奇術=マジック=手品である。最近では知らない方も多いとのこと。注釈である。
「奇術」にも注釈は必要だわ、「非実力派宣言」も森高千里氏の造語との注釈が必要だわ、困難を感じるな。いや、実際、困難なんですけど。
あ。表題以外はマジックの方が良いのかしらん。
まあ、表題以外はマジックで行くとするかあ。
ただ、マジックより「奇術」のほうが語感が重いのと、奇術の方が「術」使い感があって面白いこと。
以上の理由でタイトルは非奇術派宣言で行くが、文中は原則として親しみやすいマジックで行くことにする。
さて、非実力派は実力派を知っている。とにかくマジックは難しいものだということを知っている。
中学生時代に古本屋で二川滋夫氏の『コイン奇術入門』を購入(今は手元にない)し、たまたま開いた(初めの部分から読まないあたり非実力派の素質があった)「コップに飛び込むコイン」の難易度の高さに怯えてしまった。「入門」でこれかあと思ったのである。
同古本屋で気賀康夫氏の『百万人のトランプ手品』(これはいまだに持っている)では「左手に茶わん、右手におはし」の話だけが記憶に残り、「スイスの数え方」を演じたかもしれない程度である。
もっと、あとになって、マジックを趣味とするようになって購入した『新版 ラリー・ジェニングスのカードマジック入門』では「失敗は成功のもと」くらいしかまともに読んでいない可能性がある。
いわゆる宝の持ち腐れ製造機というやつだが、そこが非実力派の非実力である所以である。
そんな非実力派がなぜ、マジックを趣味としているのか。それは成功体験があるからである。
運が、いや、運命が導くとでも言おうか。
私の場合はスベンガリーデックがすべてを決めたと言っていい。
説明書をまともに読んだか記憶にない(悪癖)が、演じまくったものである。
あるときはマジシャンとして、あるときは呪術師、あるときは、占い師として演出可能なこの作品を楽しんだものだ。
そこで演出の仕方だけではなく、図々しさを覚えていったであろう。
この図々しさこそが「非実力派」でありながらも、人に手品を見せる基盤を作るのである。
敬愛する先輩に見せたところ「野暮なのは承知だが、タネを教えてくれ、どうしても気になっていたのだ」と言われたので、教えてしまったが、その先輩からMrマリック氏の見せ方を教わることになる。
それを知り、ますます、この道具の威力を思い知らされたものだ。
いまだにスベンガリーデックは私の十八番(おはこ)である。
マジックは難しい。それを知ったうえで、一つ、自信を持って演じられるマジックを手に入れること。
非実力派はそこから始まる。