旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ゴール旧市街散策

2025-02-13 14:12:17 | スリランカ
メラーン・ジュンマ・モスクはぱっと見教会だ。

ゴール旧市街の海側城壁のすぐそば。
はじめて見た時は教会として建てられた建物が転用されたのかと思った。
が、調べてみると1904年に最初からモスクとして建てられたとわかった。
当時の信徒たちは教会に似ているとか気にしなかったのでしょうね。

近づいてみると三日月が乗っていて、ファサードにはアラビア文字が書かれている。

時計の上のアラビア文字「1325」はヒジュラ歴(イスラム教徒の暦)だったのか。
太陰暦だから数年ちがうがたしかに20世紀はじめである。
2016年↓礼拝の礼拝のない時に気軽に入れてくれた

5回の礼拝の時間+日の出時間↑

↑奥はシンプルな礼拝所

↑コーランを教えるアラビア・カレッジもある。


↑こちらはオランダのプロテスタント系の教会
礼拝所の外観だけで宗教を判断できない。

スリランカは民族・宗教・言語、すべての交差点。
仏教徒が多数を占めるスリランカ南部でも交易都市のゴールには、ポルトガル人がやってくる前からモスクがあった=イスラム教徒のコミュニティがあった。今見える建物は100年ほど前のものだが、この場所には300年以上もモスクがあり続けていると伝わる。宗教はちがっても平和に共存できる国であり続けてほしい。

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1月12日朝、トゥクトゥクでゴール旧市街に入った。

オランダ当時地代につくられた倉庫の下を貫通する城門↓

紋章はイギリスのものに変えられているが↓

↑オランダ時代の紋章が後出の博物館に展示されていた↓VOCは「オランダ東インド会社」

↑オランダ時代の年号がラテン数字で1699になっている↑イギリスと1年ちがうのはなぜ?


イギリス時代そのままの裁判所↑

灯台はオランダ時代にあったものを19世紀に建て替えている↓

城壁には大砲が設置されていた跡がたくさん↓

時代が新しくなるほど巨大になる。

↑この上に重たい大砲が海に向かって置かれていた。

↑大砲を使うには火薬が必要。これは火薬庫なのだが↑引火の危険があるので二重の厚い壁で護ってある。

↑ここも同じ理由↑





↓高さ25mの時計塔は1883年に建設された。

裕福なゴール市委員会の一人 Dt.ピーター・アンソネスはダッチ・バーガー(オランダ人との混血一族)。

オランダ統治時代につくられた鐘楼を取り壊した跡地。
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はじめにくぐった紋章のある城門の上↓

↑「ゴール海洋博物館」に入る↑城壁の上なので細長い構造になっている

↑入場料はUS6ドル↓ゴール湾の海底から見つかったものが多く展示されている。

↑ゴール湾のどのあたりに沈没した船があるのか示した地図↑海洋考古学がゴールで本格的に始動しはじめたのは1990年代。
東西様々な民族が交易に訪れていたことがわかる。

↑1661年5月21日に沈没したオランダ船ercules号(日本風に言えばヘラクレス号)の鐘↑AMOR VINCIT OMANIA ANNO 1625「愛はすべてに勝つ1625年」と刻まれている。
この鐘、2017年にはこんなだった↓

緑青を取り除いて修復したのだ。

↑明の提督 鄭和が立てた多国語の碑文は必ず紹介したい※こちらに書きました

明銭「宣徳通寶」は日本でも大いに流通していた。1425年即位の通称宣徳皇帝の時代。

アラビア語の貨幣もたくさん

↑タイの壺だそうな。


↑この仏像だけは違う由来をもっている↑2004年の大津波の際に流れ着いた。
作風からミャンマーのものと推察されている。


城壁近くのカフェで休憩。
スリランカらしいお土産店に行ってみよう(^^)

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