旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ナポリ郊外~クーマとポッツォーリへ

2013-11-14 16:42:13 | イタリア
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午後はクーマとポッツォーリへ。日本語ガイドブックにはほとんど載っていないけれど、とても面白いのです

★ナポリとこのエリアを行き来するのに邪魔だったので、紀元後一世紀の造られた切り通しが現在もほとんど同じ姿で見られる。
アウグストゥスの時代、後述のクーマにあるトンネルも同じ人物によって造られた。

★クーマ遺跡は紀元前8世紀にギリシャ人がはじめて入植した場所である。都市遺跡を見下ろすように、イスキア島まで見晴らせる丘がある(たぶん)ここでしか見られないのは、アポロ神殿の巫女が神託をさずけていたという洞窟

巫女の洞窟からあがっていく道

イスキア島がみえる
かつての神殿は中世には教会に使われていた。葬られていた穴の後がみえる
こちらは洗礼堂
市民が住んでいた町神域をつなぐトンネルは、あの「切り通し」を建設した人物による

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★ペッシーナ・ミラベル(ローマ艦隊の為の貯水槽)
岬の先端の住宅街の中に、予想もしないような巨大水槽がある。ここはあらかじめ管理人に連絡しておかないと入れない。あ、まえからカギをもったおじさんがやってきました
そして、階段の下には・・・


ここはローマ艦隊に水を供給するための貯水槽で、一般住民用の水槽は別にある。現イスタンブルの「地下宮殿」と呼ばれている場所はローマ世界では珍しくなかったのだ。
※こちらにイスタンブルの「地下宮殿」の話を載せております。
イスタンブルにはまだほかにもたくさんあるのです。こちらに載せました。

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ポッツォーリへ向かうと、ローマのコロッセオのような廃墟がこれだけでなくたくさん見えてくる。どれだけの街であったのか。
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驚きはしかし、この住宅街に突然噴火口が存在していること!
★カンピフレグレイ(「燃える大地」の意)にあるソルファッターラというこの場所は火山のカルデラだリムにアパートが建っている。毎日この匂いの中で暮らしているのかしらん。

かつて、この泥を製品にしていた機械

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19:30にホテルから徒歩圏の老舗レストランへ。オープンの20時まで、ガレリアを訪れよう。ミラノのものが有名だが、ナポリにもまけないすばらしいガレリアがある。


一角では地元の名物お菓子「ババ」など売っておりますが、食事前。がまんがまん

CIROは日本の雑誌にもとりあげられる有名老舗店この写真のオーナーご本人が迎えてくださいました。
定番カプレーゼモッツァレラととトマト
前菜盛り合わせ。左のパプリカがあまくてとてもおいしいワインはカンパーニャのお手頃なピッツァも定番ならがやはり食べておきたいとのことでオーダーデザートはいろいろ選んで、このババの上にクリームの乗ったもの個人的に好きでした
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ナポリ旧市街を歩く

2013-11-14 15:16:31 | イタリア
《手造の旅》南イタリア 第三日目。

歩く日にはこんな風に晴れてほしい
ナポリの大聖堂の主祭壇下には聖ジェンナーロの遺骨が納められている現在の教会以前、4世紀にはすでに教会があり、そのころのものとされる素晴らしいモザイクで飾られた洗礼堂もある代々続く今でも貴族の所有する礼拝堂

カラヴァッジョの画いた「七つの善行」は、今も変わらず昔と同じ場所にある※これについてはまた別のところに


★ソッテラネア・ナポリ
普通のツアーでは組み込むことがまずできない場所だが、それだけ面白い入口から長い階段を下り、かつての石切り場・水道に到達する。

ギリシャ時代の石切り場は、20世紀の戦争では防空壕にも使われた
ローマ時代には水道から新鮮な水が流し込まれ、貯水槽となった。

上に邸宅を持つ貴族は、アンフォラを下せば水が手に入った。

ひとりひとりろうそくを持って、より古い水路を歩く。横になっても体が壁にこすれるほどの、真っ暗なかつての水路を歩く。


こういった古代からの水路は総延長70k以上になるという
こちらは女性修道院のすぐ下になり、階段で通じている。倉庫や知られてまずい事々が行われていたそうな

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地上に上がるとちょうど12時ごろになり、日本人にはお昼時であります。スパッカナポリの街角のB級グルメを楽しみましょう(^^)パスタをチーズと捏ねてあげたフリッター多アランチーノ(ライスコロッケ)トマト風味
地元ガイドのカルラさんのおすすめは、クリーミーなチーズが入ったシンプルな揚げパン辛くも甘くもなく、やさしい味でした。
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アマルフィからナポリへ

2013-11-13 03:04:17 | イタリア
朝、小雨の中をマリナ・グランデへ。ソレント行きのフェリーに乗って振り返ると印象的なカプリの山が視界いっぱいにひろがってくる

ソレントは崖の上にある。赤い建物がエクセルシオールホテル。民謡という事になっている「帰れソレントへ」はもともとこのホテルの宣伝歌だった

半島の尾根を越えてアマルフィ海岸へ出る

ポジターノの街が一望できる場所は定番の写真スポット

そこの店にいた子犬のマックスくん

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アマルフィの入り江は小さいが8世紀以前からの歴史ある街である。その歴史を一枚にまとめたタイル画こちらに絵の解説を載せました。

こちらは大聖堂のすぐ横。十二使徒のひとり聖アンドレの遺骨がここへ運び込まれた1206年の様子を画いている

迷宮の様な道は8世紀頃からのものだという

突然、大聖堂のすぐ横に出た現在の姿は実は19世紀の台風でその当時のファサードが壊れた後に、昔のビザンチン風に復元されたもの。
旧大聖堂の姿は絵の中に残されているこれは1544年に起きた海賊船難破の奇跡を表した図。この絵が描かれたのは19世紀と推察されるから、画かれている大聖堂もそのころの姿だろう。

もうひとつ。大聖堂階段下にあるモザイクの聖アンドレの後ろにもこちらも19世紀頃かと思われるが、さて、ほんとうにはどんな姿だったのだろう?

大聖堂のブロンズドアは1060年ごろにコンスタンチノープルからもたらされた費用を出したのはアマルフィ商人マウロ・パンタレオーネ。彼の名前がドアの中の十字架に読み取れる当時はイタリア本土でこれだけのブロンズ彫像の技術がなかったのか、同じ時代に他にもコンスタンチノープルからもたらされたブロンズドアがある。パンタレオーネはモンテカッシーノ僧院にもブロンズドアを寄贈している。

3ユーロ払って内部へ入場。通称「天国の回廊」はイスラム建築の影響がはっきり感じられる14世紀頃には周囲の壁はフレスコ画でいっぱいだっただろう。何重にも塗られ・画かれた痕跡が随所にみられるこんななかで「天国の回廊」が現在みられるような真っ白で装飾のないシンプルなたたずまいだったのか?分からない。どんな時代にもセンスの良い人ばかりではない。

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アマルフィからポンペイへ向かう道は、ソレントから来た道よりずっと高いところをとおる

14:45にはポンペイ遺跡に到着し、歩き始めた夏場の大混雑はどこへやら。ゆっくり見学できる
かつての城壁外のネクロポリス(墓)から秘儀荘へ寄ってナポリへ向かった。
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カプリ島を「青の洞窟」抜きで楽しむ日

2013-11-12 02:09:08 | イタリア
夜中は雨風の音がきこえていたが、朝になると静かな海が広がっていた

朝食はリゾート地らしく8時からだというので、その前に近くを散策。
冬時間になると日の出は一時間早くなっているから朝の時間を活用しやすい。
11月も半ばだから蔦が紅葉しているのは季節らしい風景だが、その中に紫色の朝顔が咲いているのにびっくり。

ガリガリガリ…猫は蔦で一心に爪を研いでいる


朝食を終え、9時から歩き出す。
ホテルから十分ほど歩くと、トラガラホテル前

展望台に到着

この景色をこの天気で見ていただける事をイメージして、
半年前にツアープランニングをしてきた甲斐があった。

青空で素人目にはおだやかな海なのだが、
今日は「青の洞窟」は閉まっているとガイドさんが教えてくれた。
冬季の旅なのだから、それは想定内。
いや、むしろ「青の洞窟」に時間をとられないでカプリを歩いて堪能していただける良いチャンスだと思う。

まずはアナカプリに移動し、定番のヴィラ・サンミケーレを訪れた。
19歳のスェーデン人少年アクセル・ムンテがこの場所を訪れた時、ここローマのヴィラ跡に聖ミカエルの礼拝堂が建っているだけだった。

二十年後、自分のヴィラを建てる夢が叶い、掘っていると案の定古代ローマの遺物がたくさん見つかった。飾られているこの巫女と思しきブロンズ像もそのひとつ見下ろす海辺にはローマ時代の建物の遺構も見える
アクセル・ムンテはこの部屋で執筆していた

そして、庭に出ると別棟のテラスにこのスフィンクスが海を見ている※このスフィンクスについての逸話をこちらに書きました。

サンミケーレ荘をさらに先に歩いていくと「フェニキア人の階段」の入り口に着く
そして、その少し前にこの壊れた門があるこれについて、面白い逸話をきいたので、また別のところに書きます。

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ソラーロ山へのチェアリフトももちろん乗るコワいけど楽しい。ソレント半島方面への絶景

昼食の後、アナカプリの街をもう少し案内してもらう。
これがアナカプリの街の紋章カプリとは「山羊」という意味である。

今日のガイドさんはこの町の出身。いつものグループツアーだとアナカプリの街中を案内する機会などないのだそうだ。自分の街を案内出来るチャンスをとても喜んでくださっていた

この赤い建物はアメリカ人の建てたヴィラヨーロッパ人とは少し趣味が違うスタイルであるかもしれない。※以前ここについて書いたページ参照

サンミケーレ教会はかつてこの町の主教会だった現在は内部の素晴らしい床タイル画を見せる博物館になっている細い螺旋階段を上って上の階から見下ろすと…

街角がカプリの街とはちがってブランドショップでいっぱいなんてことはない

シーズンが終わった秋の晴れた日に歩く静かなアナカプリ

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15時前に一度ホテルに戻り、すぐにトラガラ岬の先の道を歩きに出発。
日暮れるまで二時間半、変わらず青空。


※ティベリウス帝が住んだというヴィラの遺跡は残念ながら今日はクローズとのこと。行きたかったかた申し訳ありません。以前行った時の簡単レポートからお読みください。
午前中にソラーロ山から見下ろしていたファラリオーニ岩が目の前にある。いちばん大きな岩には、そこにしかいない真っ青な色のトカゲがいるそうな。伝説で、「海の色を映した」という。

道は上り下りしながら続いていく、遠くに明日行くソレント半島が見える

車さえ通れない小道沿いは一見自然に見えるが、実はずっとヴィラの敷地が続いている。時折印象的な建物が現れる。そのひとつ、マラパルテ荘について、以前こちらに書きました。※ここから数日の日記にカプリを歩いた時の事を書いております。

急な階段を下り、再び登り、突然洞穴に神殿の廃墟が現れるこれが古代ローマの建造物だったことは、その石の積み方から確かポンペイと全く同じなのだ。

また、ここは中世には教会だっただろうことは、フレスコ画の残りから推察できる

さらに「自然のアーチ」への入り口まで登っていくと、スウェーデン人男性二人が降りようとせずにまっていた二十メートルほど下ですれ違って言葉を交わした女性二人の旦那さんたちだ。女性お二人は、のぼってきた我々に「下に降りたらどこへ抜けられるの?」と訊ねた。さっき見てきた遺跡はすぐ近い事を伝えると、「上に待っている旦那二人に降りてくるように伝言して」と言われていたのである(笑)

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さて、ここからどのルートでカプリの町へもどるか。いくつか展望台へ寄りながら海沿いの高台を歩くコースもあったが、夕暮れが近くなったので近くの展望台ひとつだけ行ってあとは街を帰る事にした。「自然のアーチ」が見える、夕暮れに陽があたり、一見に値する展望台だった

村の家々にいろいろな表札があっておもしろい

夕暮れ暮れて青い光につつまれる旧市街路地

オフ・シーズンには開いているレストランが少ないが、白身魚のフライ海鮮パスタ焼いたエビも

よぉ~く歩いた一日だったけれど、これでカプリ島が「青の洞窟」を訪れなくても、充分滞在する価値があると思っていただけたにちがいない。
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羽田発でナポリへ、カプリへなんとか到着

2013-11-10 13:12:29 | イタリア
↑自分のきれいなお尻に満足しているヴィーナス↑と解釈されている


羽田発午前一時半のJAL便を利用してパリ経由、ちょうど正午すぎにナポリへ到着した

現地のガイド、カルラさんから、今日は大雨予報というメールがきていたが、雲の切れ間からナポリ湾の景色が見えた。ターミナルから出ると雨はあがっていた。そのまま考古学博物館へむかう

午後の時間を有効に使ってからカプリ島へ向かうスケジュールにしたのだ。
★空港で「今日は朝から大雨でカプリ島への水中翼船がストップしている」とカルラさんが教えてくれた。まだ夕方まで時間があるから大丈夫だろうと、楽観的に思っていた。

**
ナポリ考古学博物館
何度行っても新しい発見がある。小松にとっての今回の新情報
①きれいなお尻のヴィーナス
振り返って何を見ているのか?と思うポーズ。これ、実は自分のきれいなお尻を見て満足している図と解釈されているそうです。ヴィーナスは美の女神だから当然かもしれないが、それにしても、ここまでめくりあげて見る大胆なポーズは意識的。その表情に満足と自信がうかがえる


★冒頭の写真がそれ

②リシュッポスの好みの主題
この博物館の代表作のひとつ「休息するヘラクレス」

これはローマ時代の大理石複製で、オリジナルは紀元前四世紀のブロンズ彫刻家リュシッポスの作だとされている。
ヘラクレスがその剛腕怪力で偉業を遂行する場面ではなく、彼が立ったまましばしの休息を得ている様子を描こうとしたのがおもしろい。同じリシュッポスの作品は別室に「休息するヘルメス」があるのを知った

足に翼のあるサンダルをつけているのでヘルメスだと分かるが、特徴的なヘルメットは脱いでくつろいでいる。
両方の作品は以前来た時にも見ていたが、ともにリュシッポスに特徴的な主題の選び方だと今回理解した。調べてみると、リュシッポスの他の作品には「弓を張るキューピッド」なんてのも大英博物館にあるそうな。今度探してみたい。

③ポートランド型のカメオ壺

見た瞬間にロンドンにある「ポートランドの壺」を思い出した。※ここからご覧ください。め明らかに同種のモノである。底が欠けて後に修復してあった大英博物館のモノも、もともとはこのような底を持っていたにちがいない。ナポリのガイドさんでさえ未だ見てないロンドンの同種のものと、こうして比較できるのはうれしい役得(^^)

④パピルスの家

ポンペイから少し離れた場所にあったエル・コラーノ近くのヴィラから発見されたものを集めて展示してある部屋。
18世紀に発掘された直後から、焼けただれたおびただしいパピルスの巻物を、辛抱強く解体して読む努力をした修道士がいたのだそうだ

この家は先に紹介した「休息するエルメス」のブロンズも発見された。

↑この酔っぱらったサトュロス像も↑

↑この巫女?とされる女性像たちも
カエサルの正妻ユリアの実家親戚だったとされている。

****
外へ出ると雨が戻ってきていた。プレジビート広場へ行くと傘売りがたくさんやってくる

すぐ傍の老舗カフェ・ガンベリヌスで軽く食事をすることにした。

「カプリ行の水中翼船はまだ止まってます。」
ううむ、困った。
「でも、カーフェリーが今日は動いている様です。でも、こちらも天候で止まるかもしれません。」

船が止まると、我々ナポリに泊まるハメになる。せっかくカプリの美しい朝をイメージした旅なので、可能性があれば港へいってみよう。

※この写真は途中に通ったナポリで一番古い神殿があったと言われる丘


港はたくさんのタクシーでごったがえしていた。切符売り場に人が集まっているのでどうやら出航するらしい。ほっ

一日四便しかないこのフェリーの三番目17:25発。乗船してすぐのところにスーツケースを積み上げ

上の階へ上がる。
今朝、夜行の飛行機経由でナポリへはいったばかりだから、みなさんそろそろお疲れ。カプリへの一時間は、揺られて眠りながらすぐに過ぎていった


港に到着すると、旧知のカルロさんが待っていてくれた。
「今日は90%の船が止まってます、よかったね。それにこの後の船は21時40分だし」

ああ、ほんとうによかった(^^)ケーブルカーで

カプリの街の小さなウンベルト広場へ到着


暗い路地を少し歩いて、サン・ジャコモ修道院近くの小さなホテルへチェックイン。
まだ20時前なのだが、時差もあって夜中のような気分がする。ゆっくり寝ましょう。明日はきれいな朝になりますように!
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