
浅草寺仲見世に行ったことがある人なら誰でも黄雀さんのお店の
前を通る事になる。
初めて黄雀さんと会ったのは、小学校の低学年、会ったと言うより
お菓子屋のおじちゃんだから、見たが正しい。
雷門をくぐって最初の右角「当時は清水屋書店」当時からお土産と
書籍の小さな店であった。
浅草寺から当時の自宅までは子供の足でも20分
くらいのものだったろうか、兄と私の日曜日の探検コースの
一つが浅草寺辺りだったのだ。
俳句を始めて間もなくのある日、一人で浅草寺に行ってみた。
懐かしくて、そのお店を覗くと,俳句雑誌が置いてある。
子供の頃はそんなもの気になるわけがない。
雲母、沖,馬酔木、秋、まだ有ったが記憶にない。
何気なく雲母を手にとって立ち読みをしていると、声がかかる。
あ~懐かしい。あのおじちゃん、もう白髪のおじいちゃんになってる。
「俳句やるのかい?」「秋がいいよ,秋が・・」
私はそれでも、雲母を買う。それでもまだ「秋はねぇ・・」
「一冊やるから読んでみな」それにしてもぶっきらぼうな言い方。
「私も載ってるから、黄いろい雀、おうじゃくって言うんだ」
そんな風に記憶にある。
自宅へ帰り「秋」(主宰石原八束)を見てみる、黄雀さんあった。
えっ・・同人欄にあった。それからは毎月一回は黄雀さんのお店に行っては
俳句の話,浅草の話を聞きながら俳誌を買うのが毎月の楽しみになった。
身長150cmくらいで細くて白髪で何とも黙っていれば上品なおじいちゃん
黄雀さん。私の名前が一度だけ秋琴集の目次に載った時,自分の事のように
喜んでくれた。 もう亡くなられている。私を俳句の深海に誘ったお一人である。

踊り子の寡黙にふれず合歓の花

8月の現俳の結果は散々、からくも10位にいるが
名前が消えるの時間の問題だな。


赤い靴はいた乙女や街薄暑
街炎暑背中のあましドレス行く 伊藤黄雀