万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘ドラえもんになろう’では?‐危機の時代の教育

2020年05月05日 09時53分26秒 | 社会

 本日5月5日は子供の日であり、例年であれば、全国各地の行楽地では親子連れで賑わうはずなのですが、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、多くの家庭では外出を自粛しております。この日を心待ちにしていた子供たちにとりましては退屈な一日となりそうなのですが、子供たちの心情を汲んでか、朝日新聞朝刊には‘のび太になろう’というメッセージが掲載されたそうです。

 ‘のび太になろう’に込められた意図は、「いっしょうけんめいにのんびりしよう」という言葉からしますと、‘行きたいところへも行けず、家にいてつまらないかもしれないけれど、病気を広げないためには我慢しようね’ということなのでしょう。多くの人々のことを慮って我慢するという体験は、子供たちにとりましては貴重な学びのチャンスとなりますし、思いやりの心を育てることでしょう。同メッセージの教育効果は認めるところなのですが、危機的な現状にあって、ことさらに‘のんびり’のみを薦めてもよいものかどうか、いささか疑問を感じてしまうのです。

 と申しますのは、非常事態宣言がなされ、外出や営業の自粛が求められるのは、戦後生まれが圧倒的な多数を占める今日にあって、自由の制限という意味においても、大人たちにとってさえ、これまでにない未知の危機的経験です。政府も感染防止を考慮した‘新しい生活様式’を提唱しており、コロナ後にあっても社会的な変化は不可避ともされています。アメリカでは、観光業や航空業などBEACHと総称される職種は存続の危機に見舞われるとの予測もあり、いわば、大人であれ子供であれ、誰もが重大な転換期を生きているとも言えましょう。

 こうした時代状況に照らして‘子供の日’を考えてみますと、危機に立ち向かう精神力やサバイバル能力を鍛えるような、より積極的な過ごし方があってもよいように思えるのです。人々を感染病から救うにはどうしたらよいのか、どのような工夫をすれば感染を防ぐことができるのか、危機に直面した場合、どのようにすれば生き残れるのか、あるいは、人々は、どのように協力すべきか、などなど、大人も子供の一緒になって考えるべき課題は尽きません。ゲームや遊びの要素も加えれば、子供たちも夢中になってアイディアを競うことでしょう(如何なる状況下にあっても柔軟な心を持ち続け、楽しみを見つけることを学ぶ機会ともなる…)。こうした中で、将来おいてなりたい職業を見い出したり、新たな仕事を思いつくかもしれません。あるいは、善き未来への扉を開くようなテクノロジーを生み出すヒントが頭に浮かぶとしたら、子供たちの行く先は決して暗くはないはずです。

 今日が一生に一度あるかないかの危機、あるいは、転換期であればこそ、学べることや学ぶべきこともあるはずです。このように考えますと、のび太君よりもお腹のポケットから様々な‘ひみつの道具’を取り出してのび太君を助けるドラえもんのほうが、少なくともそのポジティヴなキャラクターからすれば時期に即しているかもしれません。‘のび太になろう’ではなく、‘ドラえもんになろう’という呼び掛けもあったはずなのです。

 戦後、長らく日本国では平穏な時代が続き、‘平和ボケ’とも称されてきましたが、突如として襲来したコロナ禍は、日常というものが如何に脆いものであるのか知らしめることとなりました。今年は、戦後にあって怠ってきた危機対応、危機管理、サバイバル、そして創意工夫の精神を育む教育のスタートの年ともなることを期待したいと思うのです。


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