風の遊子(ゆうし)の楽がきノート

旅人を意味する遊子(ゆうし)のように、気ままに歩き、自己満足の域を出ない水彩画を描いたり、ちょっといい話を綴れたら・・・

楽書き雑記「この印(しるし)は何だろう?名古屋城の石垣で」

2018-09-02 06:41:11 | 日記・エッセイ・コラム

 


あれは何だろう?何故だろう?多分〇〇だろう。
このごろ、街歩きなどで目にして疑問を持ちながら、分からないまま想像だけでやり過ごすことが少なくありません。

些細なことでも「すぐ調べる」をモットーに、電話をかけまくり、関係機関に足を運んだのは昔の話。今や立場が違ううえ、歳を重ねるにつれて好奇心やフットワークに陰りが出てきたことは否めません。

「これではいけない」と思いつつ、ブログの記事でも「よく分かりませんが」「詳しくは知りませんが」「○○のようです」などといった言葉を添えることが多いのが現実です。

名古屋城の石垣に貼り付けられたマークも、そのひとつです。
5~6㌢四方の白と黒のこのマーク、遠目からは気づきませんが近寄るとあちこちにあります。
「多分、測量用だろう」と思いながら確認しないままだったのを思い出し、城内で見かけた名古屋城事務所の職員に尋ねました。

――測量のための基準点みたいなものですか?
「そうですね。石垣の動きを知るためです。沈んだり、左右に動いたりしているのを調べて、修復のデータにします。30~40年に一度ぐらいは修復が必要になりますから」

――そんなに動くものですか?
「もっと短い期間もあるし、100年くらいの場合も。石垣の背後にある土の状態や土質などによって随分違います。水が入ったり、吸い込んだり、乾いたりして、石垣が膨らんだり、縮んだりします」

巨木の根や石垣の隙間から伸びた木々、石垣の下の栗石の状態なども変化をもたらすでしょう。軽微な地震だって影響しているはずです。

だから現在、天守の木造復元化計画が難航している石垣の安全調査とは別に、普段から城全体の石垣の動きを監視しているわけです。

石垣は生きている――。直接尋ねただけでナゾが解け、生きた知識が膨らみました。ネットや図鑑、ガイドブックなども強力な助っ人だけど、やはり対面取材が一番ですね。

この石垣の印は、ほぼ中央の上部に小さく見えています

 木造化工事のため石垣調査が課題になっている天守。現在は閉鎖しています


 



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