自己満足日記

クラキンのささやかな道楽三昧  2009年3月14日開設

二泊三日の信州 花見と温泉とお城の旅 2日目

2019年04月18日 11時05分31秒 | 旅行記

信州、花見と温泉とお城の旅の2日目です。

当初の予定は馬籠宿の後、安曇野へ行く予定でしたが、馬籠宿のお隣の妻籠宿も良いという情報を得たので、安曇野を取りやめて馬籠宿+妻籠宿という宿場巡りをすることにしました。

妻籠宿と馬籠宿は、中山道の宿場町で江戸日本橋から数えて42、43番目の宿場で、信濃国の最後の宿場町になります。
(44番目の落合宿は美濃国になります。)
43番目の馬籠宿で江戸からの距離が80里半ですから、平均約2里毎に宿場町があったことになります。
実際に妻籠宿と馬籠宿の間は旧中山道で7.5km程ですから、標高801mの馬籠峠越えの山道であることを考えると「なるほど」です。
この二つの宿場の間は現在は国道19号線が走っていますが、これと並行して旧中山道が良く残っており、徒歩で2.5時間くらいなので、外国人を中心に歩く人も多いようです。私が行った日も歩いている人(殆どが欧米人)を沢山見かけました。
下の写真は、国道19号線から見た旧中山道です。
石畳で整備されているところもありますが、土のままの部分も多いです。(下の写真はクリックすると大きくなります)

最初に43番目の宿場町である馬籠宿に行きました。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E7%B1%A0%E5%AE%BF
http://www.kiso-magome.com/kankou.html
明治と大正の二度の大火で江戸時代からの建物はすべて焼失したため、現在残っているのは、それ以後に再建された建物です。

ここは作家の島崎藤村の生まれ故郷でもあり、今でも生家が記念館として残っています。
宿場全体が結構急な坂道になっていて、私は下りきったところの駐車場(無料)に車を止めて、登っていきました。(つまり帰りはずっと下りです。)
観光客は欧米系の外国人が殆どで、日本人は少数派です。
馬籠宿の風景です。(写真をクリックすると大きくなります)

島崎藤村と親しかった原家が「清水屋資料館」として現在も残っており、見学することができます。
展示物には島崎藤村直筆の手紙なども多数ありました。
一通り見学した後、受付に居られた老女にお尋ねしたところ、原家の方であることが判り、島崎家との関りや原家の歴史などを直接お伺いすることができ、更に展示スペース以外のプライベートな居住スペースまで見せて頂くことができました。
ここでは書けませんが、島崎家についての生々しいお話も聞くことができ、大きな収穫でした。(こういうのも旅の良さです)

宿場を上り切ったあたりから、恵那山の全景を望むことができました。

燕も沢山飛来していました。(写真はクリックすると大きくなります)

馬籠宿で2時間程散策し、昼食を済ませた後、8km弱離れた「妻籠宿(ツマゴジュク)」へ行きました。

途中、旧中山道を歩く外国人旅行者の姿を沢山見かけました。 皆さんタフですね。http://www.tumago.jp/highlight/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%BB%E7%B1%A0%E5%AE%BF

当初の予定では、馬籠宿の後、安曇野へ行く予定だったのですが、家内が「妻籠宿も良いらしい」というので、予定を変更して妻籠宿へ行くことにしたのですが、これが大正解でした。
先述の通り、馬籠宿は大正時代に火災で焼失した後、再建され観光地となったので、ある意味「作られた」感がありますが、妻籠宿は宿場町として栄えたころの状態が、周辺の自然も含めてかなり保存されていて、正に「タイムスリップ」したかのような街です。
馬籠宿と比べるとフラットな土地にできているので、散策もかなり楽です。

 板葺きの屋根に石が載せてあるなんて、滅多に観られません。

木賃宿です。 囲炉裏のある食事場と雑魚寝の大部屋があるだけの粗末な作りです。

 馬を止めておいた厩です。現代のレンタカーのような機能も果たしていたようです。

大名などが立ち寄った場合の宿泊先となる本陣です。 各宿場に必ずあり、多くの場合地元の豪農や豪商の屋敷がその役目を果たしたようです。
馬籠宿の清水屋(原家)も本陣でした。

この場所は映画「座頭市」(勝新太郎が主演した、かなり古い映画)の撮影が行われた場所です。
いかにもそういう雰囲気でしょう。
風が吹いて、砂ぼこりが立ち、その中を仕込み杖を持った座頭市が歩いている姿を想像してみて下さい。

ここでも2時間程散策し、コーヒーを飲んで休憩したら、既に安曇野へ行く時間は残っていませんでした。

伊那ICから松本ICまで中央道を走り、二日目の宿である鹿教湯温泉へ向かいました。
鹿教湯温泉は松本から上田に向かう途中の三才峠を超えたところの山間にある温泉街です。
鹿に化身した文殊菩薩が猟師にその存在を教えたという言い伝えからこの名前になった言われています。
詳しくはこちらで。http://www.kakeyu.or.jp/

泉質は単純アルカリ性で、無色無臭の柔らかいお湯です。
17時頃、宿にチェックインし、夕食前に1回、夕食後に1回、翌朝1回の合計3回温泉に浸かりました。
平日なので宿泊客も少なく、温泉は常に貸し切り状態で、ゆったりと過ごせました。

本日の歩行歩数9,269歩

三日目(最終日)へ続く・・・

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二泊三日の信州 花見と温泉... | トップ | アポロ11号司令船コロンビ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あきみず)
2019-04-18 20:44:17
高遠の桜はみごたえがありますね 人も多いでしょうが、仕方ありません。新府城跡も行ってみたかったところです 新田次郎の本も好きでしたから読みました
馬籠と妻籠も20代の時に行きましたが、そんなに
変わっていないのでは、ないでしょうか。
外国の方が、大勢来られているのは、喜ばしい
ことです。温泉のんびり浸かれるのは、至福の時
でしょう。
返信する
青山半蔵も歩いたのでしょうか (黒猫2号)
2019-04-18 21:45:25
今晩は、クラキン様。
後編じゃなくて中編だったですね、失礼致しました。
本当に江戸を思わせる景色で、歴史の中に引きこまれるような気になりました。
黄門御一行が登場するにはあまりにもリアル情緒が有りすぎますね。
この写真は「旅ガイドとしてもなかなかのものではないか」と思います。
お湯と食事は後編ですか?。
返信する
Re:Unknown (クラキン)
2019-04-19 04:31:30
あきみずさん、いらっしゃいませ。
馬籠や妻籠に20代の若さで行かれたとは驚きです。
高遠城は桜名所としてあまりにも有名なので、この時期人出が多いのは仕方ないですね。
それに比べると新府城桃源郷はマイナーなので人出も疎らでゆったりと満喫できました。どちらも武田ゆかりの場所ですから新田次郎さんも信玄の執筆のために取材に訪れられたかも知れません。
温泉も貸し切り状態で本当にのんびりと浸かれて最高でした。
外国人、それも欧米系が多いのには驚きました。独語、仏語、英語、露語が飛び交っていました。
返信する
Re:青山半蔵も歩いたのでしょうか (クラキン)
2019-04-19 04:54:52
清水屋さんの資料館の中に映画「夜明け前」に関する写真(芦田伸介さんなども写っていました)が何枚かありました。青山半蔵は藤村の父親がモデルですが、藤村の実家である島崎家も馬籠宿の有力者で清水屋(原家)と並んで代々本陣のひとつでしたが、「夜明け前」にも書かれているようなことやその他の色々な事情があって没落してしまいます。
その後、原家が島崎家を支援しますが、その辺りの事情が判る藤村の手紙(原家宛)が多数残っていました。
妻籠宿の街並みは時代劇のロケにそのまま使えるような、正にタイムスリップです。
食事については今回は特段変わったものが無かったのであまり写真を撮っていません。
返信する

コメントを投稿

旅行記」カテゴリの最新記事