Remains of The Accidents

アクシデンツなページ

この季節、よい天気

2017年02月28日 | 単身赴任

今日はいつになくよい天気だ
朝から所用で姫路まで電車に乗っているが
六甲の山々も、須磨の海岸も、明石の海も輝いている

この季節、温かい陽を浴びた海のことをこの辺りでは
茅渟の海という

少年時代、春休みに何もすることがなく
親は仕事、姉と兄は部活に出てしまうと独りで暇をつぶす
あまり暖かいと海岸に出てテトラポットの上で昼寝してみたりした

春の海 ひねもすのたりのたりかな 

ほとんどの日々は友人たちとソフトボールをしていたが
海岸で昼寝するのも好きだった

海岸にあきたら自転車で近隣の街を探検しにいった

舞子や垂水の奥、普段はまず行かないところにもでかけた
西区玉津の方にも足を延ばした

たまたまこんな良い天気に故郷の海をみて、そんなことを思った

 

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月曜の朝 午前六時

2017年02月27日 | 単身赴任

週末に姫さまに癒されて、王子の活躍を楽しんで月曜日を迎える

いつもの新幹線は午前6時11分発ののぞみ99号

月曜日はほぼ満席となる

名古屋以西に向かう単身赴任者か長期の出張者が多いようだ

なぜかしら車内には倦怠感ばかり漂って、なんだかみんな疲れている

金曜日の夜、缶ビールをすこし傾けているおやじたちに比べて

やけに疲労感があるのは、今週も待っている仕事なのだろう
 


そして自分もいまはその中にいる

若かった頃には切望した関西勤務もこの歳になり家族ができては
大迷惑だ

せめて、重い仕事は簡便してほしい、先は見えているのだから 

 

 

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そろそろ一年になる

2017年02月19日 | 単身赴任



大阪に単身赴任となつてそろそろ一年になる

ただ、あんまり大阪にはいない

大阪・神戸と九州を担当している関係でやたら九州にいることか多い

思えば、去年の今頃にいやな予感がしていた


なぜ単身赴任なんてことを容易に認めるのだろう
家族と離れるなんて大変なことだ
一方で、子育て支援だとかなんとか、育休だとかなんとか
働き方見直しだとかなんとか



そういいながら
家族と離れて暮らしてみて
家族の大切さが身に染みているのも事実だ
やはり家族は愛おしい

自分には家族が二つある

自分を育ててくれた家族と、自分が育てる家族だ

今回の単身赴任は、27年ぶりに自分を育ててくれた家族に
近いところに住むこととなった単身赴任でもある

25歳で家を出たとき、父親が死んだぱかりで気落ちしている
母親を残して出て行ってしまった
当時、母親は56歳
今の自分とそんなにかわらない歳だった
いま、母親はあまり会話もできず体も思うように動かない 
そんな母親を見るのがつらい

一方で、自分の育てている家族は日々楽しい話題を送ってくれる

娘は最近、ビミョーな目線で父を見ていて難しいキョリからアプローチ
してくる
でもやはり、娘というのはいつまで経っても愛おしい「こータン」だ

天真爛漫のふるまいに一喜一憂していた頃がどこか心の隅に残っている
   「てーぽんっ!」って云われると何でもOKだ

息子は、力が入ってしまう



(この間の試合の三塁打、軸ができてるかな)





娘には「ガンバレ」といいながらどこかで「無理するなよ」と云ってしまうけど
息子には何も云わずに心の中で「まだまだ行けるぞ、もっと行けるぞ」と言って
しまう

そして、結果を見せてくれると娘も息子も宝物に見えてしまう




この子達のために苦労するならやら
やらない選択肢はないなって思ってしまう。




そして、奥さんには

彼女たちのいろいろなこと任せてしまってゴメンね
本当にいろいろとやってくれてありがとう
自分は、本当は貴方といっしょに、家族といっしょにいたいよ

世界中の誰よりきっと貴方に感謝してる 

と伝えたい 

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良い天気

2016年10月31日 | 単身赴任

 

今年の秋はあんまり良い天気がなくて週末はめずらしく穏やかな天気

陽気にさそわれて服部緑地に歩きにいった


しこしこ歩いていると足元に蝶が

よく見るとルリタテハ

明石ではよく見た蝶なので、ああここいらにもいるんだなと

行方を追っていたら足元にヒラリ

帰宅して少し調べたら大阪ではあんまり見られてなかった様子

あぁそうなんだと

実のところ、明石/神戸と大阪では蝶の分布が違う

そのわけは六甲山

蝶の世界では南北日本の境界は、六甲山

南方系の蝶は六甲山まででいなくなり、北方系の蝶も六甲山の山頂近辺でいなくなる

で、 ルリタテハ写真のとおり羽根の裏は樹皮のような模様で目立たない
でも、表は瑠璃色のきれいな蝶、飛んでいるときと止まっているときを使いわける
なかなかのツワモノ

なんだか男子としていいヤツっぽい蝶 






とここまで書いてちょっと

以前に川崎市でツマグケロヒョウモンの記事を書いた

本州の温暖化で分布が変わってきている

上記の六甲山が分岐というのも、実は30年前に聞いた話

おそらく着実に境界線は変わっている

知ったかぶりはよくない 

 

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思い出の道2

2016年10月18日 | 単身赴任


先週末はJR神戸線の垂水駅から実家を目指して歩いた
垂水駅の山側は再開発を経て、昔の面影もほとんどなくなっている

商大筋をぼちぼち歩き出した
前方から狭い道を市バスが走ってきたので、昔のままだと
安心していたが、すぐに道を間違えていることに気づいた
どうやら歌敷山の方に向かう坂に曲がってしまったらしい

そもそも神戸商大はもうなくて、今はマンションと商業施設になってい
るのだが、往時、この商大から舞子墓園の方へ下る道が大好きで、
回り道となってでも車を走らせた
なので、どうしても立ち寄ってみたかった
舞子墓園の端から眺める明石海峡が大好きな風景のひとつだったのだ

仕方なく歌敷山中学の前の細いバス道をとおり、ほどなく苔谷公園に
突き当たったので、そこから東舞子小学校の方に歩いた


もう記憶は薄いのだが、たしか小学校から中学校にあがった頃だと思う
未だ友人も少なく、ひとり暇になるとよく自転車を走らせてこのあたりに来ていた
まず、朝霧川を少しさかのぼって、二丁目の橋あたりから朝霧公園のほうに向かい
真冬でも穏やかな日は坂道を上りきると体もあたたまり、そのまま風を感じながら
西舞子の谷に降りていった

そこはもう神戸市なので学区も違い、知り合いもおらず、道もよく知らないところ
だったのだが、知らない道を選んで走ることで旅に出た気分になっていた

今思えば、あのころから好奇心だけは人一倍強くて、どこか遠くの知らない街に
行きたがっていたのだが、必ず夕飯は母親の作ったものを食べたがるという情け
ない旅人だった

その後、自転車は原チャに変わり、いつの間にか助手席に女の子を乗せて走る
ようになった頃、舞子墓苑の空き地に車を止めて潮の輝く明石の海をみていた

このあたりはどこを通っても思い出の道だ

あの頃は明石海峡大橋もなく、広々とした海が見えたものだ

30年以上の時を経て、こんな風に歩くことなど想像していなかったし
その間にあんなドラマや出来事があるとも知らなかった

様々な人と出逢い、別れ、ただ想いだけが残っていく

甘い思い出は、いつのまにか苦い記憶となり、あのときああしていれば
いやそうしていなければと、夢は枯野を駆け巡る

いったい自分はこの道を選んで歩いたのか、ただ流されていただけなのか
海峡を走る潮の流れは何も教えてはくれない

思い出の山、思い出の川、と啄木はうたい
帰るところにあるまじや、と犀星はうたう
ふるさとは、心の中のふるさとはあまりに遠く、ただ思い出の道があるのみだ

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