本国会での実現を目指しておりました検察庁法の改正。しかしながら、内閣や法務大臣の判断により検察幹部の定年を最長で3年間延長できる内容を含むことから世論の反発を受け、本国会での成立は見送られる見通しとなりました。
国民の多くが懸念を抱く理由は、検察に対する政治介入のリスクにあります。司法部門に属する検察の人事権まで政治の側が掌握すれば、法の前の平等が蔑ろにされる怖れがありますし、とりわけ政治家の汚職を取り締まることが難しくなります(権力分立を否定する中国では、永遠に腐敗は撲滅されないかもしれない…)。権力分立におけるチェック・アンド・バランスの観点からしますと、政府は、本来、司法部を制御する、すなわち、チェックする役割を担っているのですが、今般の制度改革が実現すれば、人事権を介して間接的に決定権まで握りかねません。しかも、現行の検察法でも、法務大臣に対して指揮権が認められており、検事総長に対しては、個別の事件についてまでその権限を発動することができるのですから、検事総長の任期延長は、法務大臣(実質、政権与党)の権限強化にもつながっていると言えます。
現行の制度でさえ政治家の汚職に対して十分な対処ができない状況にある上に、さらに権力分立のバランスが政治優位、否、集権化の方向にさらに大きく傾くとなりますと、同改正案は、改正ではなく改悪となりかねません。政府としては断念したわけではないのかもしれませんが、左右のイデオロギー上の立場の違いに拘わらず、国民一般の常識的なバランス感覚からしましても今般の改正案はやはり無理筋と言えましょう。
かくして同改正はお流れとなる公算が高いのですが、検察をめぐる問題は、全てきれいに解決されたわけではないように思えます。上述しましたように、現状にあっても与野党問わずに政治家の汚職や腐敗、あるいは、疑惑が後を絶たないからです。検察制度の必要性は同法案と共に消えるわけではなく、むしろ、今般の一件は、検察を取り巻く政治圧力の問題をクローズアップしているのかもしれません。つまり、それが政治側の空気を読んだ結果としての検察側の‘忖度’であれ、政治部門が検察をコントロールし得る状況が今なお続いているのです。
それでは、この残された問題に対しては、どのようにアプローチすればよいのでしょうか。まずに考えられるのは、法務大臣の検事総長に対する指揮権をなくしてしまう、というものです。近年の制度改革によって今日の検察審査会は(‘検察審査会制度とは、国民の中から選ばれた11人の検察審査員が検察官の不起訴処分の当否を審査するもの’)、政治家が不起訴となった事件でも、検察の決定を覆して起訴に持ち込むことができるに至っています。例えば、陸山会事件では、東京地検特捜部は3人の秘書のみを起訴しましたが、後日、検察審査会の決議により小沢一郎議員も起訴されることとなりました。今日、民主的な制御手段が効果的に働くこととなりましたので、今日、法務大臣に強力な指揮権を与える必要性は低下しているのです。
もっとも、検察は、捜査段階にあって政治介入による捜査妨害、あるいは、政治的自粛要請に直面し、起訴に必要となる十分な証拠を集めることができないかもしれません(検察審査会に付されても証拠不十分となってしまう…)。そこで、こうした事態を避けるためには、より強い権限による捜査が必要となります。この点、現状にあっても東京、大阪、名古屋の地方検察庁には特捜部(特別捜査部)と呼ばれる特別の組織が設置されており、政治家の汚職を含む大規模、かつ、重大な事件を扱っています。しかしながら、特捜部を以ってしても上述した陸山会事件のように起訴されたのは秘書止まりであり、政治家本人には及びませんでした。こうした前例を見る限り、少なくとも政治家が絡む事件については現行の特捜部の能力にも限界が見受けられるのです。
そこで第二に考えられるのは、政治家の汚職事件を専門に扱う部署を、現行の特捜部から分離し、所謂‘政治捜査部’として設立する案です。同捜査部に対しては、より高い独立性を保障すると共に、さらに強い捜査権限を与えるのです。例えば、仮に法務大臣の指揮権を維持するならば、検事総長に対する個別事件の指揮権を含め、同捜査部は指揮権の対象から除外するといった方法もありましょう。なお、‘政治捜査部’の高い独立性に伴う内部腐敗のリスクに対に対しては、起訴の可否の判断に際して検察審査会による審査を義務付けるのも一案です。
政治家の汚職は、贈収賄による一般的な利益誘導のみならず、時にして売国行為を伴う事例も少なくありません。日本国の政治を見ましても、近年、頓に国益を損なったり、国民の意に反した政策が目立つようにもなりました(WHOに見られるようなチャイナ・マネーによる汚職も懸念材料…)。政治家の多くは、民主的選挙を以って国民の信任を受けたと胸を張りますが、現実には民主的選挙制度にも不備がありますし、その任期における活動が国民から逐次チェックされているわけでもありません。上記の案は試案に過ぎませんし、これらの他にも様々なアイディアもありましょうが、政治家の汚職に対する検察の活動が阻害される要因を取り除く方向での改革こそ、国民が真に願う検察改革なのではないかと思うのです。