昭和35年10月に竣工式をし共用開始された旧大浜町浄水場の構造物ですが、既に56年ほど経ってる訳ですから、画像の建物なんかは鉄筋も剝き出し部分がありかなり風化しています。中にはもう何もなく、トイレの跡と木脇の窓が残っていました。 驚いたのはコンクリの割れ目の隙間に付いてたヘビの抜け殻がサキシマバイカダとイワサキセダカヘビじゃないかと言う事で、いずれも絶滅危惧種です。
浄水場なので当然水を貯める構造物が幾つかあります。ではその水はどこから来たのか?と言うと、オイラのブログでも何度か紹介した宮良川上流のブナタバルです。http://blog.goo.ne.jp/lift-up001/e/754cf3f3f4f94f188125813602de5fda
最近では教育委員会が行った7月の戦跡巡りでも行きましたが、戦時中に大浜住民が避難していた於茂登岳の山中にある沢の途中に取水施設がり(現地に行くと昔のパイプと現役のパイプ、両方見れます)、勿体無いと言う事で今でも農業用のバラビドーダム(バンナ公園にある石垣ダムの事)の取水場の一つに利用されています。
皆が立ってる足元の下にもタンクがあり、下に落ちると出て来る穴や梯子が無い為、非常に危険です!絶対に近付かないで下さい。
石垣島にはむかし新川大座原と言う場所(今の少年自然の家のそば)にも石垣市の浄水場があり、そこへはコンクリ製の水道橋(水路橋)を使って白保から供給してたとの事ですが、旧大浜町浄水場へはパイプを使って水を送っていました。http://blog.goo.ne.jp/lift-up001/e/4b0b1f035a2abbdbc85065f0acfee9c9
何が違うかと言うと、パイプは自然の流れで浄水場まで途中下ったり上がったりしても取水元が浄水場より高ければそのまま流れるそうですが、大座原にあった方は白水から取水してたんであまり勾配差がありません。そこでコンクリート製の水道橋(水路橋)を作る事でギリギリまで緩い勾配を付けながら流して来て、何カ所か勾配が強く出せる場所で流れる勢いを強くする事によって比較的平坦な場所でも流れを作り上手く浄水場まで流していたとの事です。言葉じゃ上手く説明出来ませんね~。
↓ここに落ちたら終り! 中に人骨が無い事を祈ります。
下の画像のパイプが大浜はもちろん、宮良、白保、平得、前里に供給していた水道管です。 ですからこの場にいると「オレオ怒らせると水止めるぞ!」、と偉くなったような気になります(笑)。
以前、白水以外の山中で水道橋(水路橋)を見た事があるんですが、あれはどこのダムないし浄水場に行ってた物だったんでしょう? 他にもいろいろなないか調べてみようと思います。http://blog.goo.ne.jp/lift-up001/e/6ad32541e61524124e4d912a0e8f2643
http://blog.goo.ne.jp/lift-up001/e/38b8804931d03600eae07036a22bedec
http://blue.ap.teacup.com/applet/liftup/20080417/archive
続く