万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

IT大手の‘民主主義の赤字’問題

2020年05月29日 12時52分00秒 | 社会

 ‘民主主義の赤字’とは聞き慣れない言葉です。特に日本国内では、殆ど誰からも使われていない言葉かもしれません。ところが、ヨーロッパではEUの発足以来、‘民主主義の赤字’なる言葉がその将来像を左右するほど深刻な政治問題となり、EU批判の代名詞とも言える一般的な表現として根付いてきたのです。そして、この言葉に簡潔に表現された問題性は、今日のIT大手にも共通しているのではないかと思うのです。

 マスメディアのEU批判、あるいは、反EU報道と言えばポピュリズム的な観点からのものが多くを占め、非合理的な‘衆愚政治’と凡そ同義として扱われてきました。しかしながら、EUに対する懐疑は感情的なレベルに留まるものではなく、民主主義の危機としても論じられてきた歴史があります。それを象徴するのが冒頭に挙げた‘民主主義の赤字’という言葉なのです。

 それでは、何がどのようになる状態を‘赤字’と呼ぶのでしょうか。‘赤字’とは、何らかの行動や活動の結果、何かが以前の状態と比較してマイナスとなってしまう状態を意味します。それでは、EUにおいて何が赤字になるのかと申しますと、それは、即ち、文字通りの民主主義です。EUにおける‘民主主義の赤字’とは、EUが政策権限を広げてゆくにつれて、加盟国の民主主義が侵食されてゆく、加盟国の民主主義のレベルが低下してゆく状態を意味する批判的な言葉なのです。

 EUと加盟国の両者の制度を比較しますと、民主主義のレベルは後者の方がはるかに高いということができます。EUのトップは、欧州委員会委員長であれ、‘大統領’とも称される常任議長であれ、直接に‘EU市民’から選出されるわけではありません。また、その他もろもろの制度を見ましても、EUの民主主義の制度化のレベルは加盟国には遠く及びません。この状態にあって政策権限ばかりが加盟国からEUへと移ってゆくのですから、民主主義を基準として評価すれば明らかに‘赤字’が生じてしまうのです。

 民主主義の赤字が、民主的な国家から非民主的な組織への権限移譲による、民主的レベルの低下を意味するとしますと、今日、凡そ全ての諸国が直面しているIT大手のプラットフォームの公共インフラ化の問題も、同様の文脈において理解できるように思えます。昨今、トランプ大統領のツウィートに対してツイッター社が警告文を付したことが問題となっておりますが、IT大手には、民間企業でありながら、不都合、あるいは、ポリティカルコレクトに反すると判断した投稿文に対して警告文を付すのみならず、投稿そのものを削除する権限を有します。たとえ憲法や法律等で検閲が禁じられていたとしても、現実には検閲が行われていることとなるのです。

 IT大手は民間企業ですので、非民主的な組織です。ユーザーには経営に参加する権利はありませんし、ましてやトップやCEOを選挙で選ぶということもできません。それにも拘わらず、言語空間における検閲をはじめ、‘公共インフラの民間運営者’という立場にあって様々な権限を保持するに至るのですから、その存在がユーザーでもある国民にとりまして危険であることは言うまでもありません。SNSともなれば、コミュニケーションの基盤的インフラともなりますので、民主主義の赤字問題は深刻です。

こうした批判に応えるために、フェイスブック社は第三者機関を設置して‘検閲’作業を委任するそうですが、同機関のメンバーの人事権を同社が握っていれば中立・公平性が確保される保証はなく、政治的な偏りが生じる恐れがありますし、民主主義の赤字問題の解消には全く繋がりません。その一方で、ツイッター社の一件で業を煮やしたトランプ大統領は、SNS企業に対する保護を撤回する大統領令に既に署名したとも伝わります。

泥沼の様相を呈してきているのですが、IT大手によるプラットフォームが公共インフラ化している現状からしますと、少なくとも民主的な制御装置が必要であることは確かなように思えます。そしてその先には、極少数のIT大手による情報支配とは異なる、別の未来が描かれるかもしれません。情報通信分野にあっては、これまで民営化一辺倒であったのですが、その公共性に鑑みますと、自由主義国では、中国のような国家統制のスタイルとは違う形での民主的な公共システムが出現するかもしれません。あるいは、それを可能とするのは、言論の自由を護り、情報通信空間の私的独占を防ぐ新たなテクノロジーの登場なのではないか、とも思うのです(ITはITを以って制す?)。


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