2月 9日

2010-02-09 00:08:12 | Weblog

         ( 春燈・春灯 )

 

昨日の続きになりますが、俳句は文芸として学んでいるころころ。勿論「学」として
捉えて学ばれている方もいるのでしょう。
「芸」だから師匠の手本をななぞり、真似ることで近づくのが常道です。
昔聞いた話に、余りにも師の句をなぞっていくうちに、句会に師匠の句を出して
しかも師匠同席であったらしい。師匠は笑ってご自分の句の講評までしたそうです。
この真似るですが、師匠以外の、高名な句ならまだしも,どこかの俳句大会で
特選になった句や別の結社誌、新聞、雑誌、IT句会からの真似となると悪く言えば
盗作、よく言っても類句と言われるのです。
結社においては多作作家なら問題は無いのですが、寡作作家の切羽詰った状態
からそのような行為に走ってしまう事が多いそうです。
気をつけようではなく、絶対にしなという覚悟が詠み手のプライドです。
作品の成績、結果は兎も角、詠み手として胸を張っていられるのは自分独自の作品
だからではないでしょうか?
少なくともころころが投句をする前には検索にかけて「類句」が無いか調べてして
います。それでも句会で類句が有ると言われますが、裏付けがあるので胸を張って
いられます。

「発見と発掘」明日はそんな話をしてみたいと思っています。乞うご期待!

 

子の眠る春燈父の病む春燈         深見けん二

 

春燈にひとりの奈落ありて坐す        野澤節子

 

春燈の見上ぐるたびに光り増す        大野林火

 

春灯や女は持たぬ喉佛                          日野草城

 

春灯を一人占めして夫の留守                   西村和子


コメント (2)
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