旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

デドヴァンク~リーメンシュナイダーとデューラー

2021-07-12 12:11:14 | ドイツ
2008年ドイツの旅より
同じ15~16世紀を、同じ南ドイツで活躍した画家アルブレヒト・デューラーと彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーが顔を合わせていたのかはわからない。いかに優秀であっても一介の職人たちについて五百年後に伝わることは少ないから。残された仕事だけが、お互い影響を与えあっていただろうことを今に伝えてくれている。

左はデューラーの版画、右はリーメンシュナイダーの木彫より。

ロマンチック街道のローテンブルグの城壁外にデドヴァンクという集落がある。

周囲の家の少なさに似つかわしくない立派な教会↑
教会に置いてあった解説によると西暦968年にヴィユルツブルグの司教によって建立されたそうだ。

現在の建物が一千年前そのものではないだろうが↑こんなロマネスクの小さな窓はその歴史を感じさせる。


ここに置かれた「十字架祭壇」はリーメンシュナイダーの手になる彫刻がはめこまれている↑
もともとはローテンブルグのミカエル礼拝堂のために1508年ごろに刻まれた浅浮彫の群像彫刻。
ミカエル礼拝堂が1653年に失われ(おそらくローテンブルグがプロテスタント都市となったため)、城壁外のここに移された。
より小さな場所に移動するため彫刻はもとの祭壇から外され、現在のちいさすぎる祭壇にはめ込まれた。
その証拠に↑左右のパネルを合わせた長さが中央より長いので閉じることができない。
・キリストの下帯は折れて短くなっている。
・足元にあった(かもしれない)マグダラのマリアなどの像は行方不明となった。
・右の見上げる男(リーメンシュナイダーの自画像と推察されている)の視線はキリストより遠くを見ている。

上のようなことを解説したぺら紙解説を読んでいたら、「十字架の右のターバンの男はデューラーの版画がもとになっている」とさらっと書かれていた。検索で探してみると↓この作品がみつかった↓

おぉ、リーメンシュナイダーがこの版画をモデルに彫ったにちがいない(^^)冒頭の比較写真ごらんください。
この版画は「トルコ人の家族」そのもの。
リーメンシュナイダーは男性の姿だけを切り離して、
ユダヤの大司祭カイアファ?(聖書の中の誰なのかは断定できない)として写し取っていたのか。

「右のパネルはマルティン・ショーンガウワの作品をもとにしている」
と書かれていたので、検索で探してみると↓

↑これが見つかった。たしかに、リーメンシュナイダーはこの版画を見ていたに違いない↓


マルティン・ショーンガウワはリーメンシュナイダーよりも十歳ほど年長。
デューラーが遍歴修行をしているとき、教えを請いにコルマールを訪れたが前の年に亡くなっていた。
※2010年にコルマールでショーンガウアの作品を見た時のブログがあります

版画はこの時代にもっとも流通した美術だったのではないかしらん。
彫刻は持ち運びが難しい、絵画はもう少し動かしやすいが何枚も同じものをつくりだせない。
版画ならば量産して庶民にも買うことができただろう。
文字が読めなくても、描かれていることを解説してもらって楽しめただろう。

リーメンシュナイダーの工房にはこういった版画がたくさんストックしてあって、必要に応じてモデルにしていたのか。
一方、デューラーも遍歴修行をしていた時に、すでに活躍をはじめていた十歳ほど年長の彫刻の達人の話を耳にしていなかったかしらん。これらの彫刻があった元祭壇がつくられた1508年にはデューラーはニュルンベルグに工房を構える超売れっ子だった。
リーメンシュナイダーが自分の版画を元ネタにした作品を彫っていたのを知っていたかしらん。

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