( 椿 )
椿落ちて昨日の雨をこぼしけり 蕪 村
次に落つる椿がわかる一童女 和田耕三郎
椿見て一日雨の加賀言葉 森 澄雄
ひとつ咲く酒中花はわが恋椿 石田波郷
余談
俳句の仲間が増えたり減ったり、どうして辞めてしまうのか?
「この句会は自分に合っていない」「お金が掛かりすぎる」「皆の活動に付いて行く時間が無い」
色々な理由は有るんだろうな。俳句作品では類想,類句はいけないと言っても、結社では
思いを一つにして活動する。つまり類想の活動。そうでなければ疎外感を感じることも確か。
能村登四郎さんの俳論集「伝統の流れの端に立って」の中に一句十年という項がある。
昭和14年に投句を始めた「馬酔木」の一句欄が十年間続いたという話。中には二句欄も数える
ほどに有ったと言う。(当時は無点、無掲載もあり)
それでも学ぼうとする気持ちにプライドがあるからだろうと思う。
どうしても人の目を意識して結果ばかりにプライドを示して辞めてゆく人たちに,俳句のもっと
多くの楽しさを伝えることが,もしかしたら指導かもしれない。