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農民の世界歴史(連載第17回)

2016-11-21 | 〆農民の世界歴史

第5章 日本の農民反乱

(1)日本における農民の階級分裂

 マルクスが『資本論』の注記において、「日本は、その土地所有の純封建的な組織とその発達した小農民経営をもって、たいていはブルジョワ的偏見にとらわれているわれわれのすべての史書よりはるかに忠実なヨーロッパ中世の姿を示している」と記した日本の封建制は、ヨーロッパのそれとは相当に異なった形成過程を持っている。
 飛鳥時代以降整備された中国流の律令制的班田制が中国の場合以上に建て前と化し、崩壊した後は、貴族や寺社を主体とする荘園制が発達したが、この時期の荘園制はある程度、西洋型封建制に近似していたかもしれない。
 しかし、荘園経営そのものに知識も関心もない貴族層は実際の田地経営実務を有力農民層である田堵に任せるようになった。やがて実力をつけた田堵は新田開発も積極的に担うようになり、開発領主化していく。
 開発領主には地元の郡司級豪族も含まれていたと見られるが、多くは農地の兼併によって富を蓄積した名主と呼ばれる農民(富農)出自であった。開発領主には農民に対する強力な支配権が与えられたため、この段階で農民間に階級分裂が生じ、一般の耕作民は農奴に近い存在となったと考えられる。
 開発領主層は次第に中央貴族らに土地を寄進して庇護を得る寄進荘園の荘官の地位を得るとともに、在庁官人にも任命され、地方行政まで握るようになった。かれらはまた、自衛のため武装もし、武士化していく。武家政権時代に入ると地頭制度が施行されるようになり、土地関係がいっそう複雑化するが、当初の地頭は武士化した荘官がそのまま御家人・地頭に補任され、武家支配体制に編入されていくケースが多かった。
 後に在地の国人等から下克上していく武家の多くは、家系を飾るため、源・平・藤氏のいずれかの系譜を称することが多かったが、確実に系図をたどれる家系はわずかで、多くは旧荘官層出自、元をただせば農民であったと考えられる。
 例えば、源氏系を称した徳川氏にしても、その系図は家康の頃に政治的に作出されたもので、旧姓の松平氏は三河の山あいの開発領主の出自である可能性が高い。しかも鎌倉時代の松平氏の事績は不明であり、地頭に補任された記録もないことから、元来は一介の名主にすぎなかった可能性すらある。
 とはいえ、武家政権下で地頭制が行き渡ると、農民の生活形態は一変した。従来は開発領主に従属する荘園公領の農奴的性質が強かったものが、地頭という新しい管理者の出現により、荘園公領制が崩壊し始めたことで、農民の自治的な村落の芽生えが見られたのであった。
 その際、村落農民らのまとめ役となったのが、名主層である。名主は旧開発領主層の末席に連なるような存在であったが、荘園公領制の解体に伴い、独立性を強め、村落の指導者として台頭していくのである。こうして、日本の場合は、農奴制的な従属からの農民の自治的な解放がやがて農民反乱の基盤となっていったであろう。

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