中央区地域課が事務局となってくれる地域の会議があった。下町と呼ばれる新潟市の地域住民が多く住む地域で活動する団体によびかけ、意見交換を行う企画だった。
かってこの地域は北前船と呼ばれた物資運搬船が頻繁に寄港し、日本中の物資を廻船運搬し、活況を呈した。江戸中期から明治初期には人口も拡大し、明治初期には東京を抜いて日本一の人口を擁する地域だった。
廻船問屋は繁盛し、料亭文化も花盛り、多くの寺町と芸妓の集う一郭も有名になり、全国から文人が訪れた地だった。
このころの時代=北前船時代の賑わいを取り戻し、地域振興策を具体化したい。6つしかない湊町の一つ。開港5港の一つ。この特性を活かす企画。
それが「北前船」をモチーフとした地域振興企画だった。残念なことに「北前船」については地域はあまりにも「耳慣れない言葉だった」。???と言う印象を述べる地域役員
ばかりでこのテーマで地域振興を呼びかけることはかなりハードルが高かった。
もう少し時間をかけて気分の醸成を図ったほうがいい。現在あるもの、新しくできた「早川堀」を生かす工夫の方が良い。との意見が多かった。
一つの起爆剤となれば良い。そうゆう言葉が座長から出た。
大きなテーマだ。「北前船をモチーフとする町興し」