久賀島を出た船は二十分ほどで若松島の南端に至る。陸からはたどり着けない岩場に「キリシタン洞窟」を呼ばれる岩穴がある↓
明治初年の切支丹弾圧の際、郷を逃れた数家族が隠れ住んだが、料理する煙を漁船にみつけられ、捕えられてしまった。
この場所に住んだのは四か月ほどだったと言われる。
岩場では毎年ミサが行われている↓
**
若松島の土井の浦で上陸。予約してあった二台のタクシーに分乗。小松がリクエストしておいた「日の島の墓石群」へ向かう。今は離島の中のまた離島になっている小島だが、中世には活発な港だった。港には今でも沈没船があるという。
室町時代からという風化して文字も読めない墓石がずらりと並んでいる↓
●龍観山(りゅうかんざん)展望台
ここで坪内パンさんのつくってくれたサンドイッチをいただきまーす↓
若松大橋をとおり↓
中の浦教会を横目にみて↓
島の中心である有川港に近づくと蛤浜がある↓
ここは海開きで砂の彫刻をつくるのが有名なのだそうだが、シーズン終わりの九月半ばでもこのぐらいのこっていた↓はじめてこの手の砂の像を触ったが、おもったよりも固く締まっている↓
●鯨賓館(げいひんかん)は港のターミナルそのものに付属している
かつて有川の主要産業だった捕鯨の博物館であります↓
建物そのものが鯨のカタチだ↓
●頭が島教会はやはり行っておかねばならない教会だ。これは中通島の東のはずれから1981年に建設された橋でつながった頭が島にある。こんな辺鄙なところにと思うが、やはりこういう場所でなければ、移住者は受け入れてもらえなかったのだろう↓辺鄙な島に橋が架かったのは、頭が島の丘の上に飛行場が建設されたから。現在でもチャーター機ならば利用できるのだそうだ。
尾根の道から港を見下ろすと、頭が島教会の建物が見えた↓この道だって飛行場が出来たタイミングで整備されたものでまだまだ新しい。
こういった海辺の村落のほとんどすべてが、当時は海からのアクセスしかなかったと思ってよい。
今はしかし、たくさんの観光客がやってくるので、混雑時は一般車は手前のパーキングに入れさせられ、そこからシャトルバスで訪問するのだそうだ。幸い、タクシーやバスは現状そのままアクセスできる↓
当時西日本で唯一の石造り教会であった↓地元でとれる砂岩があったので可能になったのである。
切り出された石は使われる場所によって長さが違う。きざまれた数字は「四尺九寸五分」の意味↓
屋根の雨どいは、雨だれが壁を伝わないように工夫がしてある↓
***
今晩宿泊のマルゲリータへ行く途中「青砂ヶ浦天主堂」↓
置かれていた、拷問「算木責」に使われていた石↓
矢堅目埼の面白いかたち↓
****
マルゲリータ到着
解放的な入口レセプションの空間↓
ここはけっして広いホテルではないけれど、充分な快適さがある。
なにより、おいしいダイニングが待っている。
明日は野崎島を見学してから小値賀島に宿泊です
明治初年の切支丹弾圧の際、郷を逃れた数家族が隠れ住んだが、料理する煙を漁船にみつけられ、捕えられてしまった。
この場所に住んだのは四か月ほどだったと言われる。
岩場では毎年ミサが行われている↓
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若松島の土井の浦で上陸。予約してあった二台のタクシーに分乗。小松がリクエストしておいた「日の島の墓石群」へ向かう。今は離島の中のまた離島になっている小島だが、中世には活発な港だった。港には今でも沈没船があるという。
室町時代からという風化して文字も読めない墓石がずらりと並んでいる↓
●龍観山(りゅうかんざん)展望台
ここで坪内パンさんのつくってくれたサンドイッチをいただきまーす↓
若松大橋をとおり↓
中の浦教会を横目にみて↓
島の中心である有川港に近づくと蛤浜がある↓
ここは海開きで砂の彫刻をつくるのが有名なのだそうだが、シーズン終わりの九月半ばでもこのぐらいのこっていた↓はじめてこの手の砂の像を触ったが、おもったよりも固く締まっている↓
●鯨賓館(げいひんかん)は港のターミナルそのものに付属している
かつて有川の主要産業だった捕鯨の博物館であります↓
建物そのものが鯨のカタチだ↓
●頭が島教会はやはり行っておかねばならない教会だ。これは中通島の東のはずれから1981年に建設された橋でつながった頭が島にある。こんな辺鄙なところにと思うが、やはりこういう場所でなければ、移住者は受け入れてもらえなかったのだろう↓辺鄙な島に橋が架かったのは、頭が島の丘の上に飛行場が建設されたから。現在でもチャーター機ならば利用できるのだそうだ。
尾根の道から港を見下ろすと、頭が島教会の建物が見えた↓この道だって飛行場が出来たタイミングで整備されたものでまだまだ新しい。
こういった海辺の村落のほとんどすべてが、当時は海からのアクセスしかなかったと思ってよい。
今はしかし、たくさんの観光客がやってくるので、混雑時は一般車は手前のパーキングに入れさせられ、そこからシャトルバスで訪問するのだそうだ。幸い、タクシーやバスは現状そのままアクセスできる↓
当時西日本で唯一の石造り教会であった↓地元でとれる砂岩があったので可能になったのである。
切り出された石は使われる場所によって長さが違う。きざまれた数字は「四尺九寸五分」の意味↓
屋根の雨どいは、雨だれが壁を伝わないように工夫がしてある↓
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今晩宿泊のマルゲリータへ行く途中「青砂ヶ浦天主堂」↓
置かれていた、拷問「算木責」に使われていた石↓
矢堅目埼の面白いかたち↓
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マルゲリータ到着
解放的な入口レセプションの空間↓
ここはけっして広いホテルではないけれど、充分な快適さがある。
なにより、おいしいダイニングが待っている。
明日は野崎島を見学してから小値賀島に宿泊です