新型コロナウイルス禍によって延期となっていた中国の全国人民代表大会は、ようやく首都北京で開催される運びとなりました。同大会は、強権発動による感染封じ込めの成果を自画自賛するものと予測されていましたが、蓋を開けてみますと、習政権による封じ込めの対象は、ウイルスのみではないようです。香港の民主主義をも封じるべく『香港国家安全法』を制定する方針が示されたのですから。
国際社会における対中批判は強まる一方なのですが、同大会に伴ってリモート形式で設けられた記者会見の席で、中国の王毅国務委員兼外相は、批判的な質問に対して‘逆切れ’で応じています。『香港国家安全法』についても、「一刻の猶予も許されない。必然的な流れだ」と述べて一歩も譲らない構えを見せており、反対の声に対して聞く耳を持つつもりはないようです。そして、台湾についても、アメリカによる同国への武器売却を踏まえて「台湾の統一は歴史の必然で、いかなる勢力も阻むことはできない」とし、併合に向けた断固たる姿勢を見せているのです。
王外相の発言で注目されるのは、‘必然’という言葉を多用している点です。この言葉は、通常は、ある原因が必ずある特定の結果に帰する場合に使われます。その使用は原因と結果が例外なく対にある場合に限定されるのであり、‘必然’にあっては、因果関係を人の行動や意志によって変えることはできないのです。
しかしながら、『香港国家安全法』にしても、台湾併合にしても、そこには必然性はありません。香港基本法に基づく一国二制度では、中国は香港の内政に干渉し得ないのですから、香港において民主的な制度改革が行われたとしても、それは、香港の自治権の範囲ということになります。むしろ、誠実に法に従うとすれば、香港市民が民主化を望めばそれが何らの外部的な妨害なく達成されるのが、‘必然’とまでは言わないまでも、自然な流れと言えましょう。また、台湾につきましても、中国による併合には何らの必然性もありません。事実上(de facto)の独立国家である台湾は、同国が反清復明運動の拠点となったが故に、清国によって征服され、直轄地にされたに過ぎないからです。
それでは、何故、王外相が‘必然’を連呼したのでしょうか。それは、この言葉以外に中国の言動を正当化し得る根拠が見つからなかったからなのでしょう。本来、法律の制定も対外行動も、国家の政府の決定に基づくものであり、当然にその結果に対する責任も負うこととなります。しかしながら、『香港国家安全法』の制定も台湾に対する武力併合も国際法に違反しますので、自らの行動から生じる責任を回避したい中国は、‘必然’という言葉に逃げたかったのでしょう。今日の強硬姿勢は、香港の民主化運動、並びに、台湾の独立運動が原因なのであって、中国による弾圧はその‘必然的な’結果であると…。
王外相の発言からは、自己の正当化ためには全ての責任を他者に転嫁しようとする自己愛性人格障害を思わせる心理が読み取れるのですが、中国による‘必然論’は、自らをも傷つける両刃の剣でもあります。何故ならば、時系列を丁寧に追ってゆけば、香港の民主化運動であれ、台湾の独立運動であれ、これらの抵抗運動は、何れも中国の行為によって引き起こされているからです。前者は逃亡犯条例の改正が機となりましたし、後者については近年の習近平体制の下における台湾併合に向けた動きの活発化にあります。不当な弾圧を受ければ反発するのは人としての当然の反応ですので、反中運動の方が余程‘必然’の結果とも言えましょう。
米中間における新冷戦につきましても、王外相は、「警戒すべきは米国の一部の政治勢力が中米関係を人質に取り、新冷戦に向かわせようとしていることだ」と述べ、自らの侵害行為に対する反省は微塵もありません。香港や台湾のみならず、中国は、南シナ海においても国際法やそれに基づく国際判決を無視し、軍事力による現状の変更を試みていますので、原因を作っているのは中国に他ならないにも拘わらず…。中国の言い分に従えば、新冷戦を回避したければ、中国による世界の無法化、並びに、同国による世界支配を認めよ、ということにもなりますので、これは、人類にとりまして決して飲めない要求です。原因と結果との関係を重視するのであれば、中国は、先ずは、自国こそが国際社会の法秩序、即ち、平和を乱している張本人であることを深く自覚し、自らの行動を自制すべきではないかと思うのです。