赤目-より前に読了していたが投稿があとさきになってしまった
赤目を先に読んでいたら、途中で放棄していたかも知れない
栃木那須連山のふもと繰り広げられるさわやかな中学生日記
小説であるならば、いま少し主人公に主体がほしかった
主人公/オサムが同級生たちとともに教師に立ち向かうのも
淡い初恋に沈むのも、少し普通すぎて物足りない
父が少年だったころ、学校では教師は絶対的な権力を持っていた
ある種やりたい放題の状態だった
ヒステリーばばぁからスケベ親父、酒びたりに小市民まで
ありとあらゆる変な人たちが「教師」として生徒を指導していた
今、姫さまの通う小学校には担任クラスをもちながら
なかなか出勤してこない先生がいらっしゃる
昨日もその先生がこないので理科が算数になってしまったとこぼしていた
生徒数が少なくなっているのにもかかわらず、出勤できない教師が多くて
教員が足りない事態になっているのだともきいた
先生とよばれる職業は、そろそろ全て「ボランティア」にしてしまった方が
よいのではないのだろうか
無報酬とはいわないけれど、安定収入や高収入を前提にしてしまうと
なんだか「先生」と呼びづらくていけない
朝日新聞の土曜版に人生相談のようなコーナーがあって
そこの回答者として時々車谷長吉氏が執筆している
それ以外に何の知識もなくたまたま書店で取り上げた
尼崎、朝鮮人、くすぶり、彫り物、云々
よくぞこんな世界を覗いてこられたと思う
「尼崎のことを、土地の人はある独特の愛着をこめて「アマ。」と言う。」
たしかに「ある独特の愛着」をこめて、しかも少し蔑みながら
自然に使っていた「アマ。」
25年前、父が会社に入ったころの話
仕事で阪神尼崎に出向いたところ、得体の知れないおじさんが
ボロボロ自転車の荷台で「ハブ対マングース」のショウを繰り広げていた
わけの分からん薬を売ろうとしているのだが、サクラのおばはんの演技も
実に面白く、時の経つのを忘れて見入っていたら
約束の時間に遅れて少し叱られた
尼崎から天王寺、実兄の業を背負うかふけてしまうか
本当の関西はついこないだまでこんな背景で動いていたと
実感のあるアマの小説だった