国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

マジックのリハビリと日記30

2018-11-30 19:21:02 | マジックのリハビリと日記
●某日。「ドリフターズ(by平野耕太)」の6巻を読む。早く続きを読みたい。

●某日。今後の予定を構想というか例によって妄想。

 短期的にはチョップカップを12月に。長期的にはカップ&ボールを半年は地味にやっていきたい。

 月に一個はトリックデックを攻略したい。来月(ってもう明日か)はゆうきとも師の「ウィング・ザ・レインボー」の予定。

 月に一つはパケットトリックを一つは実演できるレベルにしたい。とりあえず来月はイチャモンテ with サプライズモンテDXを。

 他にもエリスのリングもできるようになりたいが、それは来年にしておこうかと。

●某日。メキシカンモンテとニック・トロストについて何か違和感を感じると思ったら、ウチのブログでは「Nick TrostのMEXICAN MONTE」と何故かカタカナ表記ではなかった。

 他の記事では「ニック・トロスト」なのにね。

●体調不良って、病人だから当たり前か。

●本日。近所のコンビニ閉店。余ったクリアファイルを妻がいただいてきた。

(記事は時系列順とはかぎりませんし、某日が一日とはかぎりません)



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中高生のための内田樹(さま) その25

2018-11-26 14:36:04 | 中高生のための内田樹(さま)
次の文章を読んで後の問いに答えなさい。(占い付き)

「いじめ」は「供犠」という儀礼のひとつの変種である。それは「神霊」という概念の発生と同期している。集団に不幸が訪れる。天変地異でも、異常気象でも、不作凶作でも、異族の襲撃でも、集団内部での紛争でも、何か困ったことが起きる。これは神霊の怒りを買ったことの罰である。この罪の穢れを祓うために供犠が行われる。「諸悪の根源」が単一物として存在し、それがすべての悪を分泌している。だから、それを特定し、除去さえすれば社会は原初の清浄と活力を回復する。これが供犠という考え方である。指名されたものは「贖罪の山羊(scape goat)」となり、徴をつけられて集団の周縁に追いやられ、あるいは集団の外部に追放され、あるいは殺害される。
「贖罪の山羊」を追い払っても感染症や病虫害や自然災害に対する科学的効果があるはずがない。でも、それがわかっていながら、人々は供犠の儀礼を手放さなかった。それは供犠には「コスモロジーの効果」があるからである。
供犠はもっともプリミティブな「宇宙観」である。アモルファスな世界にデジタルな境界線を引く。どこでもいい、とりあえず「境界線」を引く。「清らかなもの(fair)」と「穢れたもの(foul)」、「内部」と「外部」、「善」と「悪」の境界線を引く。境界線の選定は本質的に恣意的である。そこに線が引かれなければならない必然性はない。けれども、とりあえず境界線を引いたら気分が少しよくなった。だから、一度やったら止められなくなった。「線を引く」のは人間の本態的傾向である。クロード・レヴィ=ストロースははっきりこう断言している。
「【                               】」(『野生の思考』)
どのようなデタラメな分類であってもカオスよりはましである。


問 空欄に当てはまる文を次の中から選びなさい。
 ア どのようなものであれ、分類は分類の欠如よりも何らかの固有の効力を持っている
 イ どのようなものであれ、非論理的な分類の除去は必要であり、論理性が重要である
 ウ どのようなものであれ、無実の者を供儀に提供することは原始的で悪だと言える
 エ どのようなものであれ、少しの気分の良さのために虐待や排除を利用してはいけない
 オ どのようなものであれ、宇宙観を恣意的に決定するのは構造的な思考であり、全面的に正しい












【解答】  ア
占いの結果
アにしたあなたは直後の「よりはまし」と「よりも何らかの効力を持っている」とを対応させることができるクールな人。
  ラッキーアイテムは内田樹著『私家版・ユダヤ文化論』
 
イにしたあなたは「論理性」にこだわった理屈屋さん。直後との対応がわかるような本当の論理性を持てば吉。
  ラッキーアイテムは内田樹著『下流志向』

ウとエにしたあなたは正義感の強い人。現代文では常識と逆の内容も出るから気を付けて。
  ラッキーアイテムは内田樹著『態度が悪くてすみません』

オにしたあなたはレヴィ・ストロース=構造主義としちゃった人かな。「全面的」が強すぎるわ。
  ラッキーアイテムは内田樹著『疲れすぎて眠れぬ夜のために』



<参考>
カオス=無秩序  コスモス=秩序
プリミティブ=原始的、幼稚な、素朴な
アモルファス=非結晶。ばらばらな状態
デジタル=一定の区切りのような、段階的な、二者択一的な   アナログ=連続的に変化するような
コスモロジー=宇宙論、宇宙観、世界観



原文はこちら「いじめについて」です。



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予の予定、予想外。

2018-11-24 20:44:00 | 日記
●今日、行われる予定のマジックショーは13時からだと公民館から聞いた。

 12時50分につくと黒板に13時からマジックショーと書かれていた。

●が、だ。

●ほぼ終わっていた。

●「最後に」って言われても困る。予想外である。

●「最後に」演じていたのはリンキングリングだった。
 子どものあしらいのうまさに感心した。

●友人に予定と違う時間に行われたと伝えると「田舎だからですかねぇ」と言われた。

●妻と公民館に行ったのだが、あとで「田舎だからね」と言われた。

●これも予想外。田舎は時間の流れが違うのかしらん。

●公民館のそばにあるお洒落なイタリアンレストランにランチで寄ろうとすると、予約のお客様だけですと言われた。

 これも予想外。

●結局、帰り際にいつも友人とこっそりと手品をやっている、いつも利用する駅のそばにある喫茶店でランチをとる。

●夕飯は今月で閉店するコンビニで買ったインスタント食品ですます。今日を妻の休日にするため。

●散々な休日だったけどな。

●唯一の良いことはポストに発注していた手品グッズが届いていたくらいである。

●易しい方から実演したいものだ。

●来月は詰め込みすぎだけど、チョップカップ、イチャモンテ with サプライズモンテDX、ウイニング・ザ・レインボー、テンヨーの新製品一個を演じる予定。予想外のことがなければ、その予定。



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3カードモンテ 番外編

2018-11-23 13:00:00 | 3カードモンテ
イチャモンテ by 南部信昭


イチャモンテ with サプライズモンテDXがmMLより発売されることとなった。

●モンテは観客がムキになる(本気で当てようとするために演者の予想と違う反応をしたりする)とおじゃんになることが多いので演出が難しい。

 その点、イチャモテンテはマジシャンの想定内で観客がつっこみたくなる(イチャもんをつけたくなる)ような現象である。

●南部信昭氏らしいマジックである。

●サプライズモンテDXは裏の色が変わっていくのが良いね。

 色々な会社がこれをだしているけど、ここまでアレンジしてあるのも珍しい。

●色とりどりなので、レインボーデック箱にしまう予定(その他のパケットトリックとしてオッド・クオッドがレインボーデック箱に入っている)。

 レインボー「デック」箱ではもはや言えないかもしれないな。

●私の記憶がたしかならばイチャモンテもサプライズモンテも難度がそう高くはないはずである。

●演出にこだわりたい人は、ぜひともこの2作品を購入されるといい。

●早く家に届くのを待ちわびている2作品である。




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アクティブな日々

2018-11-22 19:41:34 | 日記
●昨日は美術館に行ってきた。

 妻が好みのテーマだったもんで。

●帰りに歩きすぎたせいか、今日は体の節々が痛い

●とあるマジックアイテムを購入。許可をくれた妻に感謝。

●その際、温かい言葉を頂戴する。

 人の情が身に染みる。あれ? 目から汗が…。

●明後日は隣駅の近くの公民館にマジシャンが来るらしいとのこと。

 外部の地区の人間が行ってもいいか確認をとる。

 行ってもいいようなので、体調が良ければ行くぞ。

●チョップカップってラリー・ジェニングスの手順を除くと同じようなのばかりなのかな。

 ゆうきとも師がおしゃっていたようにボール一個で手順を組んだ方が良いのかもしれない。

 真面目に考えたり、じっくりと練習したりしてみようかな。

●カップ&ボールの手順はヴァーノンの手順以外だと誰のが面白いんだろうか。
 
 エルムズレイの手順は面白かったような気がしただけど、DVDを見たらクライマックスのあれが凄すぎてやる気がしなくなってしまった。

 昔、クライマックスが少々のあれでも楽しかった思ひ出があったのに。

●デビッド・リーガルの「Cups and Balls and Cups and Balls」のタネだけでも知りたい。

 どなたかヒントだけでもくださらないか。

●図書館にリクエストしていた本が借りられるようになった。

 来週の病院ついでに借りてこようと思ふ。




●おいらにしては、わりとアクティブな日々だと思うんだ。


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マジックのリハビリと日記29

2018-11-20 11:00:38 | マジックのリハビリと日記
●某日。カップ&ボールの日が終わった。

●クライマックスは50ミリ一個と40ミリ一個。

 ゆうきとも氏の手順より一個多いが、機会があったので、二個にしてしまった。

●ちなみに40ミリ一個は透明なボールである。諸事情で透明なボールに憧れをもっていたのである。

●しかし、びっくり箱のような終わり方になってしまったかもしれない。

 反省。

●友人は不思議、不思議と言ってくれたのだが。

●テンヨーのプラスティックのカップ&ボールを使って互いに練習していると、「こうなると金属製が欲しくなりますね」と言った瞬間に「そんなこともあるかと思っていたのだよ」と金属製のカップをあげた。

 上の(下の?)凹があまりない上に細長いタイプで、一方私はポール・フォックス・タイプに似たものを持っていたので譲った。

 30キロ近い道中を来てくれた上に米5キロをもらった身としては当然か。

 受け取ってくれたときに子どものような顔になってくれて渡す方も嬉しくなった。

●ほかに100均のジョークグッズ(偽という文字が出るライトとか)、テンヨーのミラクルミルクチョコレートを演じたりした。

 ミラクルミルクチョコレートはかなり受けた。

●この日は梨と柿をもらった上に喫茶店のお金まで払ってもらった。

 また、おみやげ考えないとなぁ。

●某日。来月はチョップカップだと決め、monthly Magic Lesson DVD VoL46を取り出す。

 ボール一つで演じるチョップカップのイメージがつかめない。途中やエンディング間際は二つ使ってもいいのだろうか。

 ちょっと練習してみよう。

●友人にはあまりにも敏感でおいらには使えないチョップカップを譲ろうと思う(半ば要らないやつを押し付けているような…。)


●あとは栗田研氏のデリシャスを演じられるようになりたいなぁ。

 友人からリクエストがあったんだよね。

 「Four of a kind」を見つけたんだけど読んでも理解できねぇ。読解力が落ちていやがる。

●某日。背中の痛みがかなり減る。



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マジックのリハビリと日記28 明日が決戦編

2018-11-16 12:30:07 | マジックのリハビリと日記
●某日。背骨が無事とわかる。

 えらいぞ、オレの背骨。これからもよろしくな。

●某日、友人に贈るもの豪華になりすぎた。

 医者に注意された。今後は反省しようと思う。

●某日、下の動画を見て驚愕、感動、素敵の嵐。

 カップ&ボールも極めればここまでいくんやねぇ。

 いつの日か演じてみたいねぇ。それとも、よもや、意外と簡単なのかしらん。

Regal Cups and Balls and Cups and Balls



●な、素敵だろ。過去と今をつなぐカップ&ボール(最初の三色のカップ&ボールは子供用のもの※ね)。

     ※そう言い切れない面もあるのだけれど。

●某日。背中が痛い中、カップ&ボールの練習する。うまくいかんところはうまくいかんなぁ。見ている分には気にならないと妻は言うが、自分的にまだまだ。

●某日。背中をセリフを意識して練習する。
 
 昔より話すのが下手になっている気がする。当たり前か。

 短めに、正確に話すようにこころがけよう。

 弱々しい自分の声がいやだ。

●某日。今日もカップ&ボールとミラクルミルクチョコレートの練習。

 あと、役場に出す提案書を書く。わりと時間がかかっていて、一週間をまるまる使っている。

 手品以外のことも病人なりに色々なことをやってみたいのである。

●大分和らいだ(腰痛ベルトのおかげ)が、まだ背中が痛い。



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中高生のための内田樹(さま) その24

2018-11-15 20:01:21 | 中高生のための内田樹(さま)
 内田樹氏が小学校の教科書に依頼されてボツにされた原稿だそうである。

 小学生には難しい文章だからだそうだ。
 
 ここでボツにされた理由を考えることを通して「誤読」をしてみたいと思う。

 ※ 『先生はえらい』にも「誤読の自由」ってあったしね。





もしも歴史が

 「歴史に『もしも』はない」というのはよく口にされる言葉です。
 たしかに、「起きなかったこと」は起きなかったことですから、「起きなかったこと」なんか考えてもしかたがないのかも知れません。
 でも、どうして「あること」が起きて、「そうではないこと」は起きなかったのか。その理由について考えるのはなかなかにたいせつな知性の訓練ではないかと私は思っています。
 どうしてかというと、過去の「(起こってもよかったのに)起こらなかったこと」について想像するときに使う脳の部位は、未来の「起こるかもしれないこと」を想像するときに使う部位とたぶん同じ場所のような気がするからです(解剖学的にはどうか知りませんけれど)。
 歴史の勉強をすると、「出来事 A があったために、出来事 B がその後に起きた」というふうに書いてあります。歴史的事件はまるで因果関係に基づいて整然と配列されているかのようです。けれども、ほんとうにそうなのでしょうか。というのは、私たちの世界で今起きている出来事の多くは「そんなことがまさか現実になるとは思いもしなかったこと」だからです。
 例えば、第二次世界大戦が始まる前に、ヨーロッパはいずれフランスとドイツを中心とした国家連合体になり、パスポートも国ごとの通貨もなくなるだろうと予測していた人はほとんど存在しませんでした。同じように、太平洋戦争が始まった頃に日米の緊密な同盟関係が戦後の日本外交の基軸になると予見していた人もほとんど存在しませんでした。
 でも、「そういうこと」がいったん現実になってしまうと、みんな「そういうこと」が起こるのは必然的であったというようなことを言います。
 でも、歴史上のどんな大きな事件でも、それを事前に予見できた人はいつでもほとんどいません。
 同じことが未来についても言えるだろうと私は思います。
 私たちの前に拡がる未来がこれからどうなるか、正直言って、私にはぜんぜん予測ができません。わかっているのは「あらかじめ決められていた通りのことが起こる」ということは絶対にないということだけです。後になってから「きっとこうなると私ははじめからわかっていた」と言う人がいても(たくさんいますが)、私はそんな人の話は信じません。
 未来はつねに未決定です。
 今、この瞬間も未決定なままです。
 一人の人間の、なにげない行為が巨大な変動のきっかけとなり、それによって民族や大陸の運命さえも変わってしまう。そういうことがあります。歴史はそう教えています。誰がその人なのか、どのような行為がその行為なのか。それはまだ私たちにはわかりません。ということは、その誰かは「私」かも知れないし、「あなた」かも知れないということです。
 過去に起きたかもしれないことを想像することはたいせつだと私は最初に書きました。それは、今この瞬間に、私たちの前に広がる未来について想像するときと、知性の使い方が同じだからです。
 歴史に「もしも」を導入するというのは、単にSF的想像力を暴走させてみせるということではありません(それはそれで楽しいことですけれど)。それよりはむしろ、一人の人間が世界の運行にどれくらい関与することができるのかについて考えることです。
 私たちひとりひとりの、ごくささいな選択が、実は重大な社会的変化を引き起こす引き金となり、未来の社会のありかたに決定的な影響を及ぼすかもしれない、その可能性について深く考えることです。もしかするとほかならぬこの自分が起点になって歴史は誰も予測できなかったような劇的な転換を遂げるかもしれない。
 そういう想像をすることはとてもたいせつです。
 何より、「私ひとりががんばって善いことをしても、何が変わるわけでもない」とか「私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない」というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている人に比べて、今この瞬間においてはるかに人生が充実しているとは思いませんか。



この文章が小学生に難しいのはなぜだろう?

以前紹介した文章に内田氏はこう書いている。

難解な文章を前にしている時、それが「難解である」と感じるのは、要するに、それがこちらの知的スケールを越えているからです。それなら、それを理解するためには自分を閉じ込めている知的な枠組みを壊さないといけない。これまでの枠組みをいったん捨てて、もっと汎用性の高い、包容力のある枠組みを採用しなければならない。


これをもとに「もしも歴史が」について考えてみる。すると小学生の問題ではないことが透けて見えてくる。

つまり、次のようなことだ。

「たいせつな知性の訓練」大人の誰が知性の訓練を大切と思っているだろうか。いや、知性の訓練を誰がしているだろうか。
「歴史的事件はまるで因果関係に基づいて整然と配列されている」と考えている大人がどれほど多いことだろうか。
「『何が変わるわけでもない』とか『私ひとりがこっそり悪いことをしても、何が変わるわけでもない』というふうに自分の歴史への参与を低く見積もって、なげやりになっている」大人がどんなに多いことだろうか。

大人自体が自分の「知的な枠組み」を壊せないのだ。

つまり、何のことはない。小学生にとって難しいのではない。

「大人」にとって難しい文章だったのだ。







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さぁて、来週の予定は

2018-11-10 19:17:40 | 日記
●月曜日、病院。

●木曜日、病院。

●土曜日、友人と会う。

●というわけで、カップ&ボール強化月間が終わろうとしている。

●今日、妻に動画を撮ってもらって見たが、ぎりぎりセーフか。

●自分では気になるところもあったが、うまくごまかしていたし、一番の難関もまぁまぁだった。

●他人様に見せられるレベルではないが友人に見せるくらいのレベルには達しているかと思う。

●あと、一週間あるし。

●一番の問題は自分の声が気持ち悪いし、小さい。

●声が小さいのは病状からしてやむを得ないのだが、それにしてもかすれていて弱弱しい。

●半年くらいはカップ&ボール強化の継続をしようと思う。

●カップ&ボール強化計画。

●昔、演じていたんだが、今ではすっかりわすれた手順があるんだよね。

●これをリハビリの長期的目標にしたいのだが、手順書をなくした。

●んでもって、DVDを購入する始末に。

●今月は手品道具を買わないという妻との約束があったのになぁ。

●船便で遅れて来月にならんもんかね。

●来月はチョップカップ強化月間。

●あと、今月と来月はテンヨーの新製品月間。

●とりえず、今月はミラクルミルクチョコレートを実演予定。楽しいな、あれ。

●再来月はカードマジック強化月間。

●って、再来月って来年やないかい。

●鬼が笑うからこの辺で日記を終えます。




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「あな不思議?」と「ミラクルミルクチョコレート」

2018-11-07 11:04:32 | マジック


●「あな不思議?」は1994年発売のMAGIC館(トリックスの系列店?)の作品。

●「ミラクルミルクチョコレート」は今年(2019年向け)のテンヨーの作品。

 まだ、未開封。これからのお楽しみである。箱に書かれた言葉だけでも面白そうである。

 「チョコに奇跡が起きる!?」である。
 
 起きるわけがないことが起こるというのはマジックならではでわくわくするよな。

●今、思うと「DP→テンヨー→トリックス→マジックランド」という変遷を経ていった気がする。そして、たどっていくとその都度マニア度が高くなっていったようなきがする。

●むろん、現在もDPさんの商品を買うこともあるし、マジックランドの帰りには必ずトリックスによっていたのだけれど。

●マニア化させられたのが「あな不思議?」で、テンヨーの立派な箱に入った作品に対して、ぺらっぺらっの商品で2000円にも関わらず満足した作品である。考案の野島剛司(not野島信幸氏)さんが自らも代表作とおっしゃっていた作品である。なにせ穴が実際に動くんだもんなぁ。ちなみにシェルでもフラップでもスライド板でもないよ。

●テンヨーは毎年、マニア化した私に初心を与えてくれる。箱を開けるわくわく感などを思い起させる。

 Amazonの分類だと「おもちゃ・ホビー」に入るようだが、そのおもちゃがマニアと化した私を毎年のようにふりかえさせる実力に感動する。

●今度、友人に会えたら「ミラクルミルクチョコレート」とカップ&ボールを見せる予定である。

●楽しみだ。
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