旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

五島列島四日 小値賀島

2017-09-20 15:50:12 | 国内

好洋丸が小値賀港へ近づくと、島に二台しかないバスのうちの一台「ちかまる号」が埠頭でまってくれているのが見えた↓


「ちかまる」とは、鹿をかぶった男の子のキャラクター。さっき野崎島でたくさん見た九州鹿がイメージの元。女の子のはなちゃんとペアで、車体に描かれている↓※こちら小値賀島のHPで解説されております

中はまったく普通の路線バス仕様。「止まる」ボタンもちゃんとピンポーン♪と鳴りまする(^.^)↓

人口2600人ほどの小値賀島。公共交通機関を利用して島をめぐるのはなかなか難しい。

港のすぐ前にある「あわび館」を見学。小値賀島は遣唐使の時代から干し鮑が大きな産業だったと解説していただいた。海人(あま)は小値賀では男性。あわび館で空中に泳いでいる、その姿↓

鮑の話をきかされたら、「じゃ、買って帰りましょ」と訊ねたが、この鮑館でさえ鮑はまったく、ない。売っていたのはサザエの注文送付だけ。
どっかでアワビ関係なにか買えないかなぁ、と思っていたら・・・※後ほどこちらに書きます

小値賀の歴史を知りたければ「小値賀町歴史民族資料館」を訪ねるべし。港から歩いて五分ほど。かつて小値賀を支配した小田家の屋敷跡がそれ↓小田家がこの家を去る時、残された膨大な資料を調査した成果も上手に解説してくださる↓

興味深い展示物はたくさんあるが、その中で、小松がいちばん注目したいのは、この島の石棺から発見された見事な勾玉のネックレス↓

はじめ、これだけを見たときには、「ほほ~ん」という程度の感覚だったのだが、実際に発掘調査された塚原さんに「神ノ崎遺跡」の石棺を見せてもらって、「これはけっこうすごい発見なのだ」とだんだん気がついてきた。現場を見るって、どんな世界でも大事なのです。
※神の崎遺跡を下見で見たときの写真をこちらに載せました

博物館から徒歩で、「万日堂」を訪れる。
ここは小田家二代目当主・伝兵衛重利によって1715年(正徳二年・※新井白石が活躍していた頃)に建立された、五島列島に現存する最古の木造建築↓この階段をのぼります



正面の本堂から少し離れた位置に赤いお堂がぽつんと建っている、かつて「念仏堂」と呼ばれていた↓周囲から離れていたことで、何度も起きた火事で焼けずにすんだのか。

カギをあけてもらうと、ご本尊の左右に小田家歴代の座像がずらりと並んでいた↓

これらの小像は、一時歴史博物館に置かれていたそうだが、ご先祖が夢枕にたって「もどりたい」と言ったとかで、今は本来あるこの場所に戻されている。

今日泊まるのは「島宿御縁」↓若いオーナーの岩永さんがやっておられる、民宿という響きからイメージするよりずっと洗練されたデザインの「お宿」。外国人にも人気で、夏のアルバイトに住み込んでいるスェーデン人の方が給仕してくれた↓


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五島列島四日 野崎島

2017-09-20 12:11:36 | 国内

無人島の野崎島に島内の交通機関はない。かつての野崎集落から野首集落までは二十分ほどの登り坂を歩くしかない。だが、海を見晴らすこんな景色の道を歩けてよかった。幸いそれほど暑くはない↓


****朝 中通島から野崎島へはチャーター船を使うことにした。下の地図をみていただければ、その理由がわかる。細長く伸びた一番上の方に津和崎がある。そこからすぐ上の野崎島へ行くならものの十五分なのだ。これが、もし定期船を使うとなると、ぐぐぐぐっとこの地図外まで下がって有川港から一度小値賀島へわたり、さらに乗り換えて野崎島へ行くしかない↓

五島列島は島同士の交通が不便だが、もともと「五島」ではなかった小値賀島や野崎島は、いまでも別の行政区となる佐世保市に属する。さらに移動がムズカシくなる筈だ。

朝十時にホテル・マルゲリータを出発。津和崎へ行く途中に、江袋集落へ寄る。車の走る尾根の道から江袋集落は左側に見えてくる。港まですり鉢状の急斜面。そこにへばりつくように家々が肩を寄せ合い、その中の階段を上がりきった頂上に江袋教会がある↓この教会は、本来港から見上げる集落の一番上に位置している。下から見上げるのが本来の見方なのだ。


木造の質素な姿が集落のたたずまいに合っている↓

ここは2007年に火災に遭うまでは、建てられた当時の木造だった。ああ、もったいない↓

静かな堂内。祭壇の前にこれから生けるのだろういきいきした赤いピンクの百合の花が置かれていた。信仰を受け継ぐ人があってこそ、教会は生き残る。

もうひとつ。ステンドグラスのおもしろい仲知(ちゅうち)教会を訪れてから
津和崎港で、予約してあった「好洋丸」に乗り込む↓


五分もすると、野崎島でいちばん、いや五島列島でもいちばん印象に残る佇まいの野首教会の姿が船上から見えた↓


野崎の港では、考古学者の塚原さんが迎えてくださった。小値賀と野崎の発掘に四十年も携わってこられた方
朝の船で小値賀から到着し、我々を待っているあいだにいろんなものを拾っておられた。
●黒曜石のナイフ?↓

室町の陶器?↓

そして、このコイン。腐食が激しくてここでは何か分からなかったが、小松が東京へ戻ってから理解しました。

★⇒こちらからごらんください

野崎集落を歩く。ここはキリシタンの集落ではない。昔からの神を祀る宮司さんが常駐していた。その家が、今年から見学できる形でオープンした↓
右奥の建物から離れた小さなお堂が、五島列島の最高神、沖の神島神社の方向を向いている↓
神社本体まではここから険しい山道を二時間歩かないと着かない。集落のこの家に住む宮司さんは本宮までいかない日でもここから祈りをささげていたのである↓

江戸時代から残ると言われる絵が内部に↓


誰もすまなくなった村、ひとつひとつ倒壊してゆく家、それでも残る石積み、水場は今も水をたたえている↓



村の上のサバンナへあがってゆく↓

野原を横切る無用のフェンスは現代アートではない。
かつてここで鹿牧場をやろうとしていた夢の跡。

今でも野生の鹿がそこらじゅうをぴょんぴょんしている↓




一度、ビジターセンターにもどってサンドイッチの軽いランチ↓中身よりこっちのほうがすてき?捨てられない箱↓

ある嵐の夜に倒壊した神社がそのまま↓空しく守る狛犬



****
いよいよ、野首集落へ向かう。島がくびれた鞍部につくられたキリスト教徒の集落。細いこんな道だけがつないでいる↓

左手下に青い海と砂浜を見ながら二十分。
実はこの坂道がダメで野首集落行をあきらめる方が出るかもしれないと思っていたのだが、みなさん思ったよりも元気!
暑すぎない、照らない、風のない、今日の天気も味方して、全員が野首集落到着。

あの印象的な野首教会が見えてきた↓

教会まで、最後の階段を登ります


内部は一見きれいに整備されている。だが、これも塚原さんの尽力がなければこんなふうにはいかなかった。

★野首教会の保全の話をこちらに少し書きましたのでお読みください

教会の前にある戦時中の記念碑↓塚原さんはこの碑が設置されたこと自体に感慨を覚えると話された↓

キリスト教は明治五年以降弾圧されることはなくなったが、日本の社会にキリスト教徒が普通に受けいれられていたわけではない。

久賀島の浜脇教会は戦時中には外壁を真っ黒に塗られてしまった話からも分かるように、「敵国の宗教」だとして、教会と教徒への蔑視は依然として続いていた。
キリスト教徒の集落である野首では、ことさらに大東和戦争への参加を強調するこういった石碑を、教会の前に建てたのだろう。

*****再び野崎集落まで二十分歩き、チャーターしておいた好洋丸に乗る↓


小値賀島へいくために野崎島の北側をぐるりとまわる。すると、山の木々の間にストーンヘンジのような巨石が立っているのが見えてくる↓高さ29メートルもある。距離があるのでそうは見えないかもしれないが↓

※ここまで歩いた方の写真記事にリンクします
自然にこんなかたちになったのか? 塚原さんのお説は、上の二つの石は人の手によって積まれた、というもの。

あの「王位石(おえいし)」のある場所が、五島列島の最高神が祀られた「沖の神島神社」である。正式な参拝ルートは、海際に見えるあの鳥居から険しい道をのぼりつめてゆく↓


今回の旅で訪れる最後の島。小値賀にもうすぐ到着する

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