国会での検察庁法改正案の採決を間近に控え、SNS等を介して珍しくも日本の芸能界の人々が積極的に反対を表明したためか、コロナ禍の最中にあっても検察庁改正法案の問題が関心を呼んでいます。野党側も修正案を準備するなど、国会は、与野党が激しく火花を散らすバトルの場ともなりそうです。
今般の法案における改正点を読んでみますと、同法案に対して多くの人々が不安を抱く理由は理解に難くはありません。同法が改正されれば、検事総長は、法務大臣が必要と認める場合には、人事院の承認を条件としつつも、一年ごとに定年を最大で3年間延長することができるようになるからです(理論上は特例的に68歳まで検事総長を務められる…)。近現代国家の制度上の基本原則である司法の独立の観点に照らしますと、政治機関の一つである政府が司法機関に対する人事権を強めることになりますので、同法の改正には司法の独立性を侵害しかねないリスクがあるのです。司法の独立は国民の自由や権利を護る砦ともなりますので、野党側が「政権による恣意的な検察人事が可能になる」とし、検察による政府に対する‘忖度’を懸念するのも故なきことではないのです。
しかも、検察人事については、閣議決定によって黒川弘務東京高検検事長の定年が延長された際に違法の疑いがもたれており、‘後付け’の法改正との指摘もあります。また、近年に至り、自公政権が、権力分立を頑なに否定してきた中国に急速に接近している様子を目の当たりにしますと、日本国の国制も集権型に変質するのではないかとする懸念もないわけではありません。時期が時期だけに、同法案には国民の警戒心を呼び覚ますだけの要素が揃っているのです。
司法の独立なきところに国民の自由がないことは、中国の体制をみれば一目瞭然ですが、その一方で、司法の独立にも盲点があります。それは、同機関を完全に他の諸機関から切り離して独立させてしまいますと、独裁体制と同様に権力の内部腐敗や暴走が容易に起きてしまう点です。しかも、内部昇進システムを介して同権力が特定の勢力に掌握されてしまう事態ともなれば、司法の独立は、内部から侵食されてしまいます(権力の乗っ取りや私物化…)。実際に、同法案を支持する側にも、次期検事総長に政治的に左派寄りの人物の就任が予定されていたとする反論があります。野党勢力の反発や法改正反対派も、表向きは司法の独立の擁護ではあっても、もしかしますと政治的な思惑が隠れているかもしれず、司法の独立性は、必ずしも中立・公平性と同義ではないのです。
こうした独立性に伴うリスクを抑えるために、近現代の国家では、権力の性質に応じた分立のみならず、統治の諸機関が相互に他の機関をチェックするチェック・アンド・バランスの仕組みを組み込んでいます。司法機関の独立性を制度的に尊重しつつも、放任とならないよう、政府や議会といった政治機関が一定の制御的な役割を果たしているのです。内閣による最高裁判所長官の指名や国会の裁判官に対する弾劾裁判権等もこの文脈で理解されます。検事総長の人事につきましても、チェック・アンド・バランスの観点からの法改正支持もあり得ないわけではないのです。
以上に述べたことから、司法機関とは、‘独立性が保障されなければならない一方で、完全には独立させてはならないという’極めて微妙なバランスの上に成り立っていることが分かります。それでは、今般の検察庁法の改正については、どのように対応すべきなのでしょうか。
法改正の主たる目的は、検事総長職の長期化にあるようにも思われます。与党側が長期化に拘る理由は定かではないのですが(仮に、現与党が野党に転落すれば、同職の長期化はブーメランになりかねない…)、政府と検察の二者だけの間で同問題を解決しようとしますとデッドロックに陥ってしまいます。そこで考えるべきは、これらの二者以外にチェックの権限を与える手法です。
検察に対しては、今日では検察審査会が設置されており、裁判員制度と並んで一部であれ国民参加が実現しています。その一方で、人事面おける民主的チェック制度は皆無に等しく、最高裁判所の判事に対する国民審査といった制度は、検察人事にはありません。そこでまず考えられるのは、検事総長の任期が長期化し、かつ、国民から見て明らかに政治的な中立性からの逸脱が生じた場合に解任できる制度を設けることです。例えば、最高裁判所に倣って国民審査に付すとか、検事総長に対するリコールの制度を導入するといった方法もありましょう。また、国会に検事総長に対する弾劾裁判権を認めるといった方法もありますが、議院内閣制の下ではチェック機能は十分には果たせないかもしれません。なお、こうした制度改革は、裁判員制度が憲法改正を経ずして導入されたように、通常の立法措置でも実現する可能性はありましょう。
上記の案の他にも、検事総長の政治的・思想的スタンスの開示など、アイディアを募れば様々な方法があり得るはずです。何れにしましても、忘れてはならないのは、検察という組織は、警察や裁判所と並んで国民の基本的な権利と自由を護り、国家をクリーンに保つ役割を果たしているということです。司法機関の中立・公平性なくして法の前の平等も健全な政治もあり得ないのですから。この点を踏まえれば、国民に対する使命と責任を検察がより誠実に果たし得る方向への改革こそ望ましく、日本国は、今般の法案の成立如何に拘わらず、今後とも検察制度の発展に取り組んでゆくべきではないかと思うのです。