六十六 アラブ連続民衆革命:アラブの春
(10)イスラーム主義の伸長
「アラブの春」はイデオロギー色の薄い民衆の自然発生的な蜂起によって継起した連続革命であったが、その中心諸国が世俗主義的‐社会主義的な共和制であったことを反映し、反動として復古的なイスラーム主義勢力の伸長を結果した。
そうしたイスラーム主義の発現の仕方は各国で異なり、合法的な選挙を通じたものから、武装蜂起あるいは外部からの軍事侵攻によるものまで、各国革命の力学状況により様々であった。
「アラブの春」全体の端緒となったチュニジアでは革命直後の制憲議会選挙では解禁されたばかりの穏健イスラーム主義政党・覚醒運動が第一党となり連立政権を形成した。同党は新憲法下での各総選挙で議席を減らしてきているものの、以後も連立与党には継続的に参加し、保守的な影響力を保持している。
エジプトでは、1952年共和革命以来、しばしば弾圧されてきたムスリム同胞団系の自由公正党が革命後の議会選挙で躍進し、2012年の大統領選挙では決選投票の末、同党のムハンマド・ムルシ―が当選、同胞団系政権が合法的に成立した。
しかし、ムルシ―は就任するや、大統領権限の強化を画策し、批判派への弾圧を開始、さらに経済政策でも失敗するなど、たちまち国民的な支持を失い、抗議行動に直面する中、元来関係が険悪な軍部のクーデターを招き、わずか一年余りで失権、軍事政権が復活した。
以上のような合法的な形での伸長とは逆に、非合法な形での伸長が見られたのはイエメンである。ここでは宗派対立及び旧分断国家における南北対立を背景に、シーア派武装勢力(通称フーシ派)が首都サナアを制圧して世俗主義政権を放逐したことで、イランを背後する同派の北部政権と、南部アデンに遷都し、サウジアラビア・アラブ首長国連邦を背後とする世俗主義政権との分裂、長期内戦の端緒となった。
一方、リビアでは革命後の合法的な選挙でイスラーム主義派は敗北したが、世俗派に反発するイスラーム主義勢力が武装蜂起して首都トリポリを制圧したため、トリポリ政府とトブルクに遷都した世俗派の東西分裂・内戦に突入した。
革命勢力が多岐に分裂したシリアでは、より過激な形での伸長が見られ、アル‐カーイダ系武装勢力が革命勢力の中核に台頭したことに加え、政府の実効支配が及ばなくなった北部では隣国イラクでアル‐カーイダから派生した武装勢力・イスラーム国が侵入してイスラーム国家を樹立するに至った。
また、半革命により議院内閣制が導入されたモロッコでも、憲法改正後の総選挙で穏健イスラーム主義の公正発展党が第一党に躍進し、継続的に政権を形成する状況が見られた(2021年総選挙では惨敗・下野した)。
総体として、革命後に合法的な選挙制度が確立された諸国では穏健イスラーム主義の伸長が見られ、確立されなかった諸国では過激なイスラーム主義が伸張し、国家分裂や内戦を助長するという対照的な経過が観察される。