検察庁法の改正を含む国家公務員法の改正は、検察OBによる反対表明もあり、先行きに不透明感が漂っています。この法改正、他の官公庁の公務員とは異なり、検察官の役割が日本国の治安のみならず、政治的クリーンさを保つことにあるだけに、とりわけ広く国民の関心を集めたとも言えましょう。
日本国の国家組織にあって行政機関として位置づけられてはいても、その役割からすれば、検察は、警察共々司法分野に属しています。‘司法の独立’と申しますと兎角に裁判所を対象としているように思われがちですが、起訴の判断に際して政治介入や私的介入が起きますと、不偏不党の立場が損なわれますので、憲法において独立的な職務遂行を明記されている裁判官ほどではないにせよ、独立性の要請は検察にも警察にも及ぶのです。もっとも、敢えて裁判所と検察、並びに、警察を区別するとすれば、後者は、一般の刑事事件においては被害者の立場、政治家等の汚職に対しては国民の立場、即ち、社会正義の側に立つ組織なのです(この点、司法制度の独立性は二重構造…)。
ところが、同法案では、延長期間の3年間は、毎年、政府によって可否が判断されるとしています。独立性を強く求められる公職は、通常、任期制を以って政治介入を防いでいます。予め任期が定められていれば、たとえ時の権力者の意に添わなくとも、そして、政権が交代したとしても、政治的な理由から解任することはできないからです(もしかしますと、与党側は政権交代に備えている?)。この点に鑑みましても、将来において現実に懸念通りの事態が起きるか否かは別としても、定年延長は、検察人事への政治的介入リスクを高めているとは言えましょう。
それでは、何故、政府は、検察幹部の定年を延長しようとしたのでしょうか。メディア等では、黒川弘務東京高検検事長を時期検事総長の座に据えるためではないか、とする憶測が飛び交っております。もっとも、同法案の施行時には既に黒川氏は定年を迎えておりますので、この説は成り立たないそうです。しかしながら、何れにしましても、少なくとも従来の慣例からしますと検事総長職は長期化するということにはなりましょう’(本個所は、2020年5月16日18時56分修正しました。)。
そして、ここで注目すべきは、検察庁法に記されている最高検察庁の長官である検事総長に関する規定です。法務大臣の指揮権について記した同法の第14条では、法務大臣は、検察官に対して‘一般に指揮監督する’ことができるとしつつ、‘個々の事件の取り調べ又は処分については、検事総長のみを指揮することができる’とあるからです。従来、検察への政治介入は法務大臣の指揮権発動の如何が論点となってきましたが、今般、政府の人事権がさらに強化されるとしますと(現行でも内閣が任免…)、検察への政治介入のルートが拡大することを意味しかねないのです。検察に対するチェック・アンド・バランスを考慮しましても、今般の制度改正は政治の方に傾いており、バランスが崩れそうに見えます。
そして、WHOのテドロス事務総長の事例によっても示唆されるように、トップの腐敗は致命的な結果を組織全体に齎すことがあります(‘鯛は頭から腐る’…)。アクトン卿が‘権力は必ず腐敗する’と喝破したように、腐敗は権力の長期化、あるいは、独裁体制の宿命なのかもしれません。そして、今般の検事総長を含む検察高官の任期延長が、クリーンな政治の実現を責務とする検察組織の政治への従属を招くとしますと、国民にとりましては、将来の日本国に対する不安材料が増すことになります。しかも、検事総長のポストがWHOのように一部の海外勢力に乗っ取られますと、日本国の‘独立性’の危機ともなりかねません。
バランスを回復する、あるいは、検察の健全性を保つためには、国民による民主的チェックを制度化するといった方法も必要となるのですが、政治介入の問題について、より根本的な原因を探ってみますと、政治家に対するチェック体制の脆弱さにあるようにも思えます。詳細は後日に譲るとしましても、検察の機構改革を試みるならば、一般の刑事事件と政治家の汚職とを分けるといった工夫を要するのではないかと思うのです。