国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

放送禁止用語の使い方

2024-06-14 08:14:41 | Cat

●ピー音が出るカプセルトイである。
 ほら、テレビで放送禁止用語を使ったときに出る音である。
 
●便利そうである。
 
●客いじりで使うとなにかいけないことを言っている感が出る。
 なお、実際に言ってはいけない。
 
●最初の自己紹介からピー音。
 何者だ、こいつ危ないやつなのか感が出るよね。
 
 ぁゃしぃ。
 
●マジックで変な空気に=ぶっちゃけ滑った感じになったときの保険。
 ま。なんとかしてくれるだろ。
 
●いわゆる飛び道具だが、これに頼るのは危険。
 鳴らしっぱなしでは限界効用逓減の法則を出すまでもなく、効果は減っていく。
 
 使えば使うほど面白くなる人もいるかもいしれないが、そういう人はピー音を使わなくても面白いのだ。
 
●コンテストでどこで使用するか、迷い中である。
 
 というか、だいたい決めちった。
 
●コンテストのある10月は、まだ先のことである。
 しかし、だからといって油断する気はないのである。
 以前にも書いたが、月に一回くらいしか通しで演じる機会がないのである。
 7月病院系列の施設でのボランティア。8月プチ自主公演のリハーサル(義母に来てもらう予定)。
 9月プチ自主公演。
 
 脳内でピーーしないといけないのだ。
 
 
 
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名猫伝~マサムネ編~(再掲)

2021-06-02 10:51:00 | Cat
●彼との出会いは特殊なものであった。

 隣の廃屋で猫の声が聞こえ続けるので、隣の家にシンニュウしたところ(犯罪だろうか、もう時効だし、猫助けだし、許されてもいいと思う)風呂桶の中で一人鳴いていたのである。

 つるつる滑るのに登ろうとしていたのである。しかも、子猫にとっては結構な高さだ。

 おそらくは母猫はそこで子を産み、彼を置いていったらしい。彼だけ(普通、猫は複数匹の子を産みますよね)が取り残されたのは、偶然か、それとも何かしらの理由―例えば生存競争にスタートの時点で負けている猫であったとか―があったのかはわからないのだけれども、「見義不為、無勇也」の精神で家に連れて帰った。

 なぜに勇気が必要だったかというとウチには当時、猫が8匹おり、猫同士の関係も複雑で、これ以上、家庭内猫を増やすのも限界かと思われたからである。

 ちなみに我が家では猫を飼うのは家庭内と決めており、外猫になったのは一匹しかいない。

●しかし、子猫の力は偉大である。何故にああもかわいいのか。

 私が責任をもって飼うということで、飼うことが決定した。

 その責任の一つがミルク(猫用)をあげるであった。さすがにいつもというわけではない(学校に通っていたからね)が、彼の最初の食事は私が行った。

 彼の大きさとさほど変わらぬ大きさの哺乳瓶なのに、すごい勢いで飲んでいった。

 ほんとうに「ちゅー」という擬音は正しいのだなと感心した。

 飲み終わったあと、悲劇が起きた。

 鼻と口からミルクを吐き出したのである。

 母はげっぷをさせたかと聞いてきた。そういうものなのかと思い、もう一度、哺乳瓶でミルクをあげてから、背中をさすり、げっぷをさせると本当に吐き出さなかった。

●その後も私による(母の協力も大きかったが)子育ては続き、名前も「マサムネ(愛称;マチャムネ)」に決まった。

 白と黒の猫で片目に黒い部分がかかっていたので独眼竜になぞらえたわけだ。

●こんな悲喜劇もあった。

 私に甘えた彼は爪をたてながら私をよじ登り、肩まで到達した後、頭から落ちていったのだ。

 子猫にとっては結構な高さである。彼はピクリとも動かなくなった。

 「し、死んだ?」と思い、怯えていたら、いきなり彼は頭を振りながら立ち上がり、走りだしたのだ。

 頭をうってしまい、どうかしてしまったのだろうか。私は不安だったが。まあ、普通の猫であった。

●8匹の先住猫たちからは適度に距離を置かれながらも、彼の天真爛漫な性格ゆえからか、ケンカになることはなかった。

 冬のこたつの中でなら一緒にいてもいいくらいの距離にいたのである。

●一度、彼が病気で七転八倒するのを見たことがある。

 突然、暴れまわったのだ。あとで医師に聞くと、自力で立てなくなったことにパニックになって暴れたのであろうということだ。

 私は彼を責任持って育てている以上、まずは彼を暴れさせないことにした。

 バスタオルを左腕に巻き、彼のお腹のあたりに置いた。彼は私の上にしがみつき、私は右手で背中を撫で、落ち着かせた。

 これがいい判断だったのかよくわからないが、彼を無事に病院へ連れていけたので、当時の自分としてはよくやったと思う。

 持病があったあたり、生存競争には、あまり向いてなかったのかもしれない。

●持病持ちの割には長生きした(18歳くらいまで生きた)彼の人生(猫生なんて言ってやるもんか)の終わりは老衰としか言いようがなかった。

●私が噛みくだいたものしか食べなくなっていた。あとは点滴であった。

 私が食卓に着くとストーブの前の箱からよたよたと這い出し、片手を私の膝に置く。

 私は噛みくだいた食べ物を彼に与える。ちなみに母はソーセージを二本余分に皿に盛るようになった。

 マサムネの分である。

●最期の日は、こうである。

 朝、起き上がり、私から食事をもらう。ソーセージ一本分も食べたかどうか。

 仕事(もう私は社会人になっていた)から帰ると、もう、箱から出られなくなっていたが、食卓に座ると私の方をじっと見て、くしゃみを一つして、顔をぱたんとさせた。

 食事を終えた(ソーセージを二本余計に食べた)後、おやすみをマサムネに言い、頭をなでると死んでいた。

 やすらかな顔だったと思う。



●最初から最後まで私が食事を与えた猫である。

 名猫でないわけがないのである。


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名猫伝~コジロー編~

2020-02-19 20:00:20 | Cat
●私が自宅内で最初に飼った猫である。ちなみに茶色と白の猫である。

●当時、飼っていた犬がムサシであったことより命名。

●元は隣家に生まれた猫で4匹の兄弟がいた。

 私はその中でも一番不細工な猫を選んだ。近所にいた不細工な猫が父親であるにちがいないし、その不細工な父親猫と思われる猫に愛嬌を感じていたのである。

 もっとも、彼は成猫すると、飼い主のひいき目があるとはいえ、かなりの男前の猫となるのだが。

●彼は屋内で飼っていた猫であるが、その冒険心からか、外に脱出することがしばしばあった。

 あるとき、近所の外国産の猫と喧嘩をしていたことがある。一方的に負け、悲しいかなフンをもらした。

 私の父から笑われ(母はそれをたしなめた)、しばらく外に出ることもなくなり、やっぱり外が恐ろしいのかなどと思っていたが、ある日、突然外へ脱走した。

 おそらくだが、あの外国産の猫と戦うためであったのだろう。彼は外国産の猫と戦い、我が家の庭から追い出すことに成功した。

 猫がどのような鍛錬の方法を持っているかは、寡聞にして知らないが、おそらくはたゆまぬ努力をしていたにちがいない。

●彼は私たちが拾ってきた茶色と白の雌猫と結婚した。ちなみに拾ってきた理由はコジローに似ていたからである。

 彼の妻の名前はトモエとなったが、ここではコジローを中心に語ろう。

●トモエが母の部屋で4匹の子猫を生んだ時に気をつけたのはコジローの母の部屋への侵入であった。

 もしも、子猫に危害を加えたら困るからである。何か漫画でそのような事例を読んだのである。

 しかし、猫の行動というのは制限できない。子育てに飽きたトモエが外に出るタイミングとコジローが部屋へ侵入しようとしていたタイミングがあってしまったのだ。

 コジローが最初にした行動は娘たちを(そう、書き忘れていたが、すべて雌であった)なめてあげることだった。彼には育児の才能があったのである。

 乳が出ないことに困っているように見えたが、それ以外はうまく長いしっぽを利用したり、くわえて適当なところ(猫にとっておそらくあるのだろう)に連れていったりして子育てをしていた。

 母猫のトモエは乳をあげる以外、子育てをしていないのではないかと思うくらい、ほとんどの育児は彼が行っていた。実に献身的な父猫ぶりであった。

●親子のつながりと、コジローの名猫っぷりを示すエピソードがある。

 かなり後になってのことだが、引っ越しをした日のことだ。

 猫を逃げられないように一部屋(奇しくも幼き日を過ごした私の母の部屋である)に娘の猫たち全員を閉じ込めていた。

 機動力の高いコジローはどんな手を使って脱出するかはわからないので、ペットキャリーに入れて私たちの監視下に置かれていた。

 しかしながら、娘の猫たちはたくさんの他人の気配や荷物を動かす音に怯え鳴き続けていた。

 そこでコジローを娘の猫たちのいる母の部屋へ入れてみることにした。

 さすがコジロー、立派な父猫であった。娘らは彼の周囲に集まり、安心してくつろぎ始めたのである。

 泣き続けて疲れたのか、寝始める娘猫もいた。

 泰然自若としたコジローに感動しつつ、「偉いぞ、コジロー」と言って抱き上げると、彼はかすかに震えていた。

 娘の前では落ち着いていた彼も他人が家の中を歩き回る状況は怖かったのだ。

 私は見栄の張り方を彼から習ったと思う。これは過言ではない。

●彼は付き合いの良い猫であった。

 私が昼寝したときに彼の手を握っていたのだが、3時間ほどたっても、その手を振り払っていなかった。

 一緒に寝ていてくれたのだ。しかも、ほとんど動かずに。

 気ままな猫にとっては難事であったことだろうと今でも思う。

●犬のムサシとも仲が良かった。

 ムサシが老いて動けなくなったときは一緒に寝たことがある。

 それまでは一緒に寝たことはなかったのにである。

 その二日後にムサシはなくなったが、そのことをコジローは気がついていた。

 そう信じてやまない。

●不思議とコジローの最期が思い出せない。

 おそらくは猫にしては長寿で大往生したはずである。

 少なくとも娘猫たちよりは長生きしたはずである。

 生きている間の思い出はここに記した以上に多くあるが、最期の思い出がない。

 これこそ名猫と言えるのではなかろうか。



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首都圏時代の猫たち

2013-01-06 16:56:45 | Cat
首都圏時代の猫たち


●新年なので、使ったことがない機能を使ってみた。

●猫を飼いたくなったよ。



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あ~

2011-07-01 03:52:00 | Cat
●真夜中に突然だが、猫を飼いたいという思いが止まらない!


●あ~
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ネコ小屋

2008-03-22 09:34:39 | Cat
●ウチの外にあるネコ小屋。
 台風の時は飛んだこともある。
 
●旧世代から新世代までいろいろいる。

●何匹かのネコのお腹にはさらなる世代がいそう。


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がんばっていらっしゃる

2007-07-09 08:02:13 | Cat
高齢の猫のはずだが、子育て中。

ここ数年、うまく子育てができなかったんだけど、今回はいい感じに育っている。

4匹の子猫がいるんだが、写真を撮る瞬間に一匹逃げる。

ちなみに撮り終わったあとは、一匹しか残らなかった。

その一匹を思わず、撫でる撫でる。

なんか、あれだね。子猫ってすごいよな。

あの大きさで生きているなんて。

コメント (6)
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猫小屋

2007-05-18 07:17:38 | Cat
現在、ウチで保護している猫らです。あくまでも保護。

前の2匹は完全に寝きっておりますが、よく見ると奥の一匹はおいらを疑っていますね。

奥のはまだ、子猫と言えなくもない猫なんですが、なかなかなついてくれない…。

コメント (9)
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体格差

2005-11-23 15:10:42 | Cat
同じ日に同じ親から生まれたとは思えないな

【追記】
11・30

生まれたときに病気になって生死をさまよったのが小さいほうです。
最近、必死に食べているので、冬を越すのに必死なんだなと感じます。
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母ネコの仕事

2005-05-16 22:07:29 | Cat
授乳中。
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