがり」の大きなもの。手でフィルムを巻いて、ボタンもガシンガシンと鳴る具合のもの。

中学三年生・15歳の盛夏。愛する三ノ輪を離れなくてはならなくなった。
その際に、フィルム一本を費やし、当時一緒に住んでいた弟や妹のような存在だったいとこ、そして、自室に光が差し込む様を撮った。

***

そのカメラは、高校に入っても使っていたが、何より当時は撮影したものを現像しに、カメラ屋さんに出す値段がバカにならなくて、そんなたくさんの写真を撮影する訳には行かなかった。

そのカメラは結局、社会人になり一緒に大阪にまで同行し、当時の大好きな彼女やら風景を撮ったものだった。
その時代の変遷の中で現れた「使い捨てカメラ」も買って使ったりしたものだが、思うような写真が撮れた訳では無かった。

***

その次の代の、自分自身のお金でカメラを買うのは、東京に舞い戻った1996年4月以降のこと。
持ち歩きやすい「コンパクトカメラ」が登場し、自分はリコーのGRシリーズを購入する。

このカメラにはずいぶんとお世話になった。
持ち歩きやすさも良く、手にもようくフィットし、持ちながら歩き・瞬間を捕まえ・被写体に合わせ・撮る・また歩く・・・
その一連の流れる動作を相当考え抜いた、素晴らしいカメラだった。
(それはクルマで言えば、自分にとってのホンダと日産の違い。ホンダのクルマが、人間工学的に、人の動きにフィットするような感じ。)

これを手に入れてから、相当な量のフィルム本数を撮影した。それなりにお金の余裕も出来た頃のこと。
御徒町のいつも行くお店に現像を出しに行くのが、毎週末の日課。お店のおやじさんとも仲良くなった。

使い込んだ結果、キズだらけになり・動かなくなるまで、このカメラを使い切った。

***

既に世間では、デジタルカメラが出てはいたが(CDに抵抗してレコードに執着したように)フィルムにこだわっている時期が長かった。
しかし、リコーGRが壊れたことを契機にして、デジタルカメラを購入することにした。

最初に手に入れたのは、当時「世界最小」とうたっていた某メーカーのものだった。
4~5万円のものだったが、購入後、専用バッテリーで充電し、写真旅に出たが、とんでもないカメラであることが判明する。
スイッチを入れて、手前にレンズがにゅーっと出てくる。その後ピントを合わせようとカメラ側がする。
そんなことを数回繰り返すだけで、バッテリーが無くなりつつあるマークが出て「あぜん」。

しかも、撮影は、まだお日様が天にあるギラギラの夏。
そんなバッテリー負荷が少ない条件下で、こんなザマでは「旅のおともに」なんてなりえない。

しかもバッテリー自体も数回充電していくと、あっという間に消耗。
追加バッテリーを買うと4~5000円近い。

あまりにもひどいので、最初は顧客窓口対応に相談したが、結果、技術系の部署の方と会うに至った。
自分は「クレーマー」とは思っていない。問題は世の中にプレゼンされている特長ポイントと実態が余りに乖離し過ぎていることである。
そんなものに泣き寝入ってしまったのでは、たまったものじゃない。
100円ショップで買ったモノじゃあ無いんだから。

結果、このカメラは全てお返し(返品)することとなった。

この某メーカーは、かつて「サムライ」というカメラを出したように、先進性には長けていたのだが、使える物か?というと疑問符が付くモノが多かった。
サムライも、フィルムの半コマが1枚分で、現像すると引き延ばされて粗い仕上がりになったりと、「現実に使って、どうなるか」の検証をしたのか?疑問を覚えざるを得ない商品開発だった。

***

てなことで、デジカメ1号機を再度選び直すこととなった結果、たどり着いたのがフジのファインピックス。
これまた、リコーGR同様、ようく考えられた使いやすい素晴らしいカメラで、潰れるまで旅の友として、活躍してくれた。

その後、2号機としてキャノンのパワーショットを、今、使っている。

ファインピックスもパワーショットも電池式。専用バッテリーで嫌な目に会った事が要因だが、自分が撮る枚数がとてつもない量に膨らむに伴い、アルカリ電池の消費量がバカにならなくなってきたのも事実。
家にはごっそり、まだ有害ごみとして処理出来ていない使い終わったアルカリ電池が山のような状態。

撮る写真にボケやブレがあることには、何の抵抗も無い。むしろ味と思っている。
しかし、悩みであったのが、夜間になるとパワーショットで撮影するには、難があった。
撮影はフラッシュかノーフラッシュとなるが、フラッシュを炊くとアルカリ電池の消耗が激しく早い。
逆に、ノーフラッシュで撮ると、ボケやブレというレベルでは無く、何が映っているかさえ分からない真っ黒になってしまう。
シャッタースピードを落とす手も取ってはいたが、夜の闇世界を撮るには、少し不具合を感じていたのは事実だった。
また、酷使し過ぎたせいで、最近、奇妙な動きが出てきたのもあり、いざ壊れた際も考えて、別のものを用意しようと思い立った。

***

電気屋さんで、店員さんといろいろ相談したところ、今は専用バッテリーでも昔に比べれば進化していること、それに夜間撮るには、CCDセンサーとかいう機能や、更にその上にある「何とか(忘れた)」という機能が備わっていて、夜間でも正確に撮影が可能と言う。
自分は「正確に」撮影出来るのは好むものではないので、最先端機能で「しっかり」撮影されるのは困る。
という経路を辿って、程よいブレのあるCCDセンサーを備えたカメラから選択した。

結果、衝動買いをしたのがパナソニックの「LUMIX」。レンズはライカ。
日曜日の歩き旅にて、日が沈んだ後にテスト運用してみた。どーも「しっかり」撮れすぎてしまうのは難ではあるが、使いやすく気に入った。新しい自分の道具・歩き旅のお供となってくれそうである。
昔は、持ち歩きやすい軽さがわざわいして、逆に撮影するとブレブレもひどいものがデジカメは多かったが、技術の進歩はえらいものである。

。。。まあ、実は「LUMIX」を買うに至った衝動の契機となる事件があったのだが。。。それは、後日。
今夜は、テスト的に昨夜、曳舟・向島をうろついた際の写真を数枚。

バックには、既に「音楽が終わった後に」大学時代の1988年、クロオーヴァーイレヴンで偶然出会いカセットに録音した、スクリティ・ポリティの「オーヴァーナイト」を。
■Scritti Politti  「Overnite」1988■




























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2013年2月3日 日曜日 「節分の日」

2013-02-03 20:38:51 | 写真日和

土曜の朝、溜まる疲れが一気に押し寄せた。
6:30起きたあとも白痴のまま、ブログなぞを更新していたのだが、まったり感は続いた。

9時すぎ、ゴミをかき集めて外に出しに行くと「これって、春のきざしか?」
と思えるような、奇妙キテレツな生あったかい陽気。
ゴミを置いたあと、そのままポケットに入れたカメラ片手に、歩き出す。

近所にシャッターを切り続けながら、街をくねくね。とはいえ、30~40分もして戻ってくる。
10:30お腹がギューッと鳴るので、パスタを茹でてたらふく食べる。

さすれば、再度、眠りの渦の中に舞い戻る。
起きると21時を過ぎている。。。
「また、やってしもうたな」と思いつつ、伊集院光さんや久しぶりの爆笑問題のラジオmp3を聴いて過ごす。洗濯も掃除もする気力も無い堕落の極みで。

すると、午前0時近くに「あっ、来たな」と地震がやってくる。長く、気持ちの悪い揺れ方。
また、眠っていた何かが目覚めだしたか?と悟ったが、地震はやんだ。すぐにネットとNHK・TVでチェック。

北海道震度5強。釧路で起きた地震が、この東京下町まで来るとは。
気象庁の図は、東日本全体だけに震度マークがある。

思えば、31日につくばで朝観た空の奇妙な模様によぎるものはあったが、雲は自由に織り成すから、それも私のトラウマが成せる過敏症に過ぎないのだろうが。



深夜1時頃、再度パスタを茹でて食べたら、またもや睡魔の渦へ。

***

時折おとずれる「夢から覚めたくない病」。土曜も日曜も、途中途中起きていながらも「起きたって、何も良いことがあるわけじゃないし」と夢に戻ろうとする病気の発症。
素浪人の暗黒時代に、じぶんが精神病であることを肯定出来なかった中、昼夜逆転し、眠りから逃げられなくなったスパイラルがついよぎった。
思い出してはいけないネガティヴな時代。

結果、なんとか立ち上がったら13:40。「このままではイカン!」
そう思い、全てを投げ打って、ミニバックに7つ道具を詰めて、14時出発。
何はどうあれ、脱出するのじゃ!

と、外に出るとお向かいの優しい奥さんにあいさつ。ようく、
うちに遊びに来るミケちゃんとワンちゃんが居る。

長いお話しをしたことが無かったので、2人と遊びながら、奥さんにお話しを掛けてみる。
生き物好き同志では会話は成立するはず、と。
ずいぶん、いろんなお話しが出来た。ミケちゃんが捨てられたネコだったことを知る。
てっきり相棒クロちゃんと兄弟で、それは産んだお母さんネコが居るものだと思っていたのに。
奥さん「お出かけのジャマだから、そろそろこっち来なさい。」
かたちんば「大丈夫ですよ。」

そうして、2人にバイバイして、14:30。歩き旅に出た。
結果、18:30までの4時間に、向島・曳舟界隈を迷走し、900枚・8200歩の旅となった。
今日は、新たに並行で使うべく衝動買いした「某カメラ」のテスト運用もしてみた。

***


ついつい社会の中で生きていると「2月になれば、節分だ・・・そのあとはバレンタインデー・・・だ、ふざけるな」という気分になってしまう。
それは、巨大食品店・コンビニエンスストア・CMなどの「資本主義」へのアレルギーから来るものだが、実態は異なっていた。

写真を撮りながらぶらぶらしているうちに、人の流れから「ああ、そうか」と思って、その流れの源へと流れていった。
地元の守り神・白鬚神社にたどり着く。すると、偶然、それは15:00。舞台に鬼、境内には狭い所に大勢の家族や人々。
舞台の演出も楽しかったが、それが終わったあとに、みんな壇上から蒔かれる豆やお菓子や福のモノたち。
みんな、まるで子供のように手を上げて、その蒔かれたものを手に取ろうとしている。

2012年10月22日のコチャコ
じぶんは、コチャコが亡くなったので、喪中で初詣はしなかったが、この節分の中、地元に根付いた市井(しせい)の人々が、地元の守り神に集まり、日々の社会的仮面を脱いで、子供のように自由奔放に・うれしそうに・素(す)の姿で居る様に、言い得ない想いと幸福の瞬間を観た。

「節分」さえも色眼鏡で見ていたじぶんから、メガネが砕け散った。
幸福とは語ってしまえば逃げてしまうけれども、些細なところに宿っている。
写真を撮り、そんな想いで居たじぶんのところにも「福たおる」が飛んできて、キャッチした。
ついついニンマリしてしまった。
■Connie Francis  「My Happiness」1958■
(「日立サウンドブレイク」1985年1月・イン上野公園より)




















みんなで、もらった「福」をくらべっこ。





幸福に法則もマニュアルもない。
生きる瞬時の組み合わせに過ぎない。
出会うか出会わないかもダーツのようなものに過ぎない。
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2013年2月2日 土曜日 にゃんにゃんの日の朝

2013-02-02 08:24:09 | 写真日和

内臓不全以降、周囲の身内の助けを借りてきたが、昨年11月17日・添い寝をしながらコチャコの死にざまを目の当たりにしたのを契機に、独りで生きることの強化へ向けて・より自己制御を・・・と2ヶ月半心がけてきた。
具体的には、休みをはさむ1週間の中で、どうチカラを配分するか、だったり、過去の体内法則から、よりリスクを短時間で越えていくかだったり。

そうは言えども、まだまだ。ネコから学ぶことは、実に深い。じぶんなどは未だにガキ。
水曜日を越えた段階で、失速とバッテリー残量の過度な減少となる。
木曜日朝から、下山方向の山道に入るが、バッテリー残量とやることのバランスを、上手に調整する方法論が身につけられていない。

てなわけで、昨夜もさくりんさん・T.Muさんからのお便りは読んでいたが(お返事に時間をいただきます)、
なんとか泳げない川を必死になって対岸に着き、目から血が出るような眼痛・全身のだるさを覚えながら、缶ビール1本を痛飲し・パスタを食べると一気に脱力。

よだれを垂らしそうな白痴状態で、横になって0:30早々に仮死状態に入ってしまった。

***

トイレをもよおして、6:30に起きると溜まった疲れが一気に襲ってくる。
空を雲がとても早い速度で流れている。
今週あった出来事を、撮影した瞬間を眺めながら、ぼーっと冷蔵庫から缶ビールを持ち出し、呑んで疲れをまずは麻痺させようとする。

しばし、ポカンとしつつ、風景・温度・湿度・天候・気持ちの組合せのなかから、手にとったはローリー・アンダーソンの問題作「ビッグ・サイエンス」。

80年代頭・メジャー/マイナーが大幅別世界にちぎれたなかで、その間を繋ぐか・・・と一瞬思えた「オー・スーパーマン」のヒット。
その後、1982年「スタジオテクノポリス27」(FM東京・土曜深夜3時放送/DJ:ピーター・バラカン&矢野顕子)で出会った、静かな「ビッグ・サイエンス」を今朝は聴いている。
■Laurie Anderson 「Big Science」1982■



夜明けの月

うねる流れる雲

すりガラスを通した光

今週創った炊き込みごはん

ねこまんま

バロウズ

ビルディング

癒しのネコカレンダー

別にも好きなカレンダー
2月は、知的障害を持った川地幸子さんのアート作品「記憶2」
この色とストリームが構成する世界。とてもではないがかなわない素晴らしい作品。

昨夜の夜道

ラファエロ

ガスった空塔

味のあるカクテルのデザイン

カラフル

無為の境地
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