コロナ禍による学校の休校が長引く中、俄かに浮上してきたのが9月入学への変更問題です。地域、学校、家庭等において遠隔授業の実施に要するIT環境のレベルに違いがあるため、教育格差が問題視されるに至ったからです。政府の説明にあっても教育格差の是正が制度改革の目的とされたのですが、その後の対応を見ておりますと、多くの国民が薄々に気が付いていたように、グローバル・スタンダード、否、米中の学期に合わせることが真の意図であったようです。
9月入学については国民多数の賛意を得ているわけではなく、さらなる混乱を懸念した反対の声も少なくありません。仮に政府の説明通りに改革の目的が教育格差の是正にあるならば、今年度の9月に入学時期を移さねばならず、国民も教育現場もその劇的な変化に十分に対応できるとは思えないからです。物理的にも無理ではないか、とする意見もあったのですが、そこで混乱回避のために登場してきたのが、5年の年月をかけて段階的に入学時期をひと月づつずらしてゆく、という案です。段階的な移行であれば、ショックをある程度緩和できますし、国民の不安を払拭できると考えたのでしょう。
確かに妙案にも聞こえるのですが、この案ですと、最初の政府の説明とは食い違いが生じてしまいます。何故ならば、教育格差の是正が目的であれば、段階的移行案ではその効果は殆どないに等しいからです。つまり、図らずも9月入学案は、政府がもとより温めてきたものであり、コロナ禍の発生はそれを実現するためのチャンスに過ぎないことを示すこととなったのです。
コロナ禍の混乱に乗じた制度改革という手法は、検察庁法の改正に際しましても批判を浴びましたが、9月入学案も、反対派に十分な時間を与えず、時間をかけた合意形成や国民的な議論を省いてしまうための、‘奇襲的’な手法のように思えます。こうした試みが重なれば重なるほど、日本国政府は、国民からの信頼を失ってゆくように思えます。しかも、日本国の学生全般の学力向上ではなく、米中教育機関への送り出し、並びに、受け入れ留学生数の増加を主たる目的としているのであれば(全世界の諸国が9月はじまりで統一されているわけではない…)、少数者のための制度改革ということにもなり、国民の反発も予測されましょう。他の国民の多くは、その必要性を感じていないのですから。
報道によりますと、今般、自民・公明の両党は、本国会において憲法改正国民投票法の改正案の成立を目指しているそうです。しかしながら、現状を見ますと、真に現在の日本国に必要な制度改革は、憲法改正に限らず、全国民が当事者となるような重要な議案を決めるに際しての、国民投票制度の導入なのではないでしょうか。9月入学への変更こそ、まさしく国民投票に付すにふさわしい問題であるかもしれません(もっとも、同制度改革には憲法改正が必要かもしれない…)。コロナ禍の最中にあっての度重なる政府による制度改革の押し付けは、日本国の民主主義の危機でもあるように思えるのです。