
両国生まれにとってお相撲さんを見るなんていうことは,普通のこと。
高校2年にその地を離れるまで、景色の中に相撲部屋があり、小学校、
中学校を通じて級友には力士の子供や力士になるために、故郷を離れ義務教育が
おわるまで,部屋住みでいる子供がいる。
我々の年代は団塊の末期、中学校は1学年11クラスもあり、各クラス50人
ほどもいたと思う。そのクラスの中に5人くらいの力士の卵がいた。
1学年50人以上のそんな子供がいたわけになる。
その頃は外人の力士など考えられなかった時代で、子供の遊びの中に相撲は
野球の次くらいによくした遊びであり、東京の子供でも力士になりたいと
思う子は沢山いた。
日本人の横綱がいないことは寂しいことだが、ふるさとを離れて力士になって
横綱をめざして頑張っている力士に国籍などなく応援したい。
中学3年の時同級生だった薮内君は二所の関部屋で三段目まで出世したが、
大きな怪我をした時にその時まで頑張ってきた糸がプツリと切れて、
ふるさとの静岡に帰った。彼は毎日のように実家に電話をかけても
「かあちゃんは電話に出てくれないんだ」と言ってた。
同じく佐藤君は朝日山部屋で3年間頑張ったが出世できず。北海道に
帰った。
普段の生活の中に普通に相撲取りがいた両国駅は、地方から東京へ集団就職に
来た人たちの上野駅のような所なんだと思う。出発点であり終着点でもある。
琴欧州次はがんばれ!!

昼寝して食べて昼寝や相撲の子

台風のことも有って一日絵描き三昧。俳句は全く浮んでない
これから少し句集を読んで、作句意欲に火を付けねば・・
今日は「細見綾子の句集」にお願いしよう。

花薄帰参かなはぬ相撲かな 河東碧梧桐
