五 「緊縮と成長」政策
経済再生の成功
2050年日本の議会制ファシズムはその独裁的、抑圧的体質にもかかわらず、国民的に幅広い支持を受けているが、その最大の秘訣は20世紀末以来の歴史的な課題であった経済再生に成功したことにあると言われる。実のところ、ナチス政権も含め、過去の成功したファシズム体制はすべて経済危機に対処する経済再生政権でもあった。この法則は、2050年における日本ファシズムでも明確に実証されたのである。
実際、ファシスト政権成立前の日本経済は積年の財政赤字の累積に加え、深刻な労働人口減による生産力の低下が顕著となり、2040年代にはGDPでドイツにも抜かれ、世界第四位に後退していたのだった。そうした中、「緊縮と成長」をキャッチフレーズに登場したのがファシスト政権であった。「緊縮」と「成長」は相矛盾する面もあるが、それを同時に実行するのが「緊縮と成長」政策の妙味であり、これを可能にしたのがファシストの政治手法であった。
政権は議会審議を形骸化させる強権的な手法をもって経済再生策を矢継ぎ早に打ち出し、およそ半世紀ぶりの財政黒字化に成功、さらには年率3パーセント台の経済成長も実現したのだ。このような「緊縮と成長」政策は、以下の四本の柱から成り立っている。
第一の柱は脱社会保障、すなわち社会保障からの撤退(これについては、前章で詳述した)。第二は減税。第三に新自由主義の徹底(ただし、政権は「新自由主義」という標語を避け、「市場フロンティア政策」と自称している)。第四に外国人労働者の大量移入。
これらの政策を機動的に実行するため、政権は旧来の財政経済諮問会議を内閣府所属行政機関としての財政経済改革本部に改組したうえ、本部長を首相が兼任し(本部長代理は内閣官房長官が兼任、副本部長は民間起用大臣)、官邸の指令で一元的に政策を断行できる仕組みを作り出しているところである。