国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

いたって平穏な日と思っていたら

2019-01-29 19:56:50 | 日記
●ここ5年で3回引っ越しをしているせいで、多くのものを処分したり、行方不明にしたりしている。

 どれを処分したかもわからなくなっているしな。

●お米をくれる、かつ、マジックを趣味にしている友人へのプレゼントにするためと、自分のためにマジック道具を探す日々。

 今日もそう。

●一日に1回は手品の練習をするようにしている。今日は久しぶりにフェイスバックイリュージョンを練習した。説明書はないが、体が覚えているもんだね。

 パケットトリックって病人にも向いているのかしらん。演じるのが増えてきそうな気がする。

●内田樹さまの本を読む。この方の本も行方不明になっているのが多い。一部、PCに入力する。

●そんな中、橋本治氏の訃報を知る。

 合掌。



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マジックのリハビリと日記37

2019-01-27 12:45:56 | マジックのリハビリと日記
●某日。「絶えなば絶えね〇〇〇」というメールをいただき、古語で言う「あさまし」の気分になる。あさまし=意外なことに驚き呆れる。

 〇〇〇のところは時事ネタ。

●いつも一日一回は手品にふれるようにしているのだが、手順を少し変え始める。「PLAY TIME」影響大

●おとなりさん(By今西章氏)→ラストトリック→ジャズエーセス→ナイン(By今西章氏)→リンキングリング

 ↑のような感じ。ナインは三人分を一人でやっているよ。いつの日か他人様に見せる日のために。

 まぁ、ほかのマジックもいつの日か他人様に見せる日のためにやっているんですけど。

●ナインは本当に面白い。二人の観客を探さなくては。

 そういえば「PLAY TIME」の記事の中で「マジシャンと友人と私の三人」というのは全員「マジシャン」ではないのかという反応があった。

「地元のマジシャンとマジックを趣味とする友人とマジックが下手なりに好きな私」の三人である。

●某日。探し物をすると、前に探して見つからないのが出てくる。井上陽水様の例の曲を思い出してしまう。

 そのうち、一日一回の練習マジックにそのあたりもいれようかと思う。

●それにしてもセルフワーキングをやりたがっている自分がいる。今の自分ではできないことが多すぎるせいか、セルフワーキングに頼ってしまうんだろう。

 まぁ元々、セルフワーキングトリックが好きなんだが。

●某日。珍しくカップ&ボールをいじる。



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PLAY TIME(プレイタイム)by AKIRA IMANISHI

2019-01-22 16:47:21 | マジック
●今西章氏のファーストソロDVDである。

 正式名称は【冬のごほうび!】PLAY TIMEなんだろうかと思うくらい【冬のごほうび!】感満載のDVDであった。

●今の私(闘病中)には全部が易しいというわけではないが、ほぼ全作品挑戦しようという気にさせてくれる作品集であった。

●今西さんの解説も丁寧だし、聞き手のゆうきとも師の言葉や反応でポイントとなるところも明確になっている。


「あたりつき」
 別記事参照

「ナイン」
 そのうち、マジシャンと友人と私の三人で会う機会がありそうなのだが、この作品はありがたかった。
 見せる作品をゲットしたのである。
 観客が混ぜるときの工夫がいい。まさか、あれを混ぜさせるなんて頭いいなぁと感じた一作である。

「さざなみ」 
 小さいトライアンフとしてはミニトラ以来の感動作。


「さざなみの応用」
 先の作品の応用である。先の作品ができれば、楽にできる。本当に合理的な作品である。
 あの錯覚やこの錯覚を使うところが非常に好みの作品である。トライアンフが苦手な私も実演可能な作品でありがたい。
 「あの」「この」とかじゃわかりにくいと思うけど、手品の紹介だから許してください。詳しくは購入してくだされ。

「キャッチャーズ」
  私にとって憧れのコレクター現象を二回もやるなんて、ずるい(誉め言葉)。

「おとなりさん」
 かっこいい! 賢い!

「メモリーズ」
 レインボーデックが好きな私にとって色々な種類のカードを取り出していくところはめちゃくちゃ好み。 
 さらに言えばカード・トゥ・ウォレットも好みな私にとってこのマジックはいいわぁと思える作品でした。
 財布並みに不可能感があるので、観客も意外な結末に驚くことになるし、「今日は特別ですよ」とか言って観客へ渡せば記念となるカードにもなっちゃう良いことづくめのカードマジック。

「プレイタイム」
 表題作であるだけに傑作。思わず画面を見ながら「まさかぁ」とつぶやいてしまった。
 解説をきいて「えーっ!」と驚いてしまいました。
 友人とマジシャンと私の三人で会うときに、これと「ナイン」のどちらを演じようかしらん。

「アンバランス」
 あー、びっくりした。


●昔から私は一つのDVDに一つでも実演できるマジックがあれば黒字という考えなんだが、これは大黒字。

 まして元気なころの私なら全作品できただろう。

 今年最初に購入したマジックの商品としてはかなりいいものであった。

●さすが【冬のごほうび!】である。

●まだご購入されていない方は冬のごほうびにいかがですか。




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3カードモンテ外伝 「あたりつき」 By今西章

2019-01-22 16:30:00 | 3カードモンテ
●唐突だが、モンテ以外のパケットなんだが、B'wave(ビー・ウェーブ)というマジックが好きだ。

●詳しくはリンク先を見てほしいが、4種類の同じ数字のカードの中の一枚が衝撃的な形で予言されているという作品である。

●そして、、当然だが、3カードモンテも好きだ。

●で、だ。

●その両作品をあわせたような面白さの作品が今西章氏による作品が「あたりつき」である。

●観客の選んだマークがあたりで他がはずれであることが〇×で表現されているのだ。

●しかも、解説を聞くとその大胆さに驚いた。改めが図々しい(誉め言葉)のだ。しかも合理的だし。

●パケットケースに入れておきたい作品だったので、外伝として紹介してみました。



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マジックのリハビリと日記36

2019-01-22 16:15:00 | マジックのリハビリと日記
●某日から某日。寝込む。

●某日。友人からもらったお米を食す。

 初めて炊飯器の銘柄炊き機能を用いたよ。

 うまかった。
 
 復活の兆しあり。

 お米は元気の源だね。

●某日から某日。

 一日に一回は手品をする。

 オイル&ウォーター→エースオープナー→ラスト・トリック→ジャズエーセスカラーチェンジング・ナイフ

 ↑の順序でリハビリ。

●しかし、パドルムーブがうまくいかないわぁ。指の筋力が落ちたか、不器用になったか。

 それにしても、ゆうきとも師のパドル・ムーブは美しいなぁ。しかも必要最小限しか用いないし。

パドルだぁい好きな私が、しかもパドルコレクターである私がカラーチェンジング・ナイフに苦しむなんて。

●某日、今年、初めてのマジック商品(DVDな)を購入する。

●某日、リハビリの手順を友人に見せる予定が、諸事情でリンキング・リングに変更をすることになった。


●某日、リンキング・リングのリハビリ開始。

 大分、昔、好んでやっていた手順を忘れているなぁ。



●そんな日々。
 

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中高生のための内田樹(さま) その31

2019-01-21 13:33:33 | 中高生のための内田樹(さま)
日本の私学を代表するW大学とM大学が同じ年に内田樹さまの『街場の現代思想』のほぼ同じ箇所が入試に出題されていたことがある。

で、だ。

この際、「大学の中の人」の考え方をこの文章で知ろうではないかというのが今回の記事の主眼である。

傍線の引いてあるところの問題はどういう問題だったか。空欄の問題は選択肢か本文中から抜き出せか。

両大学の出だしが違うのはなぜか。長いとどういう問題が作られていたか。

などなど、諸君が考えることは多くある。

出題者の思考や心情(これくらいはできてくれよみたいな、ここに傍線を引いた私は偉いなぁみたいな)を理解する一助になれば幸いである。


M大(青くしている)
傍線 ① ~ ⑥
空欄 A ~ C 【 】の部分

W大(★以降)(赤にしている)
傍線1・2
傍線A ~ D
空欄X ~ Y 【 】の部分



 ここに美しいカットグラスがあったとする。私はこれを大切に取り扱う。それはちょっとした不注意でそれが砕け散ることを知っているからである。だが、そんな気づかいをしないで済むように、踏んでも叩いても割れないグラスを使えばいいじゃないかと言われても、おいそれと肯(うべな)うわけにはいかない。どれほど造形的に美しくても、私は「割れないグラス」に①「割れるグラス」と同じような愛情を感じることができないからである。
 しかし、これは考えてみるとおかしな話だ、もし見た目も触感も同じであるとしたら、「まだ割れていないグラス」と「これからも割れないグラス」の間にはさしあたり有意な差はないはずだからである。にもかかわらず、私が「まだ割れないグラス」を「決して割れないグラス」よりも選択的に丁寧に扱うとしたら、その理由は一つしかない。それは、「まだ割れないグラス」については、それが手から落ちて滑り落ちて床に砕け散り、それが「もう割れてしまったグラス」になった瞬間に私が感じるであろう喪失感と失望を私が想像的に「先取り」しているからである。
 つまり、②「割れるグラス」の魅惑を今現在構成しているのは「それが失われた瞬間に立ち会っている未来の自分」が経験する喪失の予感なのである。
 今目の前にある「うつろいやすいもの」の美や儚(はかな)さはそれらの器物そのもののうちに内在するのではない。そうではなくて、「それが失われた瞬間に立ち会っている私」という先取りされた視座が作り出した「【 A 想像の効果】」なのである。私たちが「価値あり」と思っているものの「価値」はそれら個々の事物に内在するのではなく、それが失われた私たちが経験するであろう未来の喪失感によって担保されているのである。
★ ③私たちの人生はある意味で一種の「物語」として展開している。「私」は「私という物語」の読者である。読者が本を読むように私は「私という物語」を読んでいる。すべての物語がそうであるように、この物語においても、その個々の断片の意味は文脈依存的であって、物語に終止符が打たれるまでは、その断片が「ほんとうに意味していること」は読者には分からない。
 それは「犯人がなかなか分からない推理小説」を読んでいる経験に似ている。怪しい人間が何人も登場するが、どれが犯人かさっぱり見当がつかず、プロットはますます錯綜してきて、こんな調子で果たして残された紙数でもちゃんと犯人は言い当てられ、不可解な密室トリックのすべては明かされるか、読者は不安になる。しかし、その不安は本を読む楽しみを少しも減Aするものではない。それは、どれほど容疑者がひしめきあい、どれほど密室トリックが複雑怪奇であっても、「探偵が最後には犯人をみごとに言い当てること」についてだけは、読者は満腔(まんこう)の確信を持って物語を読んでいるからである。
 結末がまだわからないにもかかわらず、私たちは「いかにも結末らしい結末」が物語の最後に私たちを待っているであろうかということについては、いささかの不安も感じていない。私たちが物語を楽しむことができるのは、仮想的に想定された「物語を読み終えた私」が未来において、現在の1読者の愉悦を担保してくれるからである。もし、終章で探偵が犯人を名指しして、すべての伏線の意味を明らかにすることなしに小説が終わってしまう「かもしれない」と思っていたら、私たちは推理小説を愉しむことはできないだろうし、そもそも、そんな小説を手に取りさえしないだろう。
 私たちの人生もそれと同じく「犯人がまだ分からない推理小説」のように構造化されている。けれどもそれにもかかわらず私たちが日々のどうということもない些末(さまつ)な出来事をわくわく楽しめるのは、それが「2巨大なドラマの伏線」であったことを事後的に知って「なるほど、あれはそういうことだったのかと腑に落ちている「【 B 未来の私】」を想定しているからである。私たちの日々の【 C 散文】的な、繰り返しの多い生活に厚みと奥行きを与えるのは、今生きている生活そのもののリアリティではない。そうではなくて「私の人生」という物語を読み終えた私である。
 ジャック・ラカン(注フランスの精神分析者)はこのような人間のあり方を「人間は前未来形で自分の過去を回想する」という言い方で説明したことがある。「前未来形」というのは「明日の三時にこの仕事を終えているだろう」という文型に見られるような、未来のある時点においてすでに完了した動作や状態を指示する文型である。
 私たちが自分の過去を思い出すとき、私たちはむろん「過去に起きた事実」をありのままに語っていない。私たちが過去の思い出を語るとき、私たちは聴衆の反応に無関心であることはできないからだ。あるB逸話について聴き手の反応がよければ「おお、この種の話は受けがいいな。では、この線で行こう」ということになるし、ある逸話についての反応がかんばしくなければ「おっと、この手の自慢話はかえって人間の価値を下げるな」と軌道修正を行う。私たちが自分の過去として思い出す話は、要するにその話を聞き終わったときに、聴き手が私のことを「どういう人間だと思うようになるか」をめざしてなされているのである。話を聞き終わった未来の時点で、聴き手から獲得されるであろう【 Ⅹ 人間的な信頼や尊敬や愛情】をめざして、私は自分の過去を思い出す。④このような人間の記憶のあり方をラカンは「前未来形で語られる記憶」と称したのである。
 それと同じことが、私たちが私たち自身の現在を物語として「読む」ときも起きている。私たちは、⑤今自分の身に起きている出来事(人間関係であれ、恋愛事件であれ仕事であれ)が「何を意味するのか」ということは、今の時点で言うことができない。それらの事件が「何を意味するのか」は百パーセントで文脈依存的だからである。
 「その事件が原因で私はやがてアメリカに旅立つことを余Cなくされたのであった」とか「その恋愛事件がやがて私の思いもよらぬ悲劇を引き起こそうとは誰一人知るよしもなかった」とか「【 Y 結果的にそのとき病気になって転進したことが幸いして私は震災を免れたのである】」とかいうナレーションは、物語を最後まで「読んだ私」にしか付けることができない。
 私たちはその「ナレーション」をリアルタイムでは聞くことができない。
 しかし、それにもかかわらず、私たち自身が恋愛事件のクライマックスや喧嘩(けんか)の修羅場を迎えているときに、その場の登場人物の全体をD俯瞰(ふかん)するカメラアイから自分を含む風景を見下ろし、そこに「ナレーション」がかかり、BGMが聞こえているような「既視感」にとらわれることがある。というか、⑥そのような既視感にとらわれることがなければ、私たちはそもそも自分が「クライマックス」に立ち会っているとか、「修羅場」に向かっているような文脈的な位置づけをすることができないはずである
(内田樹『街場の現代思想』による)




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かに座の運勢

2019-01-19 18:00:00 | 日記
●昨日の夜から今日にかけてかに座の運勢を大吉やら1位にしている占いがあったら、その占いは信用できるぞ(挨拶)

●昨夜、友人が地元の手品師と偶然出会い、そのうち(いつだろう?)三人で会いましょうとなったのである。

●次に、あるマジックのDVDが気になり、注文した。届いてマジックへの関心をまた掻き立ててくれたら記事にする予定。

●ここら辺りがマジック運が大吉な証拠。

●次が仕事というか本業というか、要は国語屋についての運勢が大吉な証拠。

●尊敬している先輩のブログである日々の与太でウチのブログのエントリーが紹介されたのである。

『小論文対策として読む、国語屋稼業先生の「中高生のための内田樹」』という記事である。

●これを読むと、自分が言いたくても中々言葉にできないことを見抜いていただいたり、自分でも気づかないことを指摘されたりでありがたい。

●自分でも気づかないことを具体的にあげるとすると以下のこととかである。

>最初のほうよりも最近のもののほうがなんとなくノリがイイ感じ。

 ↑はそう思われてよかったという気持ちになれた。

 最初のころの記事は生徒らに配布していたプリントからの抜粋だったが、最近のは病床でなんとか絞り出しているので、ノリがいいと言われると嬉しい。

 まだ、国語屋を名乗っていてもいい気がしてきた。

●以下のことはまったく異論はないところだ。(「 国語屋稼業先生、ごめんなさいm(_ _)m」とあったので、念のために)

>設問を解くのはそのためのついでの作業ということでもいい。

 ↑は本当にそう。そもそも解答も拙答にすぎないし。

 拙答って日本語はあるのかしらん。

●私のいわんとしているところを、いや、それ以上のことを書いてくださったyabukiさまに感謝している。

●本業(?)でも趣味でもいいことが同時に起こったそんな日でした。

●日記らしい日記ですね。



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途方にくれる

2019-01-07 19:50:57 | 日記
●手の筋力がない。ま、足の筋力もないんですけど。

 なもんで、指も自由に動かせない。

 なもんで、カードのトップコントロールができない。

 マジックを趣味と言えるのであろうか。
●さらに頭も動かない。

 だから、戯言も現時点で11月頭からしていない。

 戯言って頭をつかうのな。

●国語関係、内田さま関係も国語屋の見栄で更新してきたけど、そろそろ限界かなぁ。


●新年早々の愚痴で申し訳ない。




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マジックのリハビリと日記35

2019-01-05 19:50:36 | マジックのリハビリと日記
●某日。基本的に伏せる。

そんな中でも『monthly Magic Lesson DVD VoL10』『インプレッション1st STAGE』を見る。

 野島伸幸氏が初々しくて良かった。

●ということは『野島伸幸ノート全10冊セット』を読むともっと初々しさが感じられてよいのだろうなぁ。

●ということで、上記の『』内の商品はどれも、お勧め。持っていない方はぜひともご購入を。


●某日。色々なマジックの基本技法ができなくなっていることを思い知らされる。

●このままだとパケットならできるけど、デックは扱えないみたいな感じになりそう。

●あと、以前はできたジャンボコインの技法ができないし、思い出せない。

●まいったなぁ。

●嘆いているだけではよろしくないので、オイル&ウォーターの練習。

 人前で見せてもかまわないという気分になる。

 あとは伏せる。

●某日。友人にマジックを見せる。オイル&ウォーターでは感嘆の声をいただく。練習してよかった。

●ジャンボコインからマンモスコインの出現には無理があったが、初めてマンモスコインを見たらしく、喜んでくださった。

●ハンキーパンキーを知らなかったようなので教えた。

●あとは雑談。元号が変わるとジャンボコインやマンモスコインの元号も変わるんだろうかとか、達人クラスだと同じカップ&ボールの手順でも個性がそれぞれに出るよねとか、21世紀の半ばにはマジックバーでも喫煙は厳しくなるんだろうかとか、教育問題とかを色々と話した。

●またしてもお米をもらってしまった。

●お礼を考えなくてはいけないな。

●帰宅後、伏せる。

●某日。諸問題について考える。伏せる。




※※※謝罪※※※

過去に野島氏の名前を何度か「信幸」と記載していましたが「伸幸」の間違いです。

野島氏にも、読者の方々にも申し訳ないと反省しております。

伏してお詫び申し上げます。






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今年、最初のマジックをしてきたよ

2019-01-01 18:24:02 | マジック
●あけましておめでとうございます。

●今朝。
 
 オイル&ウォーターを二回、練習する。

 ミスった所で今年の運勢を占うという画期的な遊びである。

 今年の前半は「油断して失敗することがある」とか、今年の後半は「相手のことを考えないで行動することがある」とかがわかるのだ。

 実用化しようかしらん。

●午後、妻の実家でマジックを披露する。

●まずはマンモス500円のプロダクション。「ハンカチと500円玉をつかった手品しまぁす」と言って出現させる。

 マジックのリクエストがあるまで、ホルダー(?)にマンモスコインを装着したままおせち料理を食べていた自分を褒めてあげたい。

●次はロングカード。サロンでウケるカードマジックの一つですね。しかも、どこの製作者か忘れたんですけど、変わったカードをフォースするタイプの作品で笑いもおきましたよ。

 昨年の引っ越しで発掘されてよかったですね。

●さらに『しあわせの書』を演じる。親戚のお子様相手にも演じたり、義父様にも入ってもらったりでかなり好評でした。

 メンタル系ははまるとすごいね。

●最後に(いつもの)リンキングリング。しかし、昔より腕が落ちましたわ。要リハビリってやつでしたわ。

 子どもの「わかった」の声に動じずに演じきったのが唯一のよかった点ですね。

●準備はしていても演じなかったマジック。

 オイル&ウォーター、イチャモンテ、シンパセティックコインズ。

 要はクロースアップマジックたち。そりゃ、おせち料理やポテトチップスやらお菓子やらでいっぱいになっている机でマットをひろげるスペースなんざあありませんわなぁ。

●一年の始まりとしては及第点かと。

●あ。他人(友人一人&妻は除く)様に手品を見せたのかなりひさしぶりじゃないかしらん。

●幸先の良いスタートやもしれぬな。






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