枝豆がパンパンに実が入り
ズンダ作りをしました
枝から話して約8キロの枝豆を
夢中で薄皮までむきました
あんなにあった枝豆が
こんな感じにです。。。。。。
ミキサーに砂糖湯を入れて回して
これから鍋で煮詰めます
こんな感じで完成です
これから冷まして袋詰めし
冷凍保存しておきます
冬の間に集まりがあれば
お重にズンダ餅を摘めて
持っていこうと思います
枝豆がパンパンに実が入り
ズンダ作りをしました
枝から話して約8キロの枝豆を
夢中で薄皮までむきました
あんなにあった枝豆が
こんな感じにです。。。。。。
ミキサーに砂糖湯を入れて回して
これから鍋で煮詰めます
こんな感じで完成です
これから冷まして袋詰めし
冷凍保存しておきます
冬の間に集まりがあれば
お重にズンダ餅を摘めて
持っていこうと思います
今年のスイカ少し川が熱かったので
捨てるのがもったいない気がして
お漬物にしました
これがピンポ~ン
おいしいんです
作りおきの「漬けもの汁」に
おろしニンニクを少し入れました
うん、大成功です
テレビで今朝、孤独死について放送していた
夫と二人でそれを見た
ほどなく夫に電話
知り合いの方がある人の電話番号を
教えてほしいとの電話だったらしい
電話番号を見て教えた夫
受話器を置いてから
「自分で調べればええべな」
とポツリ
「父さん?当てにされてることは有難いことだよ」
と私
「あいつに聞いたって駄目だとか
あいつには聞きたくない・・・とか
言われるよりずっとええべ?」
「誰にもあてにされなくなれば人間おしまいだよ」
夫は黙って聞いていた
今朝も最後の方の枝豆を収穫
誰も当てにしてないのに私は
今度は誰にあげようかな・・・などと
考えている
16日~18日まで3日間の行われた
「西馬音内盆踊り」が終わりました
私は16日と昨日18日
踊りに行ってきました
16日はお天気が良かったのですが
昨日は雨模様
でも夜になって晴れ間が出ましたので
本番の踊りは挙行されました
皆さんで着替えを手伝い合いながら
準備完了
一年楽しみにしていた本番の輪の中に
この後私の仲間と姉の仲間とで出かけました
踊っている間にもパラパラと雨が降りましたが
大降りとはならずホッ!
今年は山形の花笠まつりパレードにも参加しましたし
私の熱い夏は西馬音内盆踊りをもって
終了です
先日の事です
精米をしに町に行ってきました
この頃はいつもここです
精米所はあちらこちらに今はありますが
比較的新しいところです
30キロ以前は300円
今は200円でできます
時間もさほどかかりません
新しいので中もきれい
スズメがやってきました
前に来たときはセキレイもいました
ちゃんとわかるんですね
お米が落ちていたりするのを
期待してるのでしょう
一茶じゃないけど
小鳥がかわいくて仕方のない私は・・・
たくさんお米を蒔いてあげました
何度も何度も米巻きをしました
私がいなくなってからきっと
一生懸命食べたのでしょう
昨夜、西馬音内盆踊り初日に
参加をしてきました
一年ぶりの本番です
この踊りに出会ってお師匠さんのお宅まで
夢中で通った18年前
何度もお邪魔したお宅を宿にさせて頂き
そこで着替えて出かけます
残念ながらお師匠さんは
数年前から少し記憶がなくなってしまい
人との会話も余りされなくなっていました
でも昨日は
娘さんとご挨拶をしていたら出ていらして
久しぶりで大分お話をしました
「踊りから離れてもずっと遊びに来て下さいな・・・」
「貴女は遠いから家を宿にしてください」
と言って頂き大変に気に入って下さってましたのに
今は私が誰だかきっと
わかっていらっしゃらないと思う
でも、久しぶりの会話に涙が出てきてしまった
失礼ながらずっと手を握り締めて
話をしさせて頂きました
夕べは旧角館町の
「送り盆」でした
常陸の国から秋田に国替えとなった佐竹氏が下向の際に
佐竹藩主の義宣公をお慰めの意味や
道中の安寧、悪病払い等のお役目を担い
踊りながらお供してきたという「ささら舞い」
現在は盆の行事として
五穀豊穣の祈願や先祖の霊を慰める意味で
舞われています
その合間に私たち踊りメンバーは
「角館音頭」「角館小唄」「おやまこ三里」の三極を
2回にわたり踊ってきました
夕べ来た浴衣が左
右は京都18日に踊る
「西馬音内盆踊り」に着る
端縫いです
これが終わるとこの地方は
秋へと突き進みます
7月末には食べられるはずだった
我が家の早蒔きの枝豆が
お盆の今、やっと実入りしました
我が家用はもちろん
知人に回してもまだ残っています
それに…
お盆用にと植えた豆は手つかずのまま
残っています
こちらも食べごろになっています
お盆前にも姉(夫の)のところに野菜を届けましたが
また、手伝って頂くために準備しました
姉が今日訪ねてきます
私が若い頃に実家の母がボツっと言った言葉を
いつも思い出します
母が実家に法事か何かで行った時に
肥塚に野菜が沢山捨ててあったという
母の実家は大きな農家だ
母は4人の子供を抱え
まだ食べ物も不足気味の時代に
もったいないな・・・・・と思ったという
「意地悪なわけではなくても
有る人は無い人の気持ちがわからないものだな・・・」
その母の言葉がずっと頭にある
叔母は大きくなりすぎた野菜
食べきれずに残ってしまった野菜を捨てたのだと思う
自分の立ち位置ばかりで
物事を判断するべきではないのだ…と言うことを
その時に学んだ気がする
11日に帰ってきて13日に息子家族は
鷹巣へ帰りました
孫たちには2日泊まれる日は
イオンのゲームセンターに行こうね・・と
大分前に話してある
玄関に入るやいなや
「おばあちゃん!今度は2こ泊まれるんだよ」
と勇んでいった
12日 約束のイオン行き
お昼まで遊ばせランチ
夜ご飯を食べた後はこれも
孫たちが楽しみにしている
温泉に行く
13日早めのお墓参りを済ませ
お昼前に帰って行きました
これで我が家のお盆行事は
終了したのです
高校時代
たくさんの汗と涙を共に流した
仲間のうちお2人が40代で亡くなっています
昨日 私の一歳下の二人と共に
お墓参りに行ってきました
今まで自分の事ばかりが忙しく
一度もお墓参りをした事が無く
どこか心に引っかかっていました
〇〇さ~ん 来たよ~
ご無沙汰してました~
△△~ 今まで来なくてごめんな~
オメ、おごってらべな~(あんた 怒ってるだろうな)
それぞれお墓に向かって声を出して話しかけながら
お参りをしてきました
そして最後に
去年の9月初めに亡くなった
その当時の恩師
バレーボール部顧問の監督の先生のお墓へ
先生~ なしてそごさいるの~ (なんで そこにいるの~)
もどってこいよ~ (もどってきてよ~)
などと話しかけながらお参りをしました
あれっ!と気が付いたら
先生は秋田県のバレーボール協会の指導者の中では
たった一人 全国大会20回以上出場しています
長年秋田県バレーボールの為に尽力した方でした
5年ほど前には天皇陛下から直々に
勲章もいただいております
そんな先生のお墓の前に
バレーボールのモニュメントが・・・・
思わず三人とも一生懸命撫でてきました
先生 今も〇〇と△と一緒に
そっちでもバレーやってるが?
あんまり厳しくしないでな~
などと口々に語りかけてきました