( 黄梅・迎春花 )
「発見と発掘」を独白する前に補足ですが、ポエジーって何?と聞かれれば
受け売りですが「詩的精神」のことと認識しています。
さて、佳句の条件の一つに驚き、発見のある句というのがあります。
最近、発見ではなく発掘しているような句を見かけます勿論、発掘が悪いわけでは有りませんし、それを上手に句に仕立てる努力は大したものです。ただそれで句会などで好評を得ると、したりとそのような句ばかりを詠みはじめます。
言い方を変えれば発見は偶然であり,発掘は必然のように思われます。
読者が驚くものを先に捉え、それを中心に句作りをします。つまりシナリオのある発見なのです。 多くの俳句を鑑賞していればそれは偶然の発見の句との違いをすぐに感じます。驚きが中心ではポエジーは薄れると言う事です、句会ではそう言う句が多く採られ、また作者もその技法を良しとしてしまう。ある意味点取りの俳句で近道なのです。そのやり方も否定はしませんが尊敬する、目指すものではないと思います
句作と平行してもっと多くの句集や俳論集を読むことをお勧めします
少し自慢話ですが、ころころの初学の頃は一日少なくとも6時間~8時間
仕事を終えてからそうしていました。
黄梅のともしびに似て吹かれけり 亀田水炎
黄梅を買ふに買ひ来し鍬が邪魔 辻 桃子
魁けし花は黄光迎春花 阿波野青畝
雪靄のたつ朝市の迎春花 石原八束