好洋丸が小値賀港へ近づくと、島に二台しかないバスのうちの一台「ちかまる号」が埠頭でまってくれているのが見えた↓
「ちかまる」とは、鹿をかぶった男の子のキャラクター。さっき野崎島でたくさん見た九州鹿がイメージの元。女の子のはなちゃんとペアで、車体に描かれている↓※こちら小値賀島のHPで解説されております
中はまったく普通の路線バス仕様。「止まる」ボタンもちゃんとピンポーン♪と鳴りまする(^.^)↓
人口2600人ほどの小値賀島。公共交通機関を利用して島をめぐるのはなかなか難しい。
港のすぐ前にある「あわび館」を見学。小値賀島は遣唐使の時代から干し鮑が大きな産業だったと解説していただいた。海人(あま)は小値賀では男性。あわび館で空中に泳いでいる、その姿↓
鮑の話をきかされたら、「じゃ、買って帰りましょ」と訊ねたが、この鮑館でさえ鮑はまったく、ない。売っていたのはサザエの注文送付だけ。
どっかでアワビ関係なにか買えないかなぁ、と思っていたら・・・※後ほどこちらに書きます
小値賀の歴史を知りたければ「小値賀町歴史民族資料館」を訪ねるべし。港から歩いて五分ほど。かつて小値賀を支配した小田家の屋敷跡がそれ↓小田家がこの家を去る時、残された膨大な資料を調査した成果も上手に解説してくださる↓
興味深い展示物はたくさんあるが、その中で、小松がいちばん注目したいのは、この島の石棺から発見された見事な勾玉のネックレス↓
はじめ、これだけを見たときには、「ほほ~ん」という程度の感覚だったのだが、実際に発掘調査された塚原さんに「神ノ崎遺跡」の石棺を見せてもらって、「これはけっこうすごい発見なのだ」とだんだん気がついてきた。現場を見るって、どんな世界でも大事なのです。
※神の崎遺跡を下見で見たときの写真をこちらに載せました
博物館から徒歩で、「万日堂」を訪れる。
ここは小田家二代目当主・伝兵衛重利によって1715年(正徳二年・※新井白石が活躍していた頃)に建立された、五島列島に現存する最古の木造建築↓この階段をのぼります
正面の本堂から少し離れた位置に赤いお堂がぽつんと建っている、かつて「念仏堂」と呼ばれていた↓周囲から離れていたことで、何度も起きた火事で焼けずにすんだのか。
カギをあけてもらうと、ご本尊の左右に小田家歴代の座像がずらりと並んでいた↓
これらの小像は、一時歴史博物館に置かれていたそうだが、ご先祖が夢枕にたって「もどりたい」と言ったとかで、今は本来あるこの場所に戻されている。
今日泊まるのは「島宿御縁」↓若いオーナーの岩永さんがやっておられる、民宿という響きからイメージするよりずっと洗練されたデザインの「お宿」。外国人にも人気で、夏のアルバイトに住み込んでいるスェーデン人の方が給仕してくれた↓