昨日、5月18日に開催されたWHOの年次総会は、新型コロナウイルスのパンデミック化に対応したテレビ会議形式という異例の事態となりました。同総会は、事前の予測通りにアメリカと中国・WHOが鋭く対峙する場となり、国際社会の協力と合意形成には程遠い結果に終わりそうです。対コロナ対策の評価に始まり台湾のオブザーバー参加や独仏提案の‘コロナ復興基金’の創設まで、何れも見解の分かれる議題ばかりです。
とりわけ年次総会第一日目にあって両陣営が激しく衝突したのは、WHOの初期対応の評価であったようです。アメリカが、中国の‘操り人形’と化していたWHOが十分な情報収集に失敗しために多くの人々が犠牲になった、として厳しく糾弾する一方で、中国をはじめ他の諸国はWHOの対応を称賛したと報じられています。現実を具に見れば、武漢での発生初期段階にあってWHOが適切な判断を下していれば、今日のパンデミック化はあり得ず、また、凡そ30万人もの人々の命が失われるはずもありませんので、アメリカの言い分に理があることは明白です。WHOの対応を称賛したとされる諸国の代表は、WHOのテドロス事務局長と同様に‘チャイナ・マネー’に目がくらんだのでしょう。
もっとも、WHOの致命的なミスは、情報収集に失敗したというよりも、中国からの渡航禁止措置、即ち、中国封鎖措置を勧告しなかった点にあるように思えます。1月13日には、タイにおいて最初の流入症例がWHOに報告されています。この報告は、既に新型コロナウイルスが国境を越えて海外に伝播したことを意味しており、この時点で、WHOはパンデミック化の最初の兆候としてキャッチしていたはずです。つまり、春節の連休は例年ですと1月24日から始まりますので、13日から24日までの凡そ10日間の間に、WHOが武漢市の封鎖、中国国内の移動禁止、並びに、中国から海外への渡航禁止措置を採るように中国に強く要請していれば、パンデミック化は事前の防ぐことができたはずなのです(感染力を正確に把握していれば、13日以前の段階でも封鎖措置の要請が可能であったはず…)。
ところが、WHOは必要な措置を怠るどころか、加盟国による渡航禁止措置を妨害までしています。再三にわたりテドロス事務総長はパンデミックの宣言を渋ると共に、既に渡航禁止措置を講じた諸国に対して‘行き過ぎた対応’として批判したのですから。日本国政府も、春節が過ぎ、感染者数の増加が顕著となった段階でも、WHOの消極的な態度を盾に中国から全面的な渡航禁止に踏み切ろうとはしませんでした。WHOにパンデミック化の責任がないと言えば、やはり嘘ということになりましょう。ブレーキを踏むべき局面で、アクセルを踏んだようなものなのですから。
今般のWHOの一件は、国際組織が特定の加盟国に乗っ取られてしまった悪しき事例として記憶されるかもしれません。そして、WHOが全世界の医療物資や医薬品分野において巨大な利権をも有している点にも注目すべきでしょう。例えば、インフルエンザのワクチンについては、毎年2月にWHOが冬季インフルエンザ流行期に推奨されるウイルス型の発表し、これに基づいて医薬品メーカーが製造しています。WHOは、暫く間、中国の意向を汲んで‘人から人への感染’を認めなかったぐらいですから、同機構が公表してきた‘科学的根拠’に基づく見解も疑わしくなります。また、今般のコロナ禍にあっても、WHOは医療物資を中国企業に大量発注していますので、他の疾病や公衆衛生分野における様々な医療・医薬品等の‘公共調達’に際しても、日本国のマスク配布政策と同様の‘随意契約’が横行しているかもしれません。
戦後、長らく国連等の国際機関を‘神格化’する傾向にありましたが、今般のWHOの一件は、その理想とはかけ離れた国際機関の現実の姿とその‘乗っ取りリスク’を白日の下に晒すことともなりました。国際協調を深めるためにはWHOにより権限を集中させるべきとする意見もありますが、方向性が逆のようにも思えます。リスク管理の観点からすれば(WHOがミスをすれば全ての加盟に被害が及ぶ…)、各国が独自に判断し得るより分散的なシステムの方が望ましいのかもしれないのです。ましてや世界政府構想も、推して知るべしなのではないかと思うのです。