しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

名句、明言

2012年06月16日 | Weblog
「一つ。酒のむは、罪にて候うか。」
答。
「まかとにはのむへくもなけれとも、この世の習い。」

飲まないにこしたことはないが、この世の風習だから仕方がない。
法然「百四十五箇条問答」

終生、立派に戒を守り続けた。彼の生活態度は賞賛されている。
法然はそのような高僧だった。

「念仏の時、睡(ねぶり9におかされて行を怠り侍る事、いかがしてこの障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける。いと尊かりけり。

念仏の途中で睡魔に襲われ、眠くなって困る。どうしたらよいか。と尋ねると
法然は「目が醒めてから念仏すればよい」とした。
大方の反応は「顔を洗え」「気持ちが入っていない」と一喝する筈だ。
法然は「必要悪」を容認した高僧であった。

善か悪かの判断は、宗教の原理。
必要か不必要かの判断は、政治の原理。
この二つは全く異次元の原理であって、これを混同してはならない。
たとえ、人間が生活していく上で必要なものであっても、それが宗教的に「悪」で
あれば、それを抑える努力をせなばならない。

「必要悪」に対しても、そのような努力が必要である。と説いた。
自らは厳しい戒律を守ったが、戒律を守ることができない、弱い人間を救済せんとする
仏の心を伝えた。
戒律を守れぬ弱さが、救済の契機となると教えている。
「増原良彦」日本の名句・明言の一節である。「講談社現代新書」

ブログのネタを探して時間が過ぎた時に出会った本でした。
眠くなったら寝て、書きたい時に書いて、食べたい時に食べれば良い。
自らは厳しい戒律を課し、賞賛された生活態度の高僧がこの様な教えを行う。

そこに凡人の思い至らぬ叡智の深みに感銘を受けるコーチャンの姿が見えました。^^

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