十四 銀行資本と信用制度(3)
銀行資本が象徴しているのは信用制度であるが、銀行信用を含めた信用制度の基礎には「再生産に携わっている資本家たちが互いに与え合う信用」、すなわち商業信用がある。
この信用(商業信用)を代表するものは、手形、すなわち確定支払期限のある債務証券、延払証券・・・・・である。
典型的には、約束手形が想定される。マルクスはここで、「われわれはさしあたり銀行業者信用は全然考慮しないこととする。」と断っているが、実際のところ、手形の支払い資金は銀行預金から支出されることが通常であり、また銀行は手形割引に引受人として関与し、その割引金利はプライムレートの基準となるなど、商業信用と銀行信用は密接にリンクしている。
ただ、こうした銀行信用との絡みを捨象した「純粋な商業信用の循環については、二つのことを言っておかなくてはならない」。
第一に、このような相互の債権の決済は、資本の還流にかかっている。すなわち、ただ延期されただけのW―Gにかかっている。
例えば、約束手形を振り出した業者Aが受取人の業者Bに支払うには、Aの商品が期日までに売れなければならない。すなわち、「支払は、再生産すなわち生産・消費過程の流動性にかかっているのである」。言い換えれば、「各人は、自分が手形を振り出したときには、自分自身の事業での資本の還流をあてにしていたか、またはその間に彼に手形の支払いをすべき第三者の事業での還流をあてにしていたかのどちらかでありうる」。
第二に、この信用制度は、現金支払の必要性をなくしてしまうものではない。
手形は貨幣の代替物ではないので、満期が到来すれば、現金決済しなければならない。「還流の見込みを別とすれば、支払いは、ただ、手形振出人が還流の遅れたときに自分の債務を履行するために処分できる準備資本によってのみ、可能となることができるのである」。
この商業信用にとっての限界は、それ自体として見れば、(1)産業家や商人の富、すなわち還流が遅れた場合の彼らの準備資本処分力であり、(2)この還流そのものである。
「手形が長期であればあるほど、まず第一に準備資本がそれだけ大きくなければならず、また価格の下落や市場の供給過剰による還流の減少または遅延の可能性がそれだけ大きくなる。さらに、もとの取引が商品価格の騰落をあてこんだ思惑によってひき起こされたのであれば、回収はますます不確実である」。そして、手形不渡りは企業倒産にもつながる信用失墜となる。
ところが、労働の生産力が発展し、したがってまた大規模生産が発展するにつれて、(1)市場が拡大されて生産地から遠くなり、(2)したがって信用が長期化されざるをえなくなり、したがってまた、(3)思惑的要素がますます取引を支配するようにならざるをえないということは、明らかである。
生産力が発展すれば遠隔取引や思惑取引も増大するため、商業信用は不可欠となる。「信用は、量的には生産の価値量の増大につれて増大し、時間的には市場がますます遠くなるにつれて長くなる。ここでは相互作用が行なわれる。生産過程の発展は信用を拡大し、そして信用は産業や商業の操作の拡大に導くのである」。
・・・・いま、この商業信用に本来の貨幣信用が加わる。産業家や商人どうしのあいだの前貸が、銀行業者や金貸業者から産業家や商人への貨幣前貸と混ぜ合わされる。
冒頭でも注記したとおり、商業信用は銀行信用とリンクしている。典型的には、手形割引である。手形割引などは実質上金融手段であり、これにより「各個の製造業者や商人にとって、多額の準備資本の必要が避けられ、また現実の還流への依存も避けられるのである」。
しかし、他面では、一部はただ融通手形のやりくりによって、また一部はただ手形づくりを目的とする商品取引によって、全過程が非常に複雑にされるのであって、外観上はまだ非常に堅実な取引と順調な還流とが静かに続いているように見えても、じつはもうずっと前から還流はただ詐欺にかかった金貸業者とか同じく詐欺にかかった生産者とかの犠牲によって行なわれているだけだということにもなるのである。
手形詐欺は資本主義経済ではしばしば発生する典型的な経済犯罪である。「それだから、いつでも事業は、まさに破局の直前にこそ、ほとんど過度にまで健全に見えるのである。」というのも、経験則であろう。
もっと大きく見れば、「事業は相変わらずいたって健全であり、市況は引き続き繁栄をきわめているのに、ある日突然崩壊が起きるのである」。これはいささか誇張であり、崩壊の前には市況に何らかの予兆が現われているものであるが、信用取引は複雑で目に見えにくいため、予兆の発見が遅れがちであることはたしかであり、それは信用経済が最高度に拡大した現代資本主義の恐ろしさである。