11月11日(木曜日)。☁🌧☔。戦没者追悼記念日。元は1918年11月11日午前11時に第1次世界大戦の休戦協定が発効したのを記念する「休戦記念日」だったけど、第2次世界大戦やら朝鮮戦争やらベトナム戦争やら何やらを経て、「リメンブランス・デイ」、つまり戦没者を追悼する日になったもの。午前11時になると、それまでロックを流していたラジオも、追悼ラッパの悲しいメロディを流す。昔はその後で2分間の沈黙があったけど、最近はないなあ。追悼ラッパに応えるように、オフィスの窓の外を第2次大戦当時の戦闘機が4機の編隊を組んで追悼飛行。人類はこの惑星の生物界の頂点を極めたはずなのに、どうして戦争を無くせないないんだろう・・・。

リメンブランスデイのキーワード「Lest we forget」は「忘れないように」と言う意味。第1次世界大戦から100年余りの間にどれだけの戦争や紛争があって、どれだけの命が無駄に失われたことか。いや、人間世界ではそれよりも何百年、何千年、何万年も前から忘れるひまがないくらい戦争をして来たんだから、人類の歴史ってまさに戦争の歴史なんだと思うな。戦争は一国だけでできるものじゃなくて、けんかはひとりではできないのと同じように、必ず相手がある。そして、どっちが悪いなんて言うのは政治的なレベルのことで、市井の人間のレベルでは、敵にnも味方にも親を、子を、家族を、かけがえのない友を失った悲しい記憶が残るだけ。そこには勝者も敗者もないのに、政治や権力者の思惑が常に敵を見つけては、市井の悲しみの記憶を新たな敵への憎しみに転じて、次の戦争に駆り立て行くんだろうなあという気がする。
FBではアシュリーが第1次世界大戦で亡くなったおじいさんを、リアナが大叔父さんを、それぞれ追悼していた。ワタシもこの日にはいつもつい相まみえる機会のなかった叔父のことを考える。キヨシ叔父は母の末弟で、アーティスト志望の若者。母の口からは叔父の話はあまり聞かなかったけど、長姉に当たる伯母が幼いワタシを見ては「この子はキヨシの目をしとる」と言っていたと何度も聞かされていて、それが今だにワタシの心の奥にある種の塊のように残っている。戦争に駆り出されて帰って来なかったかわいい弟の面影を見ていただけだったのか、それとも何かもっと奥の深い感慨があったのか、みんな故人になってしまった今では知るすべがないけど、思春期になって自分のアイデンティティを模索し始めた頃からずっとワタシに影のように付いて回って来たのがキヨシ叔父さん。どんな人だったか、会ってみたかったな。
午後から雨が降り出して、あっという間に荒れ模様。雨の日も風の日も少なくとも30分のウォーキングをすることにしている2人だけど、これじゃあ、ついおっくうになってしまうな。でも、スマホの天気予報アプリをチェックして、7時から9時くらいなら小雨か小止み。でも、カレシが「アナスタシアと7時にスカイプするから、8時にしよう」。ロシア人のアナスタシアはシベリアのトムスクでプログラマーとヨガの講師を掛け持ちしているうちに忙しくなって、英語から1年半以上も遠ざかっていたんだけど、急にレッスンを再開したいと連絡して来たんだそうな。ロシアでもコロナの感染が急激に広がっていて、「ノーワーク・デイ」とか言って1週間も全国の職場を閉鎖したくらい大変らしいから、もしかしたら時間を持て余すようになったのかも。じゃあ、ウォーキングに出るのは8時ということにしようね。