ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第470回)

2022-08-05 | 〆近代革命の社会力学

六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春

(7)シリア(未遂)革命

〈7‐4〉革命勢力の多岐分裂と革命の挫折
 「アラブの春」の一環としてのシリア革命のピークをなすのは、2012年7月の自由シリア軍による大攻勢を経て、同年11月に自由シリア軍を軍事組織として位置づける新たな革命組織としてシリア革命・反体制諸派連合(以下、連合)が樹立された時と言える。
 しかし、逆説的なことに、これを機に革命は成功ではなく、かえって挫折に向けて転回していくこととなる。そのような経過を辿った要因として、国民連合・自由シリア軍ともに明確な理念を欠き、反アサド体制の一点のみで一致した諸勢力・グループの寄せ集めで成り立っていたことがある。
 連合について言えば、この組織は大小の反体制組織及び個人が加入する寄合所帯であるうえに、カタールのドーハで結成され、国外で活動するある種の亡命政府の性格を有し、シリア国内に十分な支持基盤を持たない。
 また連合の軍事組織として位置づけられた自由シリア軍にしても同様で、政府軍離脱者を中核とする諸々の武装勢力・グループの寄せ集めで成り立っており、創設者のアサアド大佐も強力な求心力を欠いていた。
 一方で、自由シリア軍が宗教勢力とのつながりを持っていたことは短期間で勢力を拡大する成功要因であったと同時に、イスラーム過激派の浸透という新たな問題を抱え込む要因ともなった。
 実際、自由シリア軍はシリア(及びレバノン)におけるアル‐カーイダ系組織であるアル‐ヌスラ戦線と共闘するようになっており、このことは同組織をテロ組織とみなす欧米諸国の自由シリア軍への支援を躊躇させる要因となった。
 元来、指揮系統が統一されず混乱ぎみの自由シリア軍に代わり、イデオロギー的な忠誠心で結ばれ、作戦面の統一も取れたイスラーム過激組織が、内戦の長期化に伴い反体制勢力の中核にのし上がっていった。
 2013年に入ると、国民連合・自由シリア軍の対抗力が一層弱化する中、政府側は父アサドの出身部門でもある強力な空軍をベースに、化学兵器まで投入した苛烈な反乱鎮圧作戦を展開するようになり、次第に優勢を回復していく。
 その結果、自由シリア軍は2013年末にはシリア国内の拠点を喪失する一方、シリア政府の実効支配が及ばなくなっていた北部には、隣国イラクに登場した新たな過激組織・イスラーム国(IS)が侵入し、イスラーム国家の樹立を宣言するなど、革命運動は実質的な崩壊に向かう。
 2014年6月に内戦渦中でアサド大統領が三選を果たしたのに続き、8月にはISが北部のラッカを制圧したことは、革命の挫折を象徴する出来事となった。革命派が勢力を回復する可能性も残されてはいるが、ロシア軍の支援も受けて強化されたアサド体制打倒の現実的可能性は遠のいたと言える。
 こうした結末は、アサド一族体制成立以前の1960年代から半世紀以上にわたって続くバアス党支配体制の岩盤化された支持基盤と、その反面としての野党・反体制勢力の未発達・断片化という現代シリアの政治社会構造の特徴から説明できるであろう。

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