

紺絣春月重く出でしかな
なんて綺麗な句だろう。あの大きな黄ばんだ春の月を詠んだ句である。
人との出会いも,佳句との出会いも一目惚れ、何となくではなく、
が~んと衝撃的がいい。
私が俳句を始めた頃、飯田龍太は50代後半にさしかかって、俳句の
活動も活発だった。雲母の主宰であり、俳句関係以外の色々な雑誌や
新聞などの俳句欄の選者も多くつとめめていた。
この句に出会って以来「飯田龍太」と活字に見れば切り抜き,スクラップ
ブックに貼り付け、選者と知ればそれごとに投句を続けた。
「東京新聞」「小説新潮」「婦人誌」その他、地方紙の選者もしていたが
そこまでは追っかけられない。
入選して句の下に自分の名前が載るたびに、龍太との距離が近づいていく。
(あの飯田龍太が選んでくれたんだ。私の句を見てくれたんだ。)
そして,もう少し欲がでる。誌友となって投句を1年半続けた。
その間ずっと1句欄でしかなかったが、満足な期間だった。
大げさに言えば飯田龍太と俳句をしたことになる。

五月雨をくぐりて心海にあり

今年の1月結社「ひいらぎ」に入会、3ヶ月投句をする。
何か違和感がある。目的意識が薄いまま入会をしたのが
原因だろう。

露草も露のちからの花ひらく 飯田龍太