社会的共通資本は集団が存続するために絶対に必要なものです。だから、安定的に、継続的に、専門家によって、専門的な知見と技術に基づいて管理維持されなければならない。とにかく急激に変えてはならない。だから、社会的共通資本の管理運営に政治とマーケットは関与してはならない。
それは別に政治家や市場が下す判断がつねに間違っているからではありません(そんなはずがない)。そうではなくて、政治過程も経済活動も複雑過ぎて、次に何が起きるか予測不能だからです。そういう予測不能なシステムのことを「複雑系」と呼びます。わずかな入力差が劇的な出力差をもたらすからです。「ブラジルの一羽の蝶の羽ばたきがテキサスに竜巻を起こすことはありうるか?」というのは予測可能性についての有名なフレーズですが、複雑系ではそういうことが起こる。だからこそ人々は政治や経済に熱中するわけです。
でも、空気がなくなるとか、海が干上がるとか、森が消滅するとか、ライフラインが止まるとか、学校がなくなるとか、病院がなくなるということがあってはならない。当然ですね。それでは人間が生きてゆけないから。だから、社会的共通資本を複雑系とはリンクさせてはならないということになります。
政治は「よりよき世界」をめざした活動です。経済は「より豊かな世界」をめざした活動です。たぶん主観的にはそうだと思います。初発の動機は、いずれも向上心や善意や冒険心です。悪くない。ぜんぜん悪くない。でも、歴史が教えるように、めざした目標がどれほど立派でも、複雑系においては、予測もしない結果が出て来る。必ず予測もしなかった結果が出てきてしまう。よりよき世界をめざした政治活動が戦争やテロや民族浄化をもたらしたことも、より豊かな世界をめざした経済活動が恐慌や階層分化や環境破壊をもたらしたことも、ともに歴史上枚挙に暇がありません。
それでもいい、何か劇的な変化が欲しい。それがないと退屈で死んでしまう・・・というのがたぶん人間の「業」なのでしょう。僕にだって、その気持ちはわかります。だから「止めろ」とは言いません。でも、お願いだから、社会的共通資本にだけはできるだけ手を付けないで欲しい。
(『公共と時間について』より)
※原文の強調部分を変更している箇所がある。
問い 傍線部「お願いだから、社会的共通資本にだけはできるだけ手を付けないで欲しい。」のは何故ですか。
【解答例】
政治や市場経済がよりよき世界、より豊かな世界を求めて善意や冒険心を持って行動し、集団が存続するために必要なはずの社会的共通資本を変更すると、社会的共通資本は複雑系に組み入れられるために何がおこるかわからず、それが不安定で断絶したものになってしまうから。
『公共と時間について』の全文はこちら。
※年内、最後の記事が「中高生のための内田樹(さま)」になってよかったよかった。