国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

マジックのリハビリと日記13

2018-08-31 18:51:09 | マジックのリハビリと日記
●某日から某日。週刊マジオンから以下の作品を練習したり、デックを組んだりする。

●「インフルエンサー」「オールスタープロダクション」は真っ白系だから好き。

●「クイックトライアンフ」「ミニトライアンフ最新版」はトライアンフのひとつくらいできなきゃという気分で練習対象に。片方はリフルシャッフルというリハビリ者には壁がある。けど、賢い作品だからできたいものだ。

●「ツーインワンプリディクション」「ビッグレストア」ちぎったカードって非日常的で好きだ。

●「3ポイントアクロス」コインマジックの一つくらいできたいよね。けど、リハビリ者には難しい部分もある。昔なら楽勝なのにね。

●こんな感じの週刊マジオンとのお付き合いの日々。

 第2期、始まらないかなぁ。

●某日。弟子と言ってくださっていた方の少しでも役に立つかもしれないので、国語やら内田さまやらのカテゴリーを充実させていきたいと考え、地道にそちらをやっている。

 つか、現在も国語屋をやっている皆さんに利用していただければなと思う。

 ま、陸軍予科士官学校の作文参考書もある意味、国語なんですけどぉ。

●某日。22(Twenty-Two)の練習開始。意外とつるつるしているのでびっくり。

 意外と練習が難しい。一人二役のせいか。カードに触れることに慣れていないせいか。

 けれど、比較的易しいマジックに入るよ。

●発案者の「遊」こと横田雄一氏はマジックバーでマスターもされているそうだが、生で見たかったなぁ。

 ライブで見てたら最高だったろうなぁ。

 観客の反応こみだよね、マジックは。

 特にマジックバーみたいな状況=お酒が入っているけど、マジックを見に来た大人が多い状況でこれやられたら忘れられないマジックだろうなぁ。

 ま、私、お酒は飲めませんけどぉ。

 演者としてがんばらないといけないマジックだわ。

 



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中高生のための内田樹(さま) その2

2018-08-31 16:24:18 | 中高生のための内田樹(さま)
前回に続き非合理主義的な内容である。現代文の評論は近現代を批評することが多いので、合理主義の時代である近現代を批判するために「非合理主義」がプラスの用語になる文章が意外と多いのだ。

また、この文章は身体論入門にもなっている。




 
 薩摩示現流の流祖に東郷重位(しげかた)という人がいた。城下に野犬が出て人々が困っているという話を聞きつけて、重位の息子が友人と野犬を斬りに行った。何十匹か斬り殺してから家に戻り、刀の手入れをしながら、「あれだけ野犬を斬ったが、一度も切先が地面に触れなかった」と剣をたくみに制御できたおのれの腕前を友に誇った。隣室で息子たちの会話を聞いていた東郷重位はそれを聞き咎めて、「切先が地面に触れなかったことなど誇ってはならない」と言って、「斬るとはこういうことだ」と脇差で目の前にあった碁盤を両断し、畳を両断し、根太まで切り下ろしてみせた。
 私の合気道の師である多田宏先生は稽古で剣を使うときには必ずまずこの話をされる。剣技の本質をまっすぐに衝いた逸話だからである。重位が息子に教えたのは剣技とは「自分の持つ力を発揮する」技術ではなく、むしろ「外部から到来する、制御できない力に自分の身体を捧げる」技術だということである。
 剣というのは、扱ってみるとわかるが、手の延長として便利に使える刃物のことではない。そうではなくて、剣を手にすると自分の身体が整うのである。私が剣を扱うのではなく、剣が私を「あるべきかたち」へ導くのである。
 「身体が整う」「身体がまとまる」というのが剣を擬したときの体感である。ひとりではできないことが剣を手にしたことでできるようになる。構えが決まると足裏から大きな力が身体の中に流れ込んで来て、それが刀身を通って、剣尖からほとばしり出るような感じがすることがある。そのとき人間は剣を制御する「主体」ではもはやなく、ある野生の力の通り道になっている。
 東郷重位は「斬るとはこういうことだ」と言って、地面に深々と斬り込むほどの剣勢を示してみせたが、人間の筋力を以てしては木製の碁盤を斬ることはできない。むろん鉄製の甲冑を斬ることもできない。できないはずである。でも、それができる人がいる。それらの剣聖たちの逸話が教えるのは、彼らは「人間の力」を使っていなかったということである。


問 赤線部にはどのような力が使われているのか。










解答例 通常、想定される人間の筋肉で制御できる力ではなく、剣という外部から到来する野生の力。
 



なお、全文はこちらです。
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普通の日記

2018-08-30 14:52:08 | 日記
●「血界戦線」、面白い。はまった。アニメの次はマンガにはまった。

「22(Twenty-Two)」が届いた。詳しくは後で「マジックのリハビリ」に書く予定。まずは届いたのがめでたい。

●「作文参考書」の第一篇が終了。

 この本をどうやって入手したかを説明すると、県立図書館で無料で配っていた本の中にあったのだ。

 国語屋としては持ち帰るしかないと思ったのだ。

 他にも朝雲新聞社の「戦史叢書」も何冊かもって帰った。

 「戦史叢書」と「作文参考書」の持ち主は同じ人だったのだろうか。

 念のためだが、戦争の本しか持って帰ってないわけではない。

 大正時代のポスターをオールカラーの図鑑にしたものなども持ち帰った。

 こういうの蔵書にしないのね、図書館は。

 本は重たいから欲しいものをこれ以上は持って帰れなかった。




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作文参考書 陸軍予科士官学校 その16

2018-08-30 14:20:00 | 作文参考書 陸軍予科士官学校
 第七章  雑録
第一節 作文の病

作文の第一の病は主意の立たぬことなり。主意立たずして書きたる文は価値なし。(中略)作者のこの病に罹ることは第一、頭脳明晰を欠くるがために、一議論に向かって論理的に纏れる有機的組織の論旨を組み立つる力なき故なり。第二、平素言論する事がほとんど囈語的にして、真摯なる談論に心がけの足らぬが故なり。第三、平素他人の名文佳作を読むも、ただ皮相的に読了するのみにて、深くその組織だてる構想着意の妙味を喫せざるが故なり。(中略)
作文の第二の病は、脈絡貫通せざることなり。「脈絡貫通せざる」とは、筋の通らぬことなり。辛うじて主意だけは読者に了解せられても、文の筋道通らぬものなれば、その了解たるや、読者が作者の意を迎えて解くこと多きなり。故に、推察能力の少なき読者に向っては、この文の用を為さざること、主意の立たざる文と大差なし。(中略)分断法あり、布置序あり。首尾一貫、明快人を動かすに足れり。
第三の病は美辞佳句に囚わるることなり。かつて読んで記憶せる美辞佳句を好んで利用せんとするものあれど、そは大いなる誤なり。文は美辞佳句のタメに作るものにあらず、我が思想のために作るものなることを思わざるべからず。我が詩藻三昧より自ら筆端に迸り出づる美辞佳句は固より悦ぶべけれど、もし美辞佳句にのみ眩惑するがごときことあらば、爲に往々にして我が大切なる思想を枉ぐるに至るものなり。(中略)
第四の病は、本旨を閑却して多く他を言うことなり。題意に関する思想が未だ凝結せずして雲霧の状態にあるとき往々この病弊に陥る。(中略)
この他、文の病弊の数うべきものなお多かるべし。唐突を奇抜と思い誤りて得たたるも不可なり。平々凡々尋常小学三四年生の筆にも似たるういういしさをもって、明晰得たりとなすも不可なり。難語難句を並列していわゆる佶屈聱牙もって得たりとなすも不可なり。故なく故事・成語を出し列べて我が学を衒うは陋。剽窃は陋の陋なるものなり。常識を逸してしかも得々たるは、その心の程も見えて浅まし。或は不純物を混じて、いわゆる玉石混交の文を作り、想に辞に、その石を去ってその玉を磨かざるは、またもって得たりとなさず。辞様はそもそもす末なりといえども、一髪の乱れももって相好を傷つくるものあるを思はざるべからず。口語と文語と、片仮名と平仮名との混交もまた避くべし。文法の誤、字画の誤などは、決して見のがすべからざるものあり。(中略)誤字の甚だしきは今日一般学生の通弊なり、深く諫めざるべからず。書き方の不潔蕪雑ということも、またその人の品性を左右すること無きを得んや。簡潔固より貴ぶべしといえども、簡に過ぐるもまたもって得たりとなさず。

(以下略句読法・記述雑例などについて)
第一篇終了
 
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中高生のための内田樹(さま) その1

2018-08-30 09:31:19 | 中高生のための内田樹(さま)
静かな一日。
朝起きてメールをチェックすると、多田先生からメールが来ていた。
前日、今度の広島での講習会に杖・剣を持参すべきかどうか、学生たちから問い合わせが続いたので、それを確認するために先生にメールを差し上げたのである。
「メールで失礼いたします。
今週末の広島講習会ですが、杖剣は持参したほうがよろしいでしょうか?
これまでの広島講習会は体術だけでしたが、何人かの部員から問い合わせがあり、『要らない』と断言するのもはばかられて、お訊ねする次第です。
お忙しい中、お手数ですが、『持参せよ』か『持参せずともよろしい』かだけお知らせ頂ければ幸いです。」
という私のメールに多田先生は次のようなご返事を下さった。
「内田樹様
広島で杖、木刀の稽古を行った事は、旧広大の道場で一回だけあります。
今回は私も杖木刀を持ってゆこうと思っております。
『持参せよ』
多田  宏」
私はこのメールを読みながら、足ががたがた震えた。
 
多田先生が広島での講習会を始められたのは先生が20代の頃からのことと伺っている。
ということは、ほぼ半世紀のあいだに先生が広島で杖・剣を使った稽古をされたのは一度だけということである。
私が広島の講習会に参加するようになってからも多田先生が稽古で杖剣を使われたことは一度もない。
帰納法的な思考をする人であれば、ここは「確率的には『使わない』ので、持参するには及ぶまい」というふうに「合理的に」推論するだろう。
現に私もそのような「合理的思考」にいつのまにかなじんでいた。
多田先生は私にそのような「帰納法的推理」は「武道的思考」とは準位が異なるということをきびしく示唆してくださった。


問 赤い部分に「足ががたがた震えた」とあるが、その理由を説明しなさい。











解答例
自分が未だに帰納的な、合理的な思考に毒されていて、いかなる状況にも対応することを前提にした武道的思考になっていないことを師から教えられたから。


ポイント
前半からでなく後半から解答の根拠をもってくるのがポイントになる。「きびしく示唆」に震えたのだ。

なお、全文「「師恩に報いるに愚問を以てす」を読む(というか読もう)と多少違う答えも出るが、現代文は抜き脱された範囲で解答するのである、。念のため。


ここでいくつかの重要語を整理しておこう。

【帰納】
[名](スル)個々の具体的な事例から一般に通用するような原理・法則などを導き出すこと。「以上の事実から次の結論が帰納される」⇔演繹 (えんえき) 。
【演繹」
与えられた命題から、論理的形式に頼って推論を重ね、結論を導き出すこと。一般的な理論によって、特殊なものを推論し、説明すること。「三角形の定理から演繹する」⇔帰納。
【合理】
道理にかなっていること。論理的に正当であること。

なお、いずれもgoo辞書を参照している。(このブログがgooブログだしね)

本文が大事で設問解説は蛇足ですからね!念のため。




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作文参考書 陸軍予科士官学校 その15

2018-08-29 18:16:45 | 作文参考書 陸軍予科士官学校
 第五章 第二節 文の種類

文の種類を大別して二と為す。いわく、散文、いわく韻文(我が国語の性質上、押韻文なし、よろしく律文と名づくべえしとする者あり。)これなり。散文をまた大別して二と為す。いわく普通文、いわく書牘文。普通文は概して記事・叙事・解説・評論・感想・式辞・勧誘等に別たるべし。世に叙情文と称するあり、感想の類に属せしむべきか。随筆なるものあり、また感想の一類たるべし。小品なるものあり、こは感想に属すあり評論に属するあり。訓諭・訓示のごときも勧誘の一体と見做すべく、報告・具申のごときは蓋しまた記叙論説の錯綜応用せらるべき一体たらん。およそこれらの分類はただその大体について定めたるものにして、もとより確然たる区画あるものにあらず。記事にして叙事を含めるものまた固よりあり。各種互いに相錯わり相助けて、ここに始めて如何なる事にも遺憾なき発表を期し得るなり。
もしそれ漢文より因襲せる名に従はば、記あり、紀事あり、序あり小序あり、引あり、題あり、跋あり、説あり、弁あり、論あり、伝あり、行状あり、表あり、疏あり、箋あり、賛あり、頌あり、箴あり、檄あり、碑文・墓誌銘・祭文・弔文等ほとんど枚挙に
遑あらざらんとす。序に送別の序あり、書籍の序あり、等しく書籍の序というにも、自ら序するあり、人に請いて序せしむるあり。(以下略)

第六章  文の変遷

(引用文を省略)
以上、桂月の説くところのごとし。かくて大正を経て昭和に入り、我が文運はますます開けたり。殊に世界大戦以来、急転直下の勢をもって進展し来れるもののごとし。世界思想に入り、世界文学入り、世界的となりて、文章もまた世界的に面目を改めつつあり。而して口語体の勢力、また頓に加われり。帝国の将来の文章、それ燦としてますます光輝を発せんか。

 
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新カテゴリー「中高生のための内田樹(さま)」

2018-08-29 10:25:28 | 中高生のための内田樹(さま)
内田樹先生というのは私にとって何人かの「師」の一人である。

直接、お会いしたわけではないが「本居宣長」が私の師であるように、その文の読者というだけで人は師をみつけることになるのである。

もし中高生の方で単なる先生はいても師はいないという人は古今東西を問わず本を読み、ネットならTEDあたりを見て感動した人を師にしてもよい。

このあたり内田樹先生の『先生はえらい』を読んでいただきたい。

宣長好きであり、保守傾向の強い私にゆとりをくれた方であるといえば、その素晴らしさをわかってくれるだろうか。

一度、凝り固まった思想をほどくのは至難の業なのだ。転向じゃなくて「ほどく」「ゆとり」というのがポイントね、念のため。

内田先生の文章を読んで大人として、国語屋として育った面は強いのである。

内田樹先生はとても先鋭的な人なので 
「私はネット上で公開した自分のテクストについては「著作権放棄」を宣言している

 方である。

そこで中高生に読んでほしい部分を抜き出して、内田樹入門、現代思想入門などなどにしていきたいのである。

いわば他人のふんどしで相撲をとるわけだが、その通りだ。

時に設問や解説をつけるかもしれないが、蛇足と思っていただければ幸いである。




なお、内田樹氏を教えてくださったのは敬愛する矢吹大先輩であった。

感謝している。




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単なる日記

2018-08-28 19:00:52 | 日記
●ちゃんとした手順でマジックするの楽しいと思いました。

 カラーチェンジナイフ楽しいわぁ。

●「作文参考書 陸軍予科士官学校」の前半である第一篇ももうすぐ終わる。

 第二篇は需要・反応があればやる。

●この企画はリハビリとしてはよかったと思う。

●明日から何をしようか。やはり第二篇か。




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作文参考書 陸軍予科士官学校 その14

2018-08-28 12:28:51 | 作文参考書 陸軍予科士官学校
 第五章 文体 文の種類

第一節 文体
文体とは文の姿なり。作家の風格が思想の本、辞様の末に表われてここに種々の文体を生ず。微細に論ずれば、百人百体を生ずべく、由をもって「文は人なり」の各人各個の個性を発揮すべきなり。
普通、文体に名づくるもの、いわく簡潔、いわく蔓延、いわく剛健、いわく優柔、いわく乾燥、いわく華麗、いわく荘重、子細に挙げなばなお多かるべし。
一、 簡潔体 力めて修飾語を去り、裁断節略を行い、少数の語に多量の意義を与わしめ、辞達してやむものなり。含蓄あり、余韻あり、高雅なり、質実なろは良し。されど、拙なるときは無味乾燥に陥り、かつ意味の明瞭さを傷つく。
二、 蔓延体 委曲を盡し詳細を極め、有らんかぎりの修飾を施し、一意の表現にも千言を費やし、錙銖も残す所なきものなり。丁寧懇切なるは良し。拙なれば過巧繁細厭うべきに至る。
三、 剛健体 表現の手強きをいう。男性的なり。熱情の人、情熱の熾盛なる時、多くはこの体を執る。題材について言えば、強力・威等を現わすべき場合は自ずからこの体に出でざるべからず。省筆・倒装・警句・直言・漸進・層語等、雄健を加うべき辞様に富み、優麗の表現に資すべき他の措辞は勢いも多く用いられざるを常とす。簡潔体に似たる点あれど、も、子細に見れば、簡潔にしてしかも剛健なるあり然らざるあり、剛健体にしてしかも簡潔あり然ざるあり。一概に律すべからず。
四、 優柔体 表現の哀れ優しきをいう。女性的なり。涙もろき人、涙ある時、多くはこの体に出ず。哀怨の場面を描く際などには自らこの体の相応わしきを見る。用語の心づかいは全く剛健に反せり。
五、 乾燥体 一つも修飾を施すことなく、読者を動かすことなく、単に理解に訴うるをもって足れりとするものをいう。法律規則の類、解釈説明の文、その他実用の文、多くはこれに属す。
六、 華麗体 過度に修飾を施し、絢爛の美を衒うものをいう。初心の輩多くは好んでこれを用う。可巧厭うべきを見る。老成の人はほとんど悦ばず。
七、 荘重体 一読人をして襟を正さしめ、崇高森厳の気に打たれしむるものをいう。詔勅・聖喩の類と、上奏・賀表の類とより、およそ皇室に関し、神祇に関し、父祖に関し、その他総て恭敬の情の溢るる中に草すべきものは、皆この体に属す。
辞様の差異に基きて言えば、口語体あり、文語体あり。文語体とは歴史的文章にのみ用いられたる辞様に作られるをいい、口語体とは現在平素の談話公園等に用ふる辞様に基きて作れるをいう。世往々、口語体をもって言文一致体と称するもの有り。されど精密に言えば言と文とは一致するものにあらず、相似の極めて近きのみ。
言は流動物なり。文は結晶物なり。言は耳に訴え、文は主として目に訴う。言には音別・音数・音次・音長等によりて文には智的方面の思想を表現する外、更に音度・音幅・音色を利用し、相貌・身振・手真似等を用いて十分に表情の工夫を施すことを得れども、文に在りてはこれ等の諸要素を悉く利用しもって表情を完全にならしむること能わず。文に記し得べきは音別・音数・音次・音長等、客観的方面に属するもののみなり。故に抑揚(すなわち音度)音長の伸縮・相貌・身振・手真似等は、その講演談話の調和を得しめ、意義の強調・注意の焦点を示す等に欠くべからざるにも拘らず、速記文はこれを標出し得ざるが故にその講演談話の妙味の一半は減殺せられ、唯その智的半面を留むるのみ。この際、もし多少読者の情を動かすものありとせば、その速記文の表情・工夫の故にあらずして、適々読者がその言に溯りて追憶喚起せる情ならんのみ。文のこの欠点を補わんがためには他に種々の手段を講ぜざるべからず。手段とは何ぞ。すなわち修辞的研究の半面これなり。吾人はこの修辞的研究及びその運用によりて、能く金玉の響きあり人を動かし鬼神を泣かしむる名篇をも作り得べし。要するに口語体の文は、口語を基礎として生面を開くべく、これが研究練習の閑却すべからざることは、文語体の文におけると大差なし。
吾人はさらに、後に説かんとする文の種類基きて文体を別つことあり。たとえば、散文体と称し韻文体と称するがごとし。時として記事文体乃至論文体などさえ称することあり。
この外なお、姿容の雅俗に著して雅文体・俗文体等を称するあり、時代に著して王朝体・鎌倉体・元禄体・将々擬古体等と称するあり、作家に著して西鶴体・馬琴体・近松体等と称するあり、代表的著作に著して太平記体・万葉体・古今体等と称するあり。今略して述べず。
 
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マジックのリハビリと日記12

2018-08-28 09:29:21 | マジックのリハビリと日記
●某日。マジック道具を整理してたら変わった構成のカラーチェンジンナイフが見つかる。

 mMLの何号かに載ってたよなぁと探していたらⅤo59であった。

●某日Vol59を見たら×××ムーブはむたみに使うなというアドバイスに感動。

 今まで無駄にやっている回数が多かったもんなぁ。

 しかも、ゆうきとも氏の動きがきれいで、さすがでしたわ。

 クライマックもあるし、道具もあるし、練習してみようっと。

●某日。昔の同僚のブログを偶然にも発見。

 お仕事、がんばっていらっしゃるなぁと感心しきり。

 私と意見の違う点もあるが、まじめでいい講師であった。

 今後は見ないようにしようと思う。国語屋としての自分が恥ずかしいため。

22(Twenty-Two)

 新しい手順とレインボーデックとしゃっれけ(先祖伝来のフレーズとか)なんておいらのためにあるようなもの。

 しかも難度が低いなんてリハビリにもってこいではないか。

 まだ届かないけどな(地方だからな)








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