六十六ノ二 ロジャヴァ・クルド革命
(3)革命自治体制の樹立と地政学的展開
前回見たように、2012年7月に始まるロジャヴァ地方でのクルド革命は、シリア政府軍の戦略的撤退の結果、ほぼ不戦勝の形でひとまず成功し、同年8月初旬には、クルド人民防衛隊(YPG)が制圧した各都市ではクルド人政治組織が自治を行う旨の発表がなされた。
ただし、この発表はアラブ系左派系政党の連合組織である「民主的変化のための全国調整委員会」名義で行われた。この組織はその名称にもかかわらず、事実上はシリア政府の協調組織と見られており、そうした組織による自治容認の声明は、シリア政府の意向を代弁したものと考えられる。
政府軍の戦略的撤退の方針と併せてみると、これはシリア政府がロジャヴァのクルド人自治を黙認したとも取れるところであり、実際、これ以降、ロジャヴァ地方は面的にもYPGの支配下に置かれていった。
こうして、情勢が比較的安定する2014年まで、ロジャヴァ地方は軍事組織であるYPGによる事実上の軍政下にあったが、同年1月、YPGは正式に自治体制―北東シリア自治体(Rêveberiya Xweser a Bakur û Rojhilatê Sûriyeyê)―の樹立を宣明し、ロジャヴァ憲法を制定、同憲法に基づき各行政区域(カントン)の民衆自治組織による施政が開始された。
とはいえ、ロジャヴァを含むシリア北部にはイラク側からイスラーム過激組織・イスラーム国(IS)が侵入、勢力を広げ、2014年9月にはクルド革命発祥地であるコバニがISに包囲されたが、イラクのクルド人自治区軍ペシュメルガとの共同作戦によって撃退した。
この作戦では、アメリカ軍も共通敵ISに対抗するため、空軍を投入してYPGを支援しており、ロジャヴァ自治革命体制はIS及びシリアのアサド体制双方と敵対するアメリカからも事実上の承認を受けたことになる。
ちなみに、このコバニ包囲戦を機に、YPGを軸としてアラブ系やキリスト教徒系も加わった新たな合同民兵組織・シリア民主軍が結成され、2017年9月にはISが「首都」を自称していたラッカを攻撃してISを駆逐する成果も上げた。
より複雑なのは自治を黙認しつつも要衝奪回の意図は放棄していないシリア政府との関係で、2015年にロジャヴァ地方に属する都市ハサカで政府軍との武力衝突が生じたが、これはロシアの仲介を得て鎮静化された。
続いて2016年以降は、ロジャヴァ革命がトルコ国内のクルド人勢力に波及することを恐れるトルコが数次の侵攻作戦を開始し、国境沿いに数百キロに及ぶ「安全地帯」と称する実質的な占領地を切り取ったため、クルド自治体制の支配領域は縮小を余儀なくされた。
こうして、ロジャヴァ自治体制はシリア北部の複雑な地政学に直面し、その帰趨は予断を許さないが、トルコへの対処の過程で、シリア政府軍の支援を求め、シリアもこれを応諾して以来、アサド体制との協調関係が生じており、この限りでは革命性を喪失し、アサド体制の一部に取り込まれつつある。
一方で、トルコの侵攻作戦に際してアメリカが和平工作に動くなど、アサド体制と敵対するアメリカの支持も引き続き受けながら、アサド体制の後ろ盾であるロシアともパイプを持つなど、対外的にも「非同盟」に似た複雑な関係性に置かれている。