鳥取県倉吉市に江北という場所がある
縁あって、そこに二回ほど行ったことがある
こう言っては大変失礼なのだが、なにがあるというところでもない
何があるかというと、学生時代にお世話になった方のお宅がある
父は、学生時代の大半を神戸そごうの新在家配送センターのバイト
に通っていた
お中元やお歳暮に送られる食品の包装を担当していたのだが、それ
ぞれ名前を書いた熨斗を貼って発送しなければならないときがあり
その名前を見事な毛筆で書く方を「筆耕さん」と読んでいた
筆耕さんは二人おられ、藤井さんと内山さんとおっしゃった
だいたい中高年の女性なのだが、新在家ではいつも同じ方がこられ
ていたのだが、藤井さんのご自宅、と云ってもご主人がリタイヤさ
れてから夫婦で移り住むために建てられたお家が江北にあった
大学4年生の夏、特に旅行に行くでもなくだらだらと暑い配送セン
ターにバイトに来ている父たちを見かねて、藤井さんが「鳥取に行
って海水浴でもしてきたらいい」と勧めてくれた
まだ、その方は新築の家に住んでおらず警察官であるご子息がひとり
で風通しのために行っているが、すぐに帰ってくるので、入れ違いに
行って来ればよいというのだ
お言葉に甘えて、当時のバイト仲間数人で泊まりにでかけた
4年生は甲南1名、関大2名
後輩は近大1名、大阪学院2名
中国道院庄ICから人形峠を越えて、確かずいぶん遠かったのだが、当時の
愛車/ファミリアターボを飛ばして行ってきた
昼は宇野海岸というところで海水浴、夜は地元で入手した牛肉で焼肉宴会
で冷たいビールで日焼けしてヒリヒリした肌を冷やしながら楽しんだ
ゆく夏を惜しむように、気に合った仲間たちで気ままな"別荘ライフ"を過
ごさせていただき、大変感謝した
数年後、会社努めを初めてからのこと
夏休みツーリングで、日本海までいくこととなり、藤井さんのお宅に立ち寄
ってみた
突然の往訪にもかかわらず再会を喜んでいただいた上、泊っていけといって
くれたので、懐かしい"別荘"に泊めていただいた
ご主人にも歓待していただき、何よりも同居している十数匹のネコたちにも
歓迎された
最初は宅内を自由気ままに動き回るネコたちに戸惑ったが、折角用意して
いただいたお寿司のネタをかっさらって叱られているのを見て、なんだか
お孫さんたちのようで慣れてしまった
その時に話されていた話
実のところ、藤井さんは前年の秋、大病を患って神戸の病院で手術を受けた
のだという
一回目の手術の結果が芳しくなく、再度手術することとなったのだが、もう
体力もなく、二度ほど病棟で意識を失ってはご主人の呼びかけと医師の手当
で帰ってきた
生死をさまよって、なんだかこのまま死んでしまうような気がしたという
結果的に手術は成功し、なんとか体力も戻って江北に帰ってこられた
だが、どうしたことか古参のネコが二匹いない
数日経っても現れない
藤井さんは、二度意識が戻ったのはあの子たちが身代わりになってくれた
のだといい、長くネコを飼っている方と話すとこういう話はよく聞くの
だという
父は、その次の夏にネコを飼っていた彼女にふられ
そのまた次の夏を待たずに、東京に転勤になった
転勤してからも達筆の年賀状や暑中見舞いをいただき、独り身でふらふら
している父のことをずいぶん心配していただいた
いただく年賀状の達筆が少しくずれ始めたと思ったところ、暑中見舞いは
ご主人からいただき、藤井さんの訃報を知った
父が今、人前で恥ずかしくなく文字が書けるのは、この藤井さんともう一つ
のバイト先である学習塾の中平先生のおかげだ
父は、決して偏差値の高い学校には行けなかったけれど
あの頃、いろんなところで出会った人たちに色んなことを教わって
家族を養っていける程度の教養は身につけた
父は、何事も人より少し時間をかけてしまうが、それも悪くない
寄り道は人生を少し豊にしてくれる
ひー君
寄り道OK、よそ見けっこう、なにか他人と違うこと
それが大事