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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(37)

2015-09-20 | 〆リベラリストとの対話

∞:総括的対論(下)

コミュニスト:いよいよこの対論も最終回を迎えます。最後は「革命の社会学的可能性」がテーマですか。

リベラリスト:一番肝心なことでしょうからね。早速私の結論を言えば、少なくともあなたが提唱されるような共産主義革命の可能性はほぼゼロだろうということになります。

コミュニスト:おおむね予想された回答です。それにしても、そこまで悲観的な理由を改めてお聞かせください。

リベラリスト:そもそも革命というものが、すでに歴史の中の政治現象になっているという事実があります。たしかに、20世紀前半ぐらいまでは様々な革命が世界各地で見られました。我がアメリカ合衆国の成り立ちも革命によっていますし、あなたがたの近代日本を造った明治維新も青年サムライたちが主導した一種の革命でした。ロシア革命も、その名のとおり革命です。しかし、これらはすべて過去の出来事で、二度と繰り返されるものではありません。

コミュニスト:なぜ、そう決め付けられるのでしょう。たしかに、今挙げられたような「武装革命」は過去のものだとしても、私が提唱するような「非武装(非暴力)平和革命」は新たな時代の新たな革命の形態だと思うのですが。

リベラリスト:政治経済の機構が整備されてきた20世紀後半以降の世界において、革命という政治行動は、どのような「形態」のものであれ、ほとんどの人にとって想定外のこととなっているのです。もちろん特定の政権に対する抗議行動なら今も見られ、時に政権崩壊を結果するプチ革命的な行動は見られますが、それはいわゆる革命ではないし、まして共産主義革命などではありません。

コミュニスト:それは事実ですが、しかし今後とも人類は資本主義・市場経済の限界に気づかず、革命的に覚醒することはないと断言できますか。あなたは先ほど、共産主義革命の可能性は「ほぼゼロ」と言われましたが、裏を返せばわずかながら可能性はあるようにも聞こえますが。

リベラリスト:たしかに「資本主義・市場経済の限界」は見えても、一方でその利点についても認識されていて、それは人類にとっての基本路線だというのが地球的な規模での世論ではないでしょうか。もちろん世論は変化しますから、永遠に同じとは言いませんが。

コミュニスト:私は「世論」のような社会心理学的な要素よりも、先ほど指摘された政治経済的な機構の整備という社会物理学的な要素を重視します。たしかに、そうした「機構的整備」が革命の可能性を狭めているのは事実と認めますが、この「機構」はますます地球環境の持続可能性を危うくし、自身の存立基盤をも壊そうとしているのですから、「機構」を根底から変革する必要があるのです。

リベラリスト:私は、地球環境問題を契機に共産主義革命が起こるだろうという予測には否定的です。環境問題は抗議デモの旗印にはなっても、革命には結びつかないでしょう。そもそも自然環境と社会経済とを結びつけて考えるという発想自体が専門家的で、一般大衆はなかなかそのように発想しないものです。

コミュニスト:だとすれば、自然環境は人間の社会経済のあり方とは無関係だという宣伝が資本やそのイデオローグによってなされていることも影響しているでしょう。

リベラリスト:「資本主義経済が地球環境の持続可能性を害している」という命題が大衆にも容易にわかるほどに証明されれば、事情は変化するかもしれませんが、その命題は未証明の仮説の域を出ていません。それが証明されない間は、「機構」を根こそぎ変革しようという動きは出ないでしょう。たとえ証明されたとしても、「全世界での連続革命」などというものは、マルクス以来の机上論です。

コミュニスト:たしかに、マルクスの同時代である19世紀には机上論的であったでしょう。しかし、インターネットを通じたソーシャルネットワークの時代にはどうでしょう。

リベラリスト:私は一般的にソーシャルネットワークの価値は過大評価されていると思っています。インターネット草創期にも「ネットで世界とつながる」なんて言われていましたが、実際はどうだったでしょう。情報言語は世界共通ですが、ネットでも使用される人間の日常言語は世界共通化できず、ソーシャルネットワークでつながっているのは同じ言語を共有する国内にほぼ限られているのではありませんか。むしろソーシャルネットワークを通じて閉鎖的なナショナリズムが力を持つような逆説的現象すら見られるところです。

コミュニスト:たしかにインターネットは言語的障壁を完全には克服できていませんが、その点は多言語による即時翻訳ソフトの開発によって技術的に克服可能だと思います。また理想的とは言えませんが、英語のグローバルな普及はかなりの程度、言語的障壁を補っていると考えられます。

リベラリスト:また悲観的予測で申し訳ないですが、私はラングとパロールに分化する言語の性質上、完璧な翻訳ソフトの開発は困難と見ています。いちおう規則的に規範化されたラングの側面はともかく、個人的な言語運用にかかるパロールの側面でコンピュータは変換不能に陥ってしまうのです。ただし、英語の普及はたしかに言語的障壁の克服に一定役だちますが、英語の運用能力は教育程度によるところが大きく、大衆が自在に英語で世界中とやり取りし、世界連続革命を実行するという構図は空想的に思えます。

コミュニスト:この対論全体を通じて、リベラリズムとは革命的ペシミズムだと改めて認識致しました。

リベラリスト:決して「反革命的」と受け止めていただきたくないのですが、リベラリズムは「革命の前にできることはある」と考える点では、楽観主義なのです。それでうまくいかなければ革命の可能性も検討しようということで、保守主義のように「革命とは国家社会の秩序を破壊する犯罪である」と決め付けて、革命についての議論自体を封じようとするものでありません。ですから、反共主義でもなく、共産主義に関する議論に対しても開かれています。

コミュニスト:その意味では、「自由な共産主義」をめぐる議論は本来最終のないものという趣旨から、最後の「総括的対論」の回には無限記号∞を付しておきました。お相手ありがとうございました。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

〔注記〕
当連載で引用されている拙稿『共産論』は、旧版の内容を前提としています。最新版はこちらからご覧いただけます。

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