万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

フェイクニュースと推理は違う―武漢研究所起源説

2020年05月07日 13時12分33秒 | 国際政治

 新型コロナウイルス感染症のパンデミック化は、甚大なる経済的被害を受けた諸国が中国に対して損害賠償の請求を検討するに至り、あたかも法廷闘争の観を呈するようになりました。国際法廷を想像してみますと、被告席には主犯格の中国、並びに、共犯の嫌疑をかけられているWHOが憮然とした顔つきで座り、武漢生鮮市場起源説を口角泡を飛ばして主張する一方で(あるいは米軍起源説?)、原告席には、武漢研究所起源説を唱えるアメリカのドナルド・トランプ大統領が、眼光鋭く被告席を睨みつけている様子が目に浮かびます。

 おそらく‘裁判’の行方は、アメリカ側が証拠を提示することができるか、否かにかかっているのでしょう(もっとも、賠償責任については、中国政府のWHOの規約違反、並びに、法律上の怠慢行為のみで立証可能…)。実際に、トランプ大統領がポンペオ国務長官共々に‘証拠はある’と公言する一方で(武漢ウイルス研究所の研究員が亡命したとの真偽不明の情報も…)、対する中国側は、記者会見に臨んだ外務省の華春瑩報道局長が‘証拠はない’と述べて強く反発しています。本来の司法手続きであれば、中立的な国際機関が捜査を行い、国際司法機関が裁くべきなのですが、現在の国際司法システムのレベルからしますと、当事国双方の合意を要するためICJといった国際司法機関が同訴訟を扱うことは難しく、また、常設仲裁裁判所にあっても当の中国が南シナ海問題の判決を破り捨てたぐらいですから、強制捜査のハードルは相当に高いのが現状です。となりますと、アメリカ国内の裁判所において両国が火花を散らす舞台となるのでしょう(もっとも、中国は応訴しないかもしれない…)。

 かくして、新型コロナウイルスの問題は、国際社会において万人が注目する大事件に発展したのですが、‘法廷闘争化’は、少なくともこれまでのところは、国際紛争の解決の仕方としては、あり得るシナリオの内で最も望ましい方法であったように思えます。同ウイルスの人工説については科学技術が証明し得ますが、人の行為が介在する‘起源’を明らかにするには、事実のみを丹念に拾い、証拠を集め、何処に、誰の、どのような意志が働いていたのか、あるいは、過失があったのかを確認しなければならないからです。この作業を経てこそ、新型コロナウイルスのパンデミック化に際して、どの国、あるいは、誰に罪と責任があったのかを人々が明確に知ることができます。言い換えますと、米中両国が証拠の有無を争う現状は、人々が、暴力、威嚇、詐術等といった不正な手段ではなく、事実と証拠に基づいた解決こそ全人類を納得する方法である、と中国でさえ見なしている証でもあるのです。

 そして、今日の状況を可能としたのが、言論の自由であったことに思い至りますと、少なくとも真偽が不明な段階にあっては、如何に怪しげな情報であっても、フェイクニュースと決めつけはならないという教訓を残しているように思えます。ネット上などで武漢研究所説が拡散し始めた当初、NHKをはじめメディアの多くは同説をフェイクニュース扱いし、同ニュースに言及した人々を無責任な流言飛語を飛ばす半ば‘犯罪者’のように扱っておりました。しかしながら、この時、武漢研究所説がネットを含む全ての言論空間から全て削除され、中国政府が公認した説のみが‘トゥルーニュース’として事実化されていたとしたら、真相究明や責任追及は永遠に不可能となったことでしょう。

 一般の刑事事件であっても、最初から事件の全容が分かっているわけではなく、刑事であれ、探偵であれ、先ずは、入手した証言や証拠、そして、事件に関わる全ての人々の立場や状況等から真相をあれやおれやと推理するものです。もちろん、最初から推理が一つのはずもなく、捜査の過程で事実に反するものはふるい落とされ、あらゆる観点から見て最も矛盾がなく、かつ、証拠とも一致する説に絞り込まれてゆくのです。この間、世間一般でも様々な推理や憶測が飛び交うことでしょうし、一般の人々からも事件の解明に繋がる重要な情報が寄せられることもあるかもしれません。

健全な社会とは、人々が自由闊達に推理し、それをめぐって議論しあえる社会であり、ましてや新型コロナウイルス禍は全人類が事件の被害者、即ち、当事者でもあります。つまり、事件の真相を探るプロセスにおける自由な推理や意見発信は、むしお当然の権利とも言えましょう。このように考えますと、政府であれ、メディアであれ、推理を以ってフェイクニュースと断定して排除する姿勢は、真相解明を阻害する妨害行為に他ならないのではないかと思うのです。そして、中国政府が、真っ先に情報隠蔽に走った事実に鑑みますと、この‘法廷’、実現の如何に拘わらず、多くの人々がアメリカの勝訴を予測しているのではないでしょうか。


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