国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

マジシャンとしての「初めまして」

2023-05-08 12:03:34 | 連絡先・自己紹介など

●諸事情でマジシャンと名乗って人と会わなくてはいけなくなった。2~3分(1分でもいいけど)でマジシャンとして認識していただかなくてはならないのだ。

●そいうわけで自分が考案したり、実演して好評だったりしたマジックを披露することにした。

●しかも、少ない実演数で(会っているのに制限時間がある相手なのだ)すむようにしなくていけない。なので、手順ではなく「いくつか見ますか」的な流れで。

●まずは

●これはゆうきともLIVE「30秒動画コンテスト」で好評だった。ゆうきとも氏に褒められたのだから、自信を持って演じたい。

●この道具自体には欠点があるけど、演じるスピードは早い。

 経歴書にも「30秒コンテスト」のことは書いておいた。

●本当は

株式会社Straight(法人化おめでとうございます)のバニシングデック方が好みだが、今回は経歴に書いている方を見せる。

●ここで終わらせても良いのだが、他にも見せる時間があったら、自分が考えた「J-WAVE」を。これも経歴書にあるし、短いし、普通の人には珍しいであろうメンタルマジックだし。

●欠点は枚数が少ないパケットトリックなので、一般の方にはなじみづらい設定なことか。けれど、自分で作ってしまった作品である以上、仕方がない。愛着もある。

本宮氏にこの作品の構想を聞かされた時、私(南部)はちょっと驚きました。
あまり例を見ない独自の着想によるサトルティ的な作品で、
「ああ、こんな考え方(方向性)があったのか」と感心した覚えがあります。

この作品は、一度弊社(mML)で、ある商品の発売時に「ボーナス原稿」として
使用させていただいたのですが、それだけではもったいないクラスのアイデアだと
思うので、今回正式に一般に発表させていただくことにいたしました。
ある意味(制作側の意図としては)、これが今回のDVD制作の主目的となります。

●↑上↑ほどの評価を南部氏からいただいている作品だから自己紹介の一部として演じてもよいだろう。

●他にも話し合いが終わった後に時間が余った場合に備えて、『マジックカードA.M.A.』Straight Leather Deck Holsterにこっそりと忍ばせておく予定。企画・開発した製品として経歴書に書く予定だからね。

●その場合、演じる予定なのは、ツーカードリームである。「読心術、予言、移動、そして交換現象が流れるように繰り広げられる壮大な手順」なのである。

※商品説明では移動現象の記述が書かれていない。また、冊子では手順と書かれていない。「原案者、本宮氏が多用している『演技』です」とある。「手順」ではなく「演技」だって。

●経歴書で国語屋としての実績があまりにも(一見)素晴らしいので、マジシャンとしての印象を残すためには自分がらみの作品で攻めるのだ。

●というわけで、リハビリ兼練習がてらの今日のボランティアを体調不良で断っておいたくせに、今度の日曜に初対面の相手に見せる予定の私なのでした。

●大丈夫か、俺。

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ひと振りすると

2020-05-20 18:36:14 | 連絡先・自己紹介など

 びっくり箱のようなマジックという言葉が誉め言葉になるかは怪しいところだが、沢浩さんのクラッシュダイスはびっくり箱のようなマジックの中では名作中の名作だろう。

 テンヨー製のそれは仕掛けの処理もできる傑作であり、以前はしばしば演じていた。

 母に見せたときのことである。容器に入った1個のダイスをひと振りすると、小さいダイスに分裂した。かなりあざやかに分裂する。当然、見せた結果として母は驚き、私は仕掛けの処理をし、手渡した。もうこうなると非マジシャンはよろしくない。さらに家族だとよろしくない。「どうなっているの?」などと言って、タネを知りたがるのだ。あるいは、「もう一度見せて」というのだ。いわゆるサーストンの3原則もへったくれもない。母の目の前で種明かしをし、何が起きるかを知っている母の前で、もう一度同じマジックをしたのであった。

 さすが名作である。母は仕掛けも演じ方も知ってしまった母は次の段階を要求してきた。自分もやりたいという旨の申し出である。母の場合はダイスという言い方よりサイコロの方が自分的にしっくりとくるので、以下固有名詞以外はサイコロとするが、母に演じてもらうために大きめのサイコロを私がセッティングしてから、母が容器を持ち、ひと振りすると、見事に、そして、爆弾のように小さいサイコロに分裂した。母は素直に喜んだ。仕掛けの処理の仕方までは母には難しく、母に伝えきれなかったが、母は自分が経営している音楽教室(ちなみに私たちの自宅だ)で生徒さんたちに見せたいと言う。別に私としては異論がない。さぞかし、生徒さんたちは驚き、そして、喜ぶことだろう。それは悪いことではない。

 ただ、問題があった。仕掛けの処理ができないのは仕方がない。慣れと練習が必要だ。しかし、サイコロのセッティングができないというのだ。正確にはめんどくさいだけだったのかもしれないが。

 かくて次のようなルーティンができた。母が生徒さんに見せる。夜遅く(というより早朝のこともあった)帰宅した私がグランドピアノの上にあるクラッシュダイスのサイコロにセッティングする。母が次の日の生徒さんに見せる。夜遅く帰宅した私が…。ある意味、文通のようなものである。「今日見せたよ」「じゃあ、明日も見せて喜ばれると良いね」という感じか。

 テンヨーのキャッチコピーに「手品はコミュニケーションの道具です」というフレーズがあったが、こういうコミュニケーションの仕方もあったのである。

 生徒さん、特におそらくはお子様の生徒さんらに見せ終わったらしく、サイコロはセッティングされたままになった。

 突然、母は亡くなった。いろいろあったが、一区切りしてグランドピアノのある部屋に行くとセッティングされたままのクラッシュダイスが置いてあった。ひと振りした。サイコロはばらばらになった。

 

 仕事にかまけすぎていた私は、首都圏を離れること700キロ弱の西日本へ引っ越すことにした。仕事と人間関係のほぼすべてをリセットするためだ。

 ちょっとした聖なる器と化したクラッシュダイスは当然のように家の入口の靴箱の上に置かれた。一人暮らしの私にとって演じることのないクラッシュダイスがある玄関は「ただいま」を言いやすい環境を作ってくれた。

 

 結婚して引っ越すときにクラッシュダイスはテンヨー箱に入れられることになった。ちなみに3カードモンテ2箱の隣である。

 「ただいま」を言う相手がいるからかもしれないが、テンヨー箱にしまうことにしたのだ。

 

 しばらくして、困ったことが、いや、不愉快なことが起こった。テンヨーが全世界独占販売権を取得したはずのクラッシュダイスの格安版がお店に結構な数で並んでいたのである。

 帰宅した私は“本物の”クラッシュダイスを箱から出し(途中、「いやあ、久しぶりだね超能力ダイス君」などと言った具合に旧交を温めたりしながら)、セッティングをすませてから妻に見せた。人に見せるのは本当に久しぶりだ。容器に入った1個のサイコロをひと振りすると、そのサイコロは小さく分裂した。当然、妻は驚き、そして、聞いてきた「どうなっているの?」

 

 

第一回マジックエッセイコンクール演技部門の最優秀賞受賞作品です。

当ブログへの掲載許可をくださった選者である戸崎拓也様に感謝申し上げます。

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自己紹介~その2~(国語屋前編)

2020-05-16 17:43:27 | 連絡先・自己紹介など

●今でこそ手品・マジックブログと化しているが、元々は国語屋(主要記事一覧)である。だから、国語の記事は意外と(本来は「戯言」中心であった)充実している。国語全般の記事はこちら→国語記事全部中高生のための内田樹(さま)は除く)

●地道に読んでくださる方もいて、過去記事にも関わらず、リアクションを下さる方もいらして嬉しいのである。一般の国語関係の読者も当ブログへ意外といらっしゃいる。亦説ばしからずや(またよろこばしからずや)。

●ここで自己紹介がてら自分の過去を振り返ってしまうのである。こうして国語屋というもの(一般化していいものやら)は成長していくのだなという感じが伝わっていただければと思うのである。

●家庭教師を除いて国語屋になったのは大手予備校の中学部からである。何と教歴なしで教えることになってしまった。よくもまあ審査を通ったものである。

 教歴なしに採用された要因をいくつか挙げておくと次のとおりである。

 1推薦人が大手予備校の超有名講師。これで1次は突破。

 2大学受験時に偏差値は80近くあった。

 3中学部有名講師の授業を聞くときにオリジナルのメモ用紙を作って受講していた。

 といったあたりだろうか。特に3が重要。板書だけでなく、セリフ、時間配分までわかるメモ用紙を自作したのである。元はSF小説の書き方で作品を分析するためのメモだったのだが、それを改造して作ったものである。

 このメモを本部校舎の課長に見られたときに「何でこんなものを作ったの?」ときかれ、「私は教える技術も実力もあります。ただ、時間配分だけがわかりません。それを知りたいのです」などと答えたものだ。生意気である。「技術も実力もあります」と言い切るなんで。若さゆえのという感じか。とりあえず、過去に無駄なものはないということをその時に学んだ。SF小説の分析メモが国語科講師になるのに役立つのだから。

●試しに雇用される。3月から一年間、週一で中学2年生の選抜クラスだった。受験直前の緊張感もないし、一般クラスのような怠け者はいない。そのあたりの事情と私は考えている。ちなみに3月に有名大学大学院文学研究科に合格。学歴にややコンプレックス(中堅大学の経済学部)のあった私には非常にありがたかった。ちなみにこの経済学部出身ということが大学受験科の小論文で大きな力となってくるが、その時は知る由もない。

※一応自慢してしまうが、中堅大学の経済学部をたしか首席で卒業である。卒業授与式で総代だったし。

●4月から中3一般クラスの担当が決まる。理由は3月に週5で入った新人さん(俺と同じ新人の立場じゃないか。なのに週5とは)が疲れるので1コマ減らしてほしいと頼んだから。中3一般クラスというとその校舎最大人数のクラスで新人に任せるのは不安だったが本部校舎の課長の強い推薦で決まったらしい。詳しくはわからない。アンケートもよく、夏期講習などは受講生が100名を超えていたがびびることなく授業に成功。2学期から中3一般クラスを増設する校舎でもコマをいただく。週3になると大学院より予備校の授業が面白くなり、大学院をおろそかにしてしまった。しかし、大学院での経験は後の大学受験科で役立つことになる。過去に無駄はないのである。大手予備校ではカメラが各教室ごとについていたのだが、板書を注意される。大学受験科の恩師みたいな板書をしてしまっていたからの注意である。中学生にわかりやすく板書をしなさいとのことであった。この後に修正した板書スタイルは原則として継続することになる。

●カメラのある教室で思い出したが、新人講師さん(たしか数学だったように思う)からエレベーターの中で、「あの教室のカメラで職員さんから見られることがあるんですか? あと、教室のマイクで授業を聞かれることがあるんですか?」と質問されたことがある。「たまにあるよ」と答えたら胃のあたりをおさえて、膝からくずれおちた。今考えればそのくらい緊張する職場だったのだなとも思う。そのあたり感覚が麻痺していたのだけれど。

●数年ほど経った頃、選抜クラスまではアンケートもよかったのだが、どうも特別選抜クラスのアンケートは好ましくなかった。このあたり、予備校の教務課から何か言われたわけではないが、自分のコンプレックスだった。しかし、ある年、少人数の特別選抜クラスで一流校へ全員を送りこむことに成功。偏差値では上位の中学生の頭の働き方を理解する。この年、自分自身の国語問題の読解力もあがる。できのいい中学生相手にしたことと大学院での多読のおかげか。大学受験生のとき以来の読解力向上である。

●なぜか土曜に中学部は社会、理科を集中させた時期があった。おそらく土日に他の教科を休ませるためと、中学高校の教師をバイトで雇うためと見た。しかし、バイトの先生(おそらくは教師)は休むことが多い(たぶん、学校行事で)。そのため、社会の代講(経済学部出身で日本史が得意科目)を頼まれることが増えたというか毎週そうなった。首都圏最南端の校舎の教務が私の授業を(カメラ越しに)見て安心したと言ったらしい。その「安心」の一言が私を首都圏南部に行かせることとなる。そして土曜の休みを失い、国語屋稼業氏は仕事を断らないという伝説も生まれた。おかげで年に4~5回は模試を作らされることになる。他の講師は年に一、二回程度なのに。韻文に強くなったのはこの時期。韻文問題を作りすぎた。ちなみにある新人の先生が小説の問題が作れず、九州の私立学校の問題をそのまま提出した事件があった。大手予備校の某九州校舎の指摘で発覚。国語の教科担当の職員さんが困り果てていたときにたまたまあった予備の小説問題を渡した。というか、予備の問題を作っている方も作っている方だが。これで中学部国語科の信頼も厚くなった。

※社会のデビュー戦は国公立開成クラスだったが、さすがに足が震えた。廊下にある消火栓の上にチョーク箱とテキストを置き、両太ももを叩いた記憶がある。教室でマイクにスイッチを入れた直後の第一声は少し鼻で笑った感じだった記憶がある。緊張している自分を笑ってしまったのである。

●中1から中3まで一般から特別選抜まで対応できるようになった私はいくつかの記録を作っていった。まずアンケートが中学部ながら国語科で全国の2位か3位になった。1位はハンサムで熱血漢で生徒に親身で教え方も丁寧で気さくでハンサムな、あ、これは既に書いたか、まあ、そんな先生がいらっしゃったので勝てなかったのである。他の記録としては夏期講習を一つの校舎全部担当という記録がある。朝の1限から7限までびっしりとである。日程も前期中期後期とまあ、ぎっしりとである。通勤時間がもったいなくて自腹でホテルを取ったくらいである。

●実績的には悪くはなく、特別選抜クラスで開成を筆頭に合格者を確実に送り出し、一般クラスからも県で3番目くらいの高校の合格者を出していた。

●国語科の信頼が厚くなった私は中3一般クラスのテキスト編纂を通年で任された。その際、国語科の職員さんからは10年は使えるテキストを作りましょうと言われたのであった。私がテキストを作るときに注意したのが自分好みの問題ばかりをいれないことであった。毎回、一題は自分の好みの問題を入れるにしても、私と違う方向の先生にも教えやすい問題を入れておいたのである。そのテキストは好評で、私はテキスト作成の仕事も増えていった。夏期特別講習会のテキストで私しか担当しない講義のテキストは全問自作の問題だけで作成するくらいのいたずらはしたが。そういえば、日曜講座の教材に文法・文学史の一問一答形式で「ポケット問題151」いう名称の教材を巻末につけたことがある。「ポケモン(問)」で151という洒落である。教職員でこの洒落をわかってくれた人は皆無だったやもしれぬが、生徒たちの何人かは気づいてくれていたと信じる。また、解答速報作成も担当したが、中々の解答を作っていたと思う。たしか、ぶ厚い年度別の問題集(俗に言う電話帳)でも、採用され、解説を書き、お金をもらっていた。今、考えればそれを購入しておくべきだった。証拠になるのに。

●さて、10年間使えるテキストを目標にしたテキストは無事に10年使用された。たしかそのはずである。ただ、10年目に大事件が起こる。それは中学部の廃止であった。

 

 

 

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自己紹介~その1~

2020-04-28 13:51:15 | 連絡先・自己紹介など

●最近、goo blog自体に愛着が出てきており、見て回っている。

 そうするとわざわざ当ブログに寄ってくださる方もいらっしゃる。

 なので、自己紹介をしておこうと思うのである。

 まずは下のエッセイを読んでもらいたい。

 『ひと振りすると』

 上の拙文は第一回マジックエッセイコンクール演技部門で最優秀賞をいただいた文章(現在の私の数少ない自慢なのでぜひ読んでほしい)だが、私の自己紹介的な要素もある。

 ・国語屋稼業を名乗っていること(そこから国語の先生だったこともわかっていただけるかと)

 ・マジックを趣味としていること

 ・実家は音楽教室をやっていたこと

 ・母と死別していること

 ・それがきっかけで首都圏から西日本に移住したこと

 ・妻がいること

 そんな感じかしらん。

 ちなみに音楽教室をやっていた家に住んでいたので、「歌がうまくなりたい」のカヌマさんに親近感を持っているのである。

 むろん、内容も興味深い話が多々あるものよく読む理由である。

 さらに言うと美姫の音楽集(&日記)という美姫さんのブログを見に行くのも音楽つながりがあるのと、それに加えユーモアのある文章と元気な生活を読むとこちらが元気になれるからである。

●現在は隠居の身である。

 隠居したのはちょっとした大病をしたため。「ちょっとした大病」って何だ?

 日本語が…。

 まあ、いいか。

 死にはしなかった程度に病気をしたのである。

●病気のおかげで多少、不自由になり、趣味とするマジックがより下手になってしまった。

 ちなみに大学時代には俳句のサークルに入っており、そのサークルの代表を務めたこともある。

 最近、その趣味を復活させた。おお、隠居らしい趣味ではないか。

●現在の経済生活は正直かつかつである。

 が、趣味のマジックは少々(多々?)継続できる程度の経済力はあるかと。

 保険は大切であるよと言っておく。

 ちなみに、その保険を世話してくれたのがRちゃん(伝記1にリンク)である。

 Rちゃん(伝記2にリンク)には感謝である。

 Rちゃんの伝記はウケがよかった文章なので、ここで紹介。ぜひ読んでね。

 最近、最優秀賞を受賞したときに文体をRちゃんが誉めてくれたので、Rちゃんの伝記を送信したところ、大笑いしていました。

 ブログしていたのがばれてしまいましたけど。

 ちなみにRちゃんって実在の人物ですかという質問が以前あったんですが、実在していますよ。

 元気にね。

 

●次回は「国語屋」としての自己紹介になると思います。

 

 

コメント (4)
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コメントについて

2005-08-06 08:31:48 | 連絡先・自己紹介など
昨日は妙にコメントが多い日でした。
アクセス数は増えていないので、同一の人かもしれないと疑ってしまう自分がいやになりました。このあたり、ネットの欠点ですな。

一部の生徒が望まないような表現やサイトバレしかねない部分もあったので、一部コメントを削除しました。

削除してしまった方、もうしわけありません。

今後はメールで送ってください。
その後、反応としてブログ内に載せるような形式にします。
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ファンレター

2005-01-22 22:16:33 | 連絡先・自己紹介など
一応、元教え子などのためにメアドを公開しておきます。

スケジュールやパソコンの事情などで返事を確約することはできませんが、できるかぎりします。

なお、ファンレターもあり。つか、そっち狙いか。そう言えば、昔、ファンレターに「あ、オレオレ、ふぁんなんだけど、お金、振りこんでくれるかな」というギャグを送ってくれた方がいるなあ。

ちなみに添付ファイルはご遠慮ください。


kokugoyakagyouあっとyahoo.co.jp

となります。あっとは@の半角でよろしくお願いします。
コメント (5)
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