国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

マジックのリハビリと日記73

2019-09-30 20:00:00 | マジックのリハビリと日記
●某日。

 乃木坂46の予習と復習。

 突然、新沼研氏の作品がマイブーム。本当に突然である。

●25日.

 佐藤忠志先生の訃報を聞く。

 晩年はかなり大変だったご様子。

 胸が痛い。

●26日。

 病院へ行く。

 一か所、褒めてもらった。

 褒めるところを探すのは大変だろうなと思ふ。

 先生と言われる人は、いつも褒めるところを探し続けているかもしれないな。

●28日。

 マジックを趣味とする友人と会う。

 財布は概ね好評。選ばれたサインカードが財布のジッパーから出てくる現象と、お札の2回移動する現象とどちらを演じるかで友人が迷う。

 けれど、財布のジッパーから選ばれたカードが出てくるはロマンだよねえで一致。

 新沼研氏の作品でよくわからない作品(読解力がないからねえ)を友人に相談する。

 さすが、理系の先生だった。ちょっとした模型(?)を作って、順序だてて論理的に解析してくれた。

 誤読の原因もわかって、よかったよかった。

 読解力不足にはつらいけど、新沼研氏の作品ってできるようになると楽しいな。

 新沼研氏、お元気であるといいのだが。



 来月はオムニデックの使い方を知りたいとのこと。

 黒田文彦氏のDVDで復習してかつてのようにできなくてはいけないな。

 それとDPのエリスのリングをプレゼント予定。あれ、かっこいいよな。

 エリスのリングの使い方を教わったのも黒田文彦氏だったか。確かジョンソン製のやつで、しかも直接習ったはず。

 それと新沼作品も一つは演じたいものだ。





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5556

2019-09-26 12:00:00 | 日記
●今日でブログ開設から5556日目である。

●こんな内容のないブログでも見に来てくださる方がいらっしゃるので、続けられた。

 ありがとうございました。

●本当は5555日の記念に記事を書きたかったが、昨日は佐藤忠志先生の訃報を知ったので、そちらの記事を優先して書いた。

そこで、今日、5556日というタイトルにして、日記を書くことにした。

●まあ、5556日の記事を書くといっても、うだうだと書くだけだが。

●昨日は書かなかったが、私の英語力をつけてくれたのは、原秀行師、宮尾慈良先生、佐藤忠志先生のお三方であった。
 
 つくづく、私の受験時代は講師にめぐまれていたと思う。

 また、大手予備校の怖さというものを実感として教えてくださったのも、これらの先生方である。

 国語の講師からではなく、英語の先生方から大手予備校の恐ろしさを学んだというのは面白い。

●実は、家庭教師をやっていた頃、英語を教えていたことがある。

 特にICU高校(国際基督教大学高等学校)に生徒を合格させたのは自分でも偉いと思う。

 まさに高校入試版の佐藤忠志流ゲリラ戦を展開したのだった。


●マジックを趣味とする友人と今度の土曜日に会うことになった。

 あまり練習できていないが、ゆうきとも師版「あなたは赤いカードを選ぶ」、「オーディナリーペン3」、財布の手順2種などを披露する予定である。

 今日の夜と明日、がんばる!

 財布をプレゼントする予定。ついでに簡単なレクチャーもする予定である。

 財布+レクチャーなら、わざわざ西日本某地方まで来ていただいても、マジックを趣味とする友人に損はさせないだろう。



【種明かし】色が変わる!飲むサプライズ!



●↑のいっぺいちゃんねるを見た。

●視覚的にきれいだし、何よりプレゼントにできるというのが良い。おしゃれなプレゼントになる。

 しかも、サプライズもあるし。

 いっぺい氏はセンスが良いなあ。

●チャンネル登録、高評価、コメントなどよろしくお願いします。

 いっぺい氏の励みになると思うので。




●さあ、午後は病院だ。

 先月より、調子が良くなっている気はしないけど。

 昨晩は痛み止めを飲んで寝たし。

 やれやれ。



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追悼 佐藤忠志先生

2019-09-25 21:00:00 | その他・雑文
●「金ピカ先生」こと、佐藤忠志先生が今日、亡くなられたとテレビのニュースで知る。

●私にとって、英語の佐藤忠志先生は「手段」を教えてくださる先生であった。

●私は代々木ゼミナールの某校舎で一番上のクラスにいたが、英語が伸び悩み、二学期からそのクラスにいられるか怪しかった。

 そこで相談すると、3分ほどの間に今のクラスにいる手段を教えられた。

 具体的には言えない(想像してください)が、その手段は有効で、私は一番上のクラスにいられた。

●私は佐藤忠志先生から「頭がいい」と褒められたことがある。

 佐藤忠志先生が授業中に作った問題に30秒で答えたからである。

 宮尾慈良先生に習った英文解釈のコツと、中2レベルの英単語を活用して答えたのだが、中2レベルの範囲で答えた私を褒めてくれたのだった。

 佐藤忠志先生に「頭がいい」と褒められたことは、今でも自慢してもいいと思う。

●国語ができた私にその国語の英語の活かし方を教えてくれたのは佐藤忠志先生であった。

 文脈を推測し、もっともらしい日本語で答える。

 これを国語の偏差値80が行うと、すごいぞとアドバイスをくださったのだ。

●こんなことがあった。

 「犬の訓練」についての長文問題を解いた時のことである。

 推測するに、犬の訓練が段階的に行われ、そして最終段落に傍線が引いてあった。

 「by the whistle」(theじゃなくて aだったらごめんなさい)という言葉が目についた。私はそれだけを根拠に「笛の音一つで、犬が言うことを聞くようになったらその訓練は終わったといえる」というような訳をしたのである。

 その長文問題は大学入試で実戦の場であったが、そのアドバイスは有効で、私はその学部に上位5人に入るレベルで合格した(大学からいただいた奨学金の条件が「5人程度」だった)。

 国語と日本史は偏差値70以上だったとは言え、英語ができなければ「上位5人」は厳しかったろう。

 そして、その時の英文和訳はきっと、その「上位5人」に入るときに役立ったことだろう。

 佐藤忠志先生流に言うなら「ゲリラ戦」を実行したのだ。

●その後、大学院入試でも英語は一番だったらしく(その年は受験生の英語のレベルが低かったのだろう)、佐藤忠志先生からいただいた「英語力(純粋な英語力とは微妙に違う力)」は人生で有利に働いた。

●外見の派手さが目立つ先生であったが、短時間の質問時間(人気講師でしたからね)で適切なアドバイスができた先生であった。

 そして、私に「頭がいい」と言ってくださった唯一の先生であった。





●ご冥福を心よりお祈り申し上げます

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マジックのリハビリと日記72(追記あり)

2019-09-22 17:17:17 | マジックのリハビリと日記
●某日。

 モーラーが大量に来る。36匹なり。

 大野涼さんの『モーラー2.0 DX』を購入することを決意。

 うまくなったら、マジックを趣味とする友人にあげたり、親戚の子どもたちにあげようかと。

 うまくなったらって遠いなぁ。まあ、来年のお正月の集まりまでにはうまくなろう。

 妻に1匹譲る。彼女なりに楽しんでいるようだ。

 ところでモーラーの数え方って「匹」でいいの?

 それとも「個」?

●某日。

 マジック用の財布でサイズが違うだけで同じ機構のものが2つ見つかる。

 片方をマジックを趣味とする友人に譲ろうと思う。

 サインしてもらったカードがジッパーを開けると出てくるって、昔はよくやっていたなあ。

 マジックを本格的に始めるようになって、すぐだったような気がする。

 昔は無茶やっていたなあ。初心者なのに平気でパームするマジックを見せていたんだものなあ。

 久しぶりに財布とカードをいじる。今月、マジックを趣味とする友人に会うとしたら、それまでにそこそこ見せられるレベルにならないとね。

●某日。

 今月は「NHK俳句」に掲載なし。気に入っていた句もあったのに、残念。

 俳句をいくつか作る。推敲したり、あきらめたりして、次の投稿に備える。

 散歩に挫折。ついでに済ませたい用事もあったが、体調が悪く断念。

 西日本某地方の名物を食す。

 マジック用の財布の手順をメモに起こす。

●20日。

 昔、はまっていたクリエイターの作品を探す。読んだけど、よくわからない。

 朝から頭がぼうっとなっているせいか、病気のせいか。どちらも病気か。

 でも、元気なころもよくわかっていなかったような気がする、この人の作品は。

 マジックバー「コットン」のマスターである遊氏の『ライジングトライアンフ』を練習する。

 傑作。こういう作品は好み。まあ、人前で演じられるレベルになったかは不安だが。

 いっぺいちゃんねるの動画を見る。

【マジック】一流クリエイターのひと言に痛感した話



 ええ話や。

 高評価、コメント、チャンネル登録等、よろしくお願いします。

 動画を見て『インスタ・プリディクション』を演じたくなる。

 後日、探すことにしよう。今月のマジックを趣味とする友人に見せるマジックが多すぎるので、来月、チャレンジしようかなと思うが、覚えているといいな。



 熱が38度あった。いつも以上に思考力がないわけだ。

 臥せやうと思ふ。

●22日(追記です)。

 経済的大打撃を受ける。びっくり。普通、日曜に経済的問題って、あまり発生しそうにないのにな。

 しばらく超緊縮財政か。まあ、今までも緊縮財政ではあったが。

 今、無駄遣いだなあと思う部分をリストアップ。

 何とかしのげるか。つか、しのぐしかない。

 どなたかモーラー6色セットと何か、交換しませんか。

 

 


 『ゆうきともオンライン』は予算内。マジックに触れないと死んじゃうからな。

 良心的な価格ですし。

 『ショートショートカメレオン2』の動画を今日は2種類見た。

 特に『ゆうきともオンデマンド』でマジックのライブを見られたのがよかった。

 今月『ゆうきともオンライン』に入会すると、『ショートショートカメレオン2』がプレゼントなので、嬉しい。

 『ショートショートカメレオン2』が着いたら、がんばって練習しようと思う。

 午前中は散々だったが、午後はマジックに気持ちが救われた。

 趣味は大事だねえ。

 これからは流石に何も起きないよねえ、きっと。




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ジビエ

2019-09-21 12:57:57 | 食ふ


●今日の昼食。

●昨日、鹿肉のミンチを購入してきたらしい。

 地産地消らしい。

●鹿肉のパティとイングリッシュマフィンのバーガー。

 中に入っているピクルスは自家製。いくつかのハーブは妻が育てた。野菜は購入したもの。

●美味なり。

●ものすんごく久しぶりに当ブログのカテゴリ「食ふ」の更新。




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マジックのリハビリと日記71

2019-09-13 15:00:00 | マジックのリハビリと日記
●某日。

 モーラー、逃げる。どこに行ったのやら。

 ウチのモーラーは活きがいいらしい。

 所定のケースの中にないんだよね。不思議不思議。

●某日。

 病院へ行く。病名が詳しくというか細かくというかそんな感じになってきた。

 あまり良くなっていないみたい。

●某日。

 『ゆうきともオンライン』の「オンデマンド」にアップされた「本格マジックに挑戦!」でストップトリック2種類を学ぶ。

 片方は実演できそう。うまく見せるには要鍛錬だが。

 『ゆうきともオンライン』はいろいろな楽しみ方ができて面白い。

●某日。

 マジックを趣味とする友人に会う準備をしていない。

 家に予備のあるマジックをいくつか演じてプレゼントしてみるかと。

 でも、何を演じられるだろう。

 コインボックスとか何個かあるんで、譲ってもいいんだけれど、人前で見せるの無理無理。

 かといって実演できないものは渡したくないし。

 Zヒンバー系のマジックでもやろうかしらん。プラスティック製のが二つあるし。

 モーラーは、もっとうまくなったら実演後あげたい。座って演じると制限がきついけど。

 海外の動画を漁っても座って演じているのは少ないというか、一つしか見ていないような気がする。

 もっとも今月、会うかは未定なんだけれど。 

 病気がきつい。

●本日。

 【マジック】観客目線でウケるネタの選び方


 いっぺいちゃんねるを見る。観客目線を自分の中に作る具体的な方法や観客の負担を踏まえて自分らしく演出することについて大きな示唆を得る。

 次回の「演出の軸について」の動画が楽しみである。

 皆様、高評価、登録、コメント等よろしくお願いします。

 俳句を2句投稿。




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『22(Twenty-Two)』by横田雄一(遊)

2019-09-12 21:45:41 | マジック




●マジックバー「コットン」のマスターでいらっしゃる遊氏が入院なさっているとのこと。

●直接の面識はないのだが、当ブログの記事はお読みになったことがあるようで、以前、言及、リンクをしてただいた。

『コットン・コインシデンス』『magic bar COT'n 7周年記念作品集 DVD』を紹介したことはあったが、意外なことに『22(Twenty-Two)』の紹介をきちんとしていないような気がしてきた。

●何故に意外かというと、レインボーデックが好きだというのに。



 さらに言うと2018年のmonthly Magic Lesson Shoppersで最大のヒット商品だというのに。

 詳しくは紹介していなかったようなのである。

●もし、紹介していたらごめんなさい。記憶がとぶことがあるんですと謝っておこう。

●で、だ。

●さすが2018年のヒット作である。


●まず、レインボーデックは見せるだけで観客に与えるインパクトが大きい。

 さらにそれを観客の手に渡して現象を起こすのも素晴らしい。手渡し可能ってやつである。

●そして個人的には「世界で最もバラバラなトランプです」というセリフが言えるのが良い。

 カードの裏模様がバラバラなのに加えて、表裏や順番も観客に混ぜさせてバラバラにするのだから、「世界で最もバラバラなトランプです」ということになる。

 「世界で最もバラバラなトランプ」というセリフはこのマジックぐらいでしか言えないんじゃなかろうか。

 不勉強なので自信はないけれど。

●世界で最もバラバラな状態なのに先祖伝来の秘儀か何かで一枚だけを予言するって演じていて快感だよね。そして、観客も面白がるはず。

 だからこそ、2018年のヒット作なのだろう。

●未購入の方は2019年のうちに、ぜひぜひ購入してくだされ

 どんどん演じて「世界で最もバラバラなトランプ」の布教者になろう。




※レインボーデックを使わないレギュラーバージョンの解説もされています。

●遊氏のご回復を心よりお祈り申し上げます。


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中高生のための内田樹(さま) その39

2019-09-09 14:08:28 | 中高生のための内田樹(さま)
●東大の問題の続きをする前にどうしても気になる文章が掲載されたので読んでほしい。

●設問は小論文の形式をとってみたが文章でなくても図でもかまわない。結論はでなくてもかまわない。

●国語屋の私と一緒に考えてほしい。そして解答例をもしよければ教えてほしい。

●そろそろ内田樹式思考、内田樹脳もできている頃なので考えてほしい。



問い 査定なしに「自分のボイス」を発見し、「自分のボイス」を獲得するような国語教育をするためにどのような組織でどのような教育を行うべきだとあなたは考えますか。組織は学級、学年、学校でも、塾でも、NPO法人でもかまいません。年齢もいくつでもかまいません。また、教材などが必要な場合はそれについても考えなさい。

 査定をしないで、能力を開花させるためには、何をなすべきか。ここから(中略)国語教育の話になります。
 子供たちが開花させることになる国語の能力とは何か。僕はそれを「自分のボイス (voice) を発見すること」だと思います。子供たち一人一人が「自分のボイス」を発見し、「自分のボイス」を獲得する。極言すれば、国語教育の目的は、その一つに尽きると思います。小学校から大学までかけて、「私は自分のボイスを発見した」と思えたら、その人については、国語教育はみごとな成功を収めたと言ってよいと思います。
 最初に、「私のボイス」という言葉を知ったのは映画からです。『クローサー』という映画がありました。映画自体はどうということのない凡作なのですが、その中にこの台詞が出て来た。一人の男(ジュード・ロウ)が町中で若い娘(ナタリー・ポートマン)を拾ってタクシーに乗るシーンがあります。タクシーの中で、ナタリー・ポートマンが「あなた仕事、何してるの?」と聞くと、「新聞記者だ」と答える。そして、「でも、僕はまだ自分のボイスを発見していないんだ」と続ける。その時に「ああ、適切な表現があるな」と思いました。記者にも「自分のボイスをみつけた者」と「自分のボイスをまだみつけていない者」がいて、自分のボイスを見つけない限り、決してほんものの記者にはなれない。
 
 みなさんも多分、「自分のボイス」に出会った経験があると思うのです。例えば、子供のときに、小学校か中学校か、すごく仲のいい友だちが出来て、親友になった。あるいは、もう少し大人になって、はじめて恋人ができた。そういう初めて親友ができたときと、初めて恋人ができたとき、時間を忘れて話しますよね。駅のベンチとか土手の上とかで、それこそエンドレスにずっと二人で話し続ける。自分の話をするし、相手も自分の話をする。そのときに話すことはしばしば「この話、生まれて初めて人にするんだけれど・・・」という前置きで始まりますよね。
 これまでに友だちや家族に向かって話したことのある「いつもの話」をまた繰り返すわけじゃないんです。親友や恋人にする話はそういう「手垢のついた話」じゃない。全く新しい、できたての、それまで、一度も脳に浮かんだことがなかったような過去の記憶がふっと生々しく蘇ってくる。あるいは、同じ出来事についてなんだけれど、まったく違う視点から、違う解釈をする。「これまでずっとあの出来事は『こういう意味』だと思っていたけれど、それとは違う、もっと深い意味があったんだ」いうような話を始める。
 そして、そういう話はだいたいオチがないんです。勢い込んで話し始めるんだけれど、途中でぷつんと途絶してしまう。でも、それでも平気なんです。そういう頭も尻尾もないし、オチもないし、教訓もないような話が次々と湧き出て来る相手のことを親友とか恋人とか呼ぶわけですから。そういう話をしているときに、人は「自分のボイス」に指先がかかってきたことを知る。
 子供たちを見て、「まだ自分のボイスを発見していないな」ということは聞いていると分かります。独特のボキャブラリーや、独特の話し方をしていても、「前にして、受けた話」を変奏して繰り返しているなら、その子はまだボイスは持っていない。オチがあったり、教訓があったり、笑いどころのツボが決まっていたりするような話をしている人間はまだ自分のボイスを持っていない。
 ボイスというのは、単なる「声」ではないんです。自分の中の、深いところに入り込んで行って、そこで沸き立っているマグマのようなものにパイプを差し入れて、そこから未定型の、生の言葉を汲み出すための「回路」のことです。
 その回路はいろいろなかたちをとります。語彙であったり、音調であったり、リズムであったり、速度であったり、文字列のグラフィックな印象であったり・・・いろいろなかたちをとりますけれども、とにかく自分の中の言語活動を烈しくドライブしてくれる「きっかけ」です。
 村上春樹さんは自分の文体のことを「好きだ」とどこかで言ってました。自分の文体は性能のよいヴィークルで、自分を遠くに運んでくれるから、というのがその理由でした。ここで村上さんが「文体」と言っているのは、僕の言う「ボイス」と同じものだと思います。

 イタリアの田舎の方に行くと、17世紀頃に作られた古いバイオリンが民家にしまってあったりするそうです。そういうオールド・バイオリンは音は小さいのです。音は小さいのだけれども、イタリアの石造りの家のいくつもの壁を通って、遠くの部屋でも聴き取ることができる。
 これも多田先生から伺った話ですけれども、「声を出すときは、オールドバイオリンのような声を出さなければいけない」と。声が低くても、音量が小さくても、遠くにいる人の身体に浸み込むような声というのがある。先生は発声器官の使い方について言っているのではないと僕は思います。そうではなくて、「自分のボイス」をみつけなさいと言っているのだと思う。「自分のボイス」を見つけた人がその「ボイス」で語られた言葉は、できあいのストックフレーズや、何度も話して手垢のついた定型句とは全然手ざわりが違うからです。それはオールド・バイオリンの音色ように、身体に浸み込んでくる。
「ボイス」というのは、自分の中に入り込んでゆく「回路」です。自分の中の、身体の深層に浸み込んでゆく。自分の身体に浸み込むことができないと「自分のボイス」は獲得できない。「身体の中に浸み込む」というのが「ボイス」の本質的な条件なんです。自分の身体の奥深くに浸み込むことで生まれた言葉は、他人の身体にも浸み込む。「ボイス」というのはそういう浸透性を持つ言葉のことなんです。
(中略)
 子供たちに必要な国語教育は、漢字を書けるとか、文法がわかるとか、古典が読めるとか、そういうこともとても大事ですけれども、一番大事なのは、自分の中に垂鉛を垂らしていけるということです。自分の中に、言葉が生まれる深層がある。そこまで降りていけるということです。とりあえず、他人のことはどうでもいいのです。コミュニケーションとか、メッセージとか、そういうことは二の次なんです。人が自分の中に深く入っていって、そこから汲み出した言葉は、必ず、他人の深いところにも浸み込んでゆく。自分がしゃべっていて、すとんと「腑に落ちた」話は、コンテンツの論理性とか整合性とかとは無関係に、他人が聴いても「腑に落ちる話」なんです。自分の頭じゃなくて、身体が納得できる説明なら、他人の身体も納得してくれる。
 国語教育の責務は、子供たちが「自分のボイス」を発見する、長く、苦しいエクササイズを支援することだと思うのです。その作業は周りにいる誰かと相対的な優劣を比較したり、出来不出来を査定したりするものではない。一人一人の問題なんですから。
 でも、「自分のボイス」を獲得した子は、すごく生きやすくなると思います。何よりも、自分が複雑な人間だと分かるから。自分の中に複数の層があって、自分のボイスというのは本質的に「多声的 (polyphonic)」なものだと分かる。幼児の泣き声も老人の繰り言もおばさんのおしゃべりも少年の照れも知識人の衒いも、自分の中には全部揃っている。それらはすべて自分が使うことのできるリソースとして自分の中にある。そんな言い回し生まれてから一度も使ったことがない・・・というような言い回しでも、僕たちは滑らかに発語できる。
 子供たちも実際には「自我は首尾一貫していなければならない」という縛りで苦しんでいるんです。親からの「あなたはこういう人間だから」という決めつけや、学校で仲間の中で決められて押し付けられた「キャラ」によって、言動が首尾一貫していることを求められる。そのことに子供はうんざりしている。でも、どこかで「アイデンティティーというものは一貫していなければならない」と思い込まされている。そんなの無理なんです。少し自分の中に深く入り込んでゆくと、そんな薄っぺらなセルフイメージとはまったく相容れない感情や思念や記憶が渦巻いているわけですから。子供たちの貧しいセルフイメージにうまく収まり切らない過去の経験や感情は抑圧されて「なかったこと」にされている。それが深層の奥底に黙って沈殿している。
「自分のボイス」を発見するというのは、これまで自分で自分について抱いてきたセルフイメージや、周りの人間に向かって宣言していた「オレはこういう人間だ」という社会構築的なアイデンティティーとはぜんぜん違う要素が自分の中に豊かに存在することを知るということです。自分は複雑な人間なのだということを知るということです。
 生物の進化というのは、複雑化ということです。単細胞生物の時代から 60 兆の細胞によって構成された多細胞生物にまで進化してきた。進化が複雑化であるなら、個人の成長も複雑化であるに決まっています。
 多くの人は成長というのをアイデンティティーの確立のことだと思っている。「自分が何ものであるかが、よくわかり、それを過不足なく表現できるようになること」が成長だと思っている。そんなわけないじゃないですか。まるで逆ですよ。成長するというのは複雑になるということです。
 理由は簡単で、複雑な生物の方が生存戦略上有利だからです。複雑な生き物の方が、複雑な状況に対応する能力は高い。単細胞生物は捕食者から逃れ、餌を食べる以上のことはできない。そもそもそれ以外の入力には対応できない。でも、人間たちを取り囲む環境は複雑です。その環境の中で適切にふるまうためには、自分も複雑になってみせるしかありません。
 どんな場合でも「自分らしく」生きたいというような言い方を好む人がよくいますけれど、どんな複雑な状況にも単純に対応するというのは、知的負荷は少ないですけれども、それは環境の変化に適切に対応することと逆方向に退化していることです。
 成長とは複雑化のことである。日本の学校教育はこの自明の前提を見落としているように見えます。「もっと複雑になりなさい」ということをなぜ教育目標に掲げないのか。「自分の心と直感に従う勇気を持つ」ことも、「そのうち何とかなるだろう」も、「自分のボイスを発見せよ」も、「複雑化しろ」も、日本の学校では教えられない。逆に、恐怖心を持つこと、未来の未知性に怯えること、定型的な言葉づかいを身につけること、アイデンティティーにしがみつくことを教えている。逆じゃないですか。
 学校教育の目標は子供たちを成長させることであり、成長とは複雑になることです。だとしたら、教師の仕事は、子供たちが複雑化することを支援することに尽くされる。子供たちが、親に見せる顔と友人に見せる顔と教師に見せる顔が全部違う。そのつど、その環境に最適化して、別の人間のような言葉づかいをして、別の人間のようにふるまうことがごく自然にできる。だって、それらは「別の人間」ではなくて、「全部自分」だから。それが成熟ということだと僕は思います。




●ほぼ全文はこちら
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偶然

2019-09-06 14:00:00 | マジック
●ゆうきとも師から以下のようなコメントをいただいた。





●なるほど、イクラちゃんだと思っていたら、いっぺいちゃんねるで下のような動画がアップされた。

【サプライズ】言葉遊びが楽しいグッズ!?飲み屋でバカ受け!?


●偶然と言おうか、シンクロニシティと言うべきか。

●高評価、登録などよろしくお願いいたします。






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『ゆうきともオンライン』はいい!

2019-09-05 15:00:00 | マジック
●昨日は『ゆうきともオンライン』の「ゆうきともLIVE」があったんだが、大満足。

●手品歴が長いだけで初心者同然のおいらでも十分、面白くて、マジックを続けていこうと思えた内容だった。

●「ゆうきともオンデマンド 録画セミナー」と連動した内容の部分もよかった。

 敷居が高いと思われがちな某マジックをとある基礎技法だけで行えるということを実演されたのだ。

 実際に見せてもらうと刺激になる。敷居の高いマジックに挑戦しなきゃ損みたいな気分になった。

 敷居が高いと感じられる方の演じるきっかけになったのではないかな。

 基礎技法は応用性が高いから基礎なんやね。

 マニアの方も基礎技法の応用の仕方が学べてよかったのではあるまいか。

●「レッドプリディクション」は良かった。

 初心者から中上級者までレパートリーに入れたくなったんじゃないかな。

 少なくとも私はそう。

 早速、パケットは作った。あとは文字に起こすくらいか。これを怠ると忘れるんだよね、おいら。

●「ゆうきともLIVE」(生配信セミナー)
 「ゆうきともオンデマンド 録画セミナー」
 「ゆうきともオンデマンド 特典映像」

 ↑のように『ゆうきともオンライン』は3本立てなので一か月間十分楽しめるね。

●今ならキャンペーン価格で、ゆうきとも師のオリジナル商品もつくし、一緒に受講しませんかね。

 私もこっそりと参加していますよ。国語屋稼業とは違うハンドルネームですが。



・・・・・・・・・・9月6日追記・・・・・・・・・・
●言及、リンクを賜る。


 


●次はタラちゃんでがんばるぞ!(無理)

●敷居の高いマジックの簡易版の備忘録を書く。

●昨日、書き忘れたんですけど、マジックに対する姿勢などのアドバイスがありました。

 また、質問に直接答えるシーンもありましたよ。

 これらも魅力的な内容でした。




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