作者の吾妻ひでおって、私の人生では、常になんだか、わからないけど、そこにいる存在であった。
「レース鳩アラシ」「ブラックジャック」「がきデカ」そして、人生レベルで影響を与えてくれたのではないかと思える「マカロニほうれん荘」などを読むために少年チャンピオンを買っていたころに、なぜかいたし、ちょっと、マンガに娯楽以上のものを求めていた頃に読んでいた「別冊奇想天外SFマンガ大全集」にもいた。
大学院の頃は、吾妻ひでおを神とあがめていた先輩もいらした。
その方の自伝である。ホームレス、ガテン系、人気漫画家、アル中などについて、ギャグとして良く描かれている。残念なことにこのあたり、とり・みき氏の巻末対談での発言が良すぎて、略す。買ってみよう。
で、だ。
私としては何を書くかというと、日常と非日常についてである。
私は子供の頃、オフクロの目を盗んで、よくお椀で牛乳を飲んでいた。
普段、味噌汁を飲むために用いていたお椀で、コップに入れるべき牛乳を飲むと、普段より美味しく感じていたのだ。
これは非日常性が味覚になったのだろうと大学生時代に(勝手に)結論付けていたのだが、それと逆のことをこの本を読んで感じ、怖かった。
アルコールというのは、非日常の部分に属す飲み物である。それが枕元にあり、マグカップで飲む。
非日常の日常化。
アル中って、そういうことなんだと思った。ねじれ感を持った存在である。サイバラはアル中を「おとなの迷子」と言ったような気がするが、これもねじれている。
非日常の日常化って、異常に怖い。一部の天才を除いては、おぼれるのではないかな。
このあたりを文明レベル(近代批判)として書くと、大学時代に、はまっていた栗本慎一郎氏の「都市は発狂する」(カッパブックス)で述べていた話になるような気がする。
やはり、不思議なもので、吾妻ひでおって、常になんだか、わからないけど、そこにいる存在なのである。
私の関心領域に接したところにいるのである。
なお、本書を知ったのは
極私的脳戸であった。感謝。
【日記】
しかし、寝付けない。明日も早いのに。眠いというより寒い。この時期にヒーターが壊れなくてもいいのに。